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児相31日目。「キャッチングの技術」

 「8番ラーメンだったら何味派?」

 そんな話題が出るくらい、今日はたくさん話した。前回、児童相談所一時預かり所がはじめましてだった彼。どうやら今日の夕方までは部屋にずっと閉じこもって漫画を読んでいたらしいけど、僕が来てからは部屋から出てきてずっと一緒にいた。テレビを見ながら、漫画を読みながら、なんだかいろいろと話した。二度目ましての僕だから安心したのかもしれない。

 ちなみに8番ラーメンは福井県のソウルフードだ。僕と彼は味噌or坦々麺派で一緒だった。

 今まで部屋に閉じこもっていたのが嘘のように長い時間一緒にいたけど、きっとずっと何かを誰かと話したかったんだと思う。誰だって話したいことはたくさんある。僕だってある。でも、なにかが彼の心にブレーキをかけていて話せなかったんじゃないかと。

 話をしたいけど話すことができないことほど辛いことはない。誰かに相談したくてもできない、なにかを打ち明けたいのに打ち明けることができないというのは、もし心から旅立った言葉のせいで笑われるんじゃないか、怒られるんじゃないか、恥ずかしい思いをするんじゃないか、なにかをジャッジされるんじゃないか、そんな不安があるからこそのもの。

 でも、そんなことは人間誰しもが抱えていて、結局はみんなそんなことを思いながら、牽制し合いながら自分を押し殺しているから話した方がスッキリするんだけれど、それでもやっぱり、言葉をしっかりキャッチしてくれるほうが安心するのもまた人間同じことだ。

 そのキャッチャーが厳しければ話したくなくなるし、返球がキツければまた投げたいとは思わない。できることなら、優しくも温かくもあるフワッと包み込むような安心できるミットだと嬉しいのだろう。僕だってそのほうが嬉しい。

 例えば自分の息子や娘に対して「なにかあったら相談しなさいね」という親がいるとする。親じゃなくても、友達でも、先生でもなんでもいい。でも、その相談する相手の受け取り方や返球の仕方が嫌なものならば、相談したくてもできないはずだ。

 だからこそ、キャッチングには技術がいる。受け取り方や返し方には練習が必要で、練習をしないと技術は習得できない。感情でキャッチングすれば大抵失敗するんだけど、ほとんどが感情だけでキャッチしようとする。

だから、子どもたちとの間にエラーが起きるんだよね。

 投げても溶けていくような、反発しない、白い息が消えていくような、そんな受け取り方でいようと思う。なにを投げ込まれても。

 なんだか今日は、雨が明けた後に公園に出掛けてキャッチボールをした気分だった。いろんな会話が彼の心を軽くしたような気がするし、僕もまた話を聞いてもらってすっきりとした感じがするし。楽しかった。

 ここに来る子どもたちの時間が、少しでも多く楽しいものになるように、僕も子どもたちに楽しませてもらおうと思いながら、キャッチボールの仕方を明日も練習しようと思う。

 

 


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