見出し画像

哺乳類やめたい

娘を完母で育てている。現在生後6ヶ月。身体が小さく、飲みは良くない。

妊娠中ですらパジャマがベトベトになるほど分泌しており、計画分娩のため事前に入院した際、助産師さんに「おっぱいのマッサージしてましたか?」と言われ、サボっていたと正直に白状すれば助産師さんが直々にマッサージをしてくれた。

「すごい、産後3日目の人より出てますよ」
まだ産んでいないのに?
とは言え悪い気はしなかった。母親というのは母乳が出るならば極力母乳で育てるものだと思っていたからだ。

入院中は地獄だった。
元々Cカップしかない胸が、突き出るように大きくなっている。
脚色ではなく、Hカップはあったと思う。妊娠中日に日に大きくなる胸のためにマタニティブラジャーを買い足したのだが、後期に入ると前開きのボタンが閉まらなくなっていた。
初産であったし周りに妊婦もいないので、人体とはこんなものかと気にもとめていなかった。
しかし娘を産んで数日もすれば、さらに大きくなり、全体が岩のように固い。
痛い痛いと助産師さんに訴えてはマッサージを受ける。頻回授乳の間に繰り返した。
小さく生まれた娘は咥えるのが下手で、搾乳のストックばかりが増えていく。
乳頭が傷ばかりになった。直母が苦痛で咥えさせるふりをして搾乳を哺乳瓶であげていた。
いくら搾乳しても張りが取れない。余った搾乳は捨ててもらった。
助産師さんは「もったいないね…捨てていいの?」と聞く。娘が飲まないのなら捨てるしかない。

寝たい。時間をかけて咥えさせ、娘が飽きれば搾乳をする。搾った分だけ分泌される、と搾乳量をセーブされた。
搾りきれない分だけ激痛となり、特に夜中は身体を動かせないほどだった。
授乳の時間なのに胸の張りで起き上がれない。1時間以上、助産師さん2人がかりでマッサージしてもらった。
射乳で助産師さんの服、髪、布団、スマホが白くなった。
「こんなに出る人初めてです」
苦しむ私を気遣ってだろうか、若い助産師さんが言った。
初日と違って、嬉しくなかった。

「今日は搾乳をあげるんじゃなくて、直母の練習をしましょう」
入院最終日前日はベテラン助産師さんだった。直母なんて絶対に嫌だ。
赤ちゃんは咥えるのが下手だし、哺乳瓶よりも早くに咥えたまま寝てしまう。
何より乳頭が痛くなる。姿勢もつらい。
娘は低出生体重児だった。直母だったら退院する際せっかく増やした体重を下回るかもしれない。
「せっかく母乳が出るんだから」
母乳の何がそんなに偉いのか。

案の定、娘の体重は減っていた。
「搾乳だったら良かったのに」…思わなくはなかったが、スパルタで直母指導をしてくれたベテラン助産師さんが
「おっぱい上手になったね。これでわざわざ搾乳して哺乳瓶であげる手間がなくなるよ」
周りくどいことをしなくていい分、楽になった。
何より、褒められたことが嬉しかった。


退院後すぐに里帰りしていた実家で同居していた祖母が体調を崩した。
日中は1時間半おき、夜中は2時間おきに授乳しており、寝不足の中授乳時間を気にしながら、時には車内で授乳しながら祖母を診てくれる病院を探した。
そんな中、とりわけ分泌のよかった左乳から母乳が出なくなっていた。

「とんでもないレベルの詰まりだったけど、疲れの心当たりはない?熱が出なくてよかったね」
地元のベテラン助産師さんをもってしても、2時間で取れない詰まりだったようだ。
「少しでも寝たいけど祖母の具合が悪い」
食の細い娘と、分泌過多の母の相性は悪い。
娘には悪いことをした。出もしない私のおっぱいを、いつもと変わらず何日も吸い続けていた。
娘に対する罪悪感で涙が止まらなかった。
助産院から帰る足でミルクを全銘柄買った。哺乳瓶も乳首も店頭にあるだけ全て揃えた。
なのに娘は頑なに直母に固執した。体調の悪い祖母と、まだ現役で仕事をする母と、ボロボロの私で代わる代わるミルクと搾乳をあげた。娘は飲まなかった。

祖母が死んだ。
体調を崩して1ヶ月、入院してわずか2週間の出来事だった。娘は3ヶ月。
悲しかった。忙しかった。
葬儀は大変だった。授乳の時間が読めないので、娘が泣くたびに親族控室を締め切って、喪服のジッパーを下してもらって授乳した。
共働きの親に代わって私を育ててくれた祖母の急逝に、ご飯も喉を通らなかった。食べたくなかった。
「あなたはおっぱいを出さないと」無理やり食べさせられた。
また母乳が減った。仕方ないと思った。
入院中の祖母から届いたLINEを見返した。
「おっぱいはでてるの」
おばあちゃん、出なくなっちゃった。
小さい娘を大きくしないと。
それでも娘はミルクを飲まなかった。

娘にミルクを飲ませるために、何でも試したと思う。
でも絶対に飲まなかった。
頻回授乳ですぐに分泌は戻った。
だけど自宅に戻ってすぐの3.4ヶ月健診で、ついに娘は成長曲線からはずれた。
ショックだった。母親としての責務を果たせていないと思った。
こんなことなら最初から母乳を捨てて哺乳瓶を咥えさせておけばと後悔した。

思えばこの頃が一番病んでいた。
食の細い娘は遊び飲みを始め、授乳が始まれば寝るか遊ぶか。
3分しか真面目に飲まず、すぐにお腹が空いてぐずるの繰り返しだった。
1日20回授乳する日もあった。娘と離れられなかった。
しかし子育ては一旦落ち着いてくる時期だったようで、SNSのママ仲間で完ミや混合の人は実家や旦那さんに預けてひとりでリフレッシュするようになっていた。
羨ましくて仕方なかった。ひとりになりたい。お酒を飲みたい。
どうしてこんなに頑張っているのに娘の体重は増えないのだろう。

ある日突然高熱が出た。胸が岩のようになり、階段の上り下りさえも激痛だった。
家には私と娘と猫しかいない。
39度近い熱を出しながら保健センター、お世話になっている助産師さん、婦人科、薬局、ドラッグストアに1時間以上電話をかけ続けた。娘にごめんねごめんねと謝りながら。
残念ながら、感染症のおそれから受け入れてくれるところはなかったし、検査機関もパンクして、検査キットの在庫もなかった。
乳腺炎だという確信があるのに、それを助産師さんもお医者さんも保健師さんも診てくれない。
詰まりが解消されないと熱が下がらない。乳腺炎には解熱剤も効かない。
このまま夫が帰るまでひとりで娘の世話をしないといけない。
しかも1日2日、このままかもしれない。詰まりが悪化してしまうかもしれない。
詰まりのせいで娘がひもじい思いをするかもしれない。私の替えがいない。
いよいよ完母をうらんだ。

ミルクは母乳よりよく寝てくれる。ミルクは母乳より脂肪分が多い。ミルクは母乳にはないビタミンが入っている。ミルクは母乳よりも授乳間隔が整いやすい。ミルクは母乳と違ってどれだけ飲んだかわかる。
定期的な母乳外来代のせいでミルク代よりも経済的な負担があった。
完母でもちっとも痩せやしない。

羨ましかった。
育児において圧倒的に私に替わる人物がいない。娘が泣けばおっぱいだママだとすぐに私の元に帰ってくる。誰も長時間は預かってくれない。
保健師さんに吐き出しても、哺乳瓶拒否だと一時保育は難しいと言われた。
もう、ミルクばかりが得をしているとしか思えなかった。

「今のミルクはすごいんですよ」「今のミルクは母乳と遜色ないですよ」…じゃあ母乳をあげる意味ってなに?母親のおっぱいが詰まるから?そんなの搾乳して捨てればいい。

とにかく病んでいた。母乳の、ミルクに勝るメリットは目に見えるものではないから。
免疫?くそくらえ。母乳なんかくそくらえだ。
ひとりにしてくれ。こんな、ただ乳をあげるだけの機械から人間に戻りたい。好きなことをしたい。一瞬でもいいから授乳のことを忘れたい。

本当はもっと愚痴を言いたい。もっともっと汚い言葉で誰からの目も気にせず愚痴を言いたい。
だけど私の周りには完母の人があまりにも少なかった。
私のような不本意な完母の人はもっと少なかった。
母乳をあげたいのに、何らかの事情でミルクに切り替えた人が多かった。
贅沢な悩みと言われたらどうしよう。誰かのコンプレックスを刺激してしまったら…
きっと同じ理由で、私と同じ悩みを抱えている人は表で愚痴を言えないのかもしれない。
私の目にはミルクのメリットしか見えていない。

離乳食が始まった。
WHOでは母乳のみで育てる人のための指針として補完食を提案している。
母乳では足りないことの裏付けみたいで嫌だったが、始めてみれば授乳の回数が格段に減った。心の余裕も戻ってきた。

完母はスポーツだ。部活だ。そう思うことにした。
きつくてしんどい。でも終わりが必ずある。走り切ったその先に見える景色はきっと綺麗なはずだから。今の悩みなど忘れて、寂しいと思えるはずだから。
そのときにやっと美化される。笑い話になる。そう思うことにした。

母乳が出ても、出なくても。母親を縛り付けて追い込む。
次があるなら絶対に哺乳瓶で育てる。
母乳で育てたい人、母乳をやめたい人。全ての人が何の罪悪感もなしに選択できるようになればいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?