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人生に乾杯 36(術後1周年)

先週土曜日6月26日は、昨年シンガポールで開頭手術を受けた日。いわば一周年に当たる日だ。前日の金曜日には、当時お世話になったシンガポールの医師ら医療関係者何人かに、2点を伝えるためにメールを送った。一つは、今でも自分は生きている、と。脳腫瘍の方は全摘の上帰国した日本の病院でも、予後治療がスムーズに行っている(でも明日30日はMRI検査)。主治医や、毎月自宅に来る機器メーカーの方には感謝する他ない。ありがとうございます。

もう一つは、「今後の連絡は控えるので、かわりにブログを時々でいいので覗きにきて欲しい」である。自分が生きている証、といえば格好良過ぎかも。やりたいことも沢山ある。仕事もそうだし、特に、昨年亡くなったRyan Anthonyさん(「人生に乾杯」34号、6月4日掲載)の影響でトランペットをもう一度吹きたいと思ったり。でも手元には1本も残ってないし、上手く吹きたいと思って歯並びの矯正までしたのに、その後も上手く吹けなかった。ダイビングやカメラもそう。頭のアレイがあっても、こっちは何とかなるかもしれない。

人が通るあれこれの寄り道を記していければと思うし、何より仕事の人相手に自分の症状を話す行為自体が億劫になってきたのだ。

送ったメールの中でも、ブログで紹介したシンガポールの日本人医療関係者(「人生に乾杯」20号、昨年11月22日掲載)からの返事(6月26日)を、本人のお許しを得て、またもやここで紹介したい。ここでも日本とシンガポールの違いを見せつけられてしまった。

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近時の日本のニュースを見るのですが、あまりにも管理がずさんで本当に医療従事者が行っているのかと目を疑います。ここまで日本の医療の質がなかったのかと非常に残念な気持ちでいっぱいです。シンガポールでは、そんなずさんな管理のニュースがありません(制御しているかもしれませんが)。私の場合でも、アレルギーがあるため2回(註、ファイザー製)とも一般の人と違う、でも同一の担当者が打ちました。

日本は集団免疫を確保するため(オリンピック開催のため?)に行っているとしか思えず、国民のリスクを考慮していないのが顕著です。いつもそうですが、関係省庁の寄せ集め対策本部で議論し、方向性の検討は事務方官僚がして最終決定は大臣(事務次官)がしているのでしょうね。

政府や政治とは何か?と感じています。

私は選挙に投票したことがありません。でも、それが正解ではないかと感じています。国民のための政治などないと思っているからです。

前職時代に取引先の配偶者から、「政治家にならないか」と打診を受けました。某地方の元首相の応援部隊をつけるとも言われましたが、私は「鼻くそをほじりながら、焼き肉を食べてゲップと屁をしたいので嫌です」と即答したことをたまに思い出します。でも、本当の理由は自分自身が清廉潔白で居続けられる自信がなく、必要悪の方が似合っていると思っていたからです。

佐藤さんも早く必要悪に参加した方が気が楽ですよ。不正取引を監視する人(註、僕は公認不正検査士(CFE)の資格を有し、今も公認会計士向け月刊誌に連載中)でも必要悪はいりますよ。

コロナにより病院の経営も大きくかじ取りをしなければなりません。

必要悪の私が常に物事を決めるときに考えている言葉です。佐藤さんならわかると思います。

・吾唯知足(われただたるをしる) ー 心のコップを満たそうと思えば際限のない欲望の淵に堕ちる
・先義後利栄 ー 利は義の和なり、義を明らかにして利を計らず

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(写真は6月27日(日)、近所の寿司屋で撮った家族写真、手術一周年を祝ってくれた。掲載には、これも一人ひとりから二つ返事でOKをもらった。帰ってからも狭い家中を回ってお礼を伝えたところ、自室にいた娘からは「とうちゃん、でも牡蠣がなかったのは残念だったね」と、寿司屋で頼んだ岩牡蠣が切れていたのを覚えてくれていた。ありがたい、ありがたい。続く。)

(追伸、ちなみに今日6月29日は大学時代の同期の命日、26回忌でした。)