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抜忍 くノ一 イムカ ~日本篇~ 零の巻

零ノ巻「奥州(おうしゅう/みちのく)・故郷 陸奥國(むつこく)」

陸奥、國津軽郡「津軽藩」、戦国時代、永禄拾弐年、初代藩主、「大浦(津軽)為信(おおうらためのぶ)」に仕える隠密「早道之者(はやみちのもの)」の前身、下忍、くノ一「イムカ」は、今宵も忍務遂行の為の下準備に余念が無い。忍具、苦無(くない)に鳥兜(トリカブト)の「附子(ぶす)」球根の周りに付着している「子供」の部位と、南蛮(唐辛子)を調合し、綿で丁寧に塗着させている。
鳥兜は、春先、食薬の二輪草(にりんそう)と酷似し、混生しているので、イムカは繊細な嗅覚で慎重に選別し摘み採って来る。

簡素な囲炉裏に麻の実と茎、粟を水焚きし、岩塩を少々。匙加減を見乍ら並行して、夜は更けて行く。
窓辺から覗く、和林檎の花が、下弦の月明りに凛と静まり、朝陽と結ばれ、蘇るのを待ち呆けている様だった。

イムカは、津軽富士(岩木山)の北麓、弐里ほどに鎮座ましましている、巖鬼山神社(がんきさんじんじゃ)の氏神様から「泣澤女神(なきさわめのかみ)」との啓示を承けた。
泣澤女神は、国産み・神産みにおいてイザナギ(伊邪那岐)イザナミ(伊邪那美)との間に日本国土を形づくる数多の子を儲ける。その途中、イザナミが火の神であるカグツチ(迦具土神)を産むと陰部に火傷を負って亡くなる。「愛しい私の妻を、ただ一人の子に代えようとは思いもしなかった」とイザナギが云って、イザナミの枕元に腹這いになって泣き悲しんだ時、その涙から成り出でた神は、香具山の麓の丘の上、木の下におられる。この神がナキサワメである。又、「沢山泣く」という意味がある。

和林檎「界:植物界 Plantae/階級なし:被子植物 angiosperms/階級なし:真正双子葉類 Eudicots/階級なし:バラ類 Rosids/目:バラ目 Rosales/科:バラ科 Rosaceae/属:リンゴ属 Malus/種:ワリンゴ M. asiatica」
※小型の落葉樹で、成育した樹高は参メートル前後。春に伍枚の花弁をもつ白色の花が咲き、秋に四~伍センチの果実を作る。
国内での栽培は明治の林檎(セイヨウリンゴ)導入によって急速に廃れたとされ、令和弐年現在は、盂蘭盆会の供え物などとして一部で栽培されている。

風が何処から生まれて、何処で死に逝くのか誰も知らないが、イムカは知っていた。風は「か」から生まれるのだ。カ、可、火、化、香、華、歌、禍、架、果、渦、嘉、家、科、課、蚊、稼、加、菓、箇、日、稼、過、貨、佳、下、樺、寡、迦、珂、花、鹿、嘩、価、何、ヵ、嫁、ヶ、瓜、茄、伽、仮、乎、個、卦、夏、掛、暇、榎、河、禾、苛、荷、蝦、袈、霞、靴、賀、柯……。
そして、「ぜ」で死を迎える。ゼ、是。

イムカは、自分が転生するなら、「石」に成りたいと、常々思惟していた。「不変最美(ふへんさいび)」、真の真の真の國常立大神(くにとこたちのおおかみ)様の芸術作品として、この世に在りたいと……。

「ガサッ、ササッ」
どうやら、忍務の様だ。
柵格子窓から、木の葉の裏側に「忍びいろは」の基となる暗号で、指令が下りた。
「イセ」
為信の家臣である武将「小笠原信浄(おがさわらのぶきよ)」の元に参れと言うのである。
信浄は、「大浦城(おおうらじょう)」に候。通例ならば上忍が掛け合うのであるが、イムカは特例である。それでも、年功序列、血族支配は暗黙の掟の様なもの。如何に優秀な忍びであっても、未だ拾伍のイムカは、下忍に甘んじざるを得ないのであった。

……イムカは、床の間の掛け軸の裏の返し扉の裏に、既に参上していた。
その気配を敏感に察知する、信浄。
(イムカ、紅天狗茸を採取して参れ)
信浄はイムカに、そう、送念した。万が一の事を踏まえてである。読唇術を心得る忍びが眼を光らせているかもしれない。念には念を入れるのが賢明である。
(拝)
イムカは、そう応え、大浦城を後にした。

紅天狗茸(べにてんぐだけ)は、「アマトキシン」という成分が、幻覚作用をもたらす。だが、信浄の生地、信州、信濃國では、舌に作用する神経毒が、「ピリピリ」として、美味と知られていた。
一般には「毒茸」で通っている産物を食すのであるから、他言無用である。イムカに直々に命じたのは、薬草の心得が在ることも去ることながら、何よりも信浄との信頼関係の絆の深さにあった。

津軽富士の麓、朝靄の白樺林で、紅天狗茸を伍本程摘み、白麻(はくま)に包む。
生食を信浄は好んでいた。
早速、大浦城に蜻蛉(とんぼ)返りし、掛け軸の裏に置く前に、イムカは何時ものように「夢想註映(むそうちゅうえい)の術」を施した。
寝入っている信浄に、紅天狗茸の夢を吹き込むのである。
信浄の瞼が、そっと開く音がする。


イムカは、忍務完遂の旨を鷹を遣いに出し、下忍幹部に伝えた。真の忍びという者は、決して歴史に名を残さないものである。裏社会に徹し、忍。なので、現、三重県西部の伊賀(伊州・賀州)や、滋賀県の近江(おうみ/江州)甲賀の忍び、それぞれ、伊賀忍者衆上忍、「服部半蔵(はっとりはんぞう)」、甲賀、真田拾勇士の一人、「出浦盛清(いでうらもりきよ)」が「霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)」のモデルとなった説などは、眉唾ものなのである。

柳の雑木林の奥にひっそりとある、イムカの粗末な小屋。去年の秋に蓄えた朽木の薪が、底を突き始めていた。
もう既に春。忍務を終えて帰宅した後の、冷えた麻の粟粥を、柳の切株を削って造った匙、汁椀には六分迄盛付け、ゆっくりと口腔に含み、舌上舌下、染み渡るように味わうイムカ。

「読心不介入(どくしんふかいにゅう)の術」

(抜けよう……。)

(日本中に津軽の林檎の白い花を咲かせよう……。)

全ての生命体は、イムカのこの心の動きを読めなかった。

思い立ったが吉日。早速、イムカは、狸の革袋に、あるだけの和林檎の種子を詰め込み、天狗に似た、「山伏(やまぶし)」の装束に身を包んだ。忍具も、荷が重くならない程度に忍ばせて……。
小屋の扉を後ろ手で閉じると同時に、イムカは、津軽藩全体に「意無閉(いむと)」の術を施した。

これからイムカは、津軽藩抜ヶ忍として、毎昼毎夜、命を狙われる運命に身を晒す。追忍の追手を一先ず阻む、意無閉の術中である。

後ろ髪などひかれることもない。イムカは、故郷を後にした。

陸中(りくちゅう・秋田県)、「大川(おおかわ)・岩木川(いわきがわ)」の源流地、白神山地(しらかみさんち)、巖森岳(がんもりだけ)を臨む。岩木川の名前は、津軽富士(岩木山)に由来する。「イワキ」は、神が鎮座する「イワクラ」と同じく霊山信仰に基づく言葉だとされている。

ブナの原生林が楽しそうに狂い生い茂っている。
イムカは、ブナにそっと話しかけてみた。
「どう?」
ブナ達は、何も応えてはくれなかった。ただ、生きているだけで幸せそうな素振りで、葉を乱舞させている。
中でも特等立派なブナの枝に、懐から透き通る様な羽衣を取り出し、ふっと羽織らせた。
「木・氣」に「お疲れ様……」の意を込めて……。

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