児相1日目。「隔たり」
この4月から、とある児童相談所の夜間補助員としての活動が始まった。決して立派になんかなれない大人のような子どもである僕が、立派になろうと苦しむ子どもたちに、”子どもたちの方がよほど立派なんだ”ってことを伝えたくて。
そもそも、僕自身この”隔たり”が好きじゃない。なにかとなにかをくっきりと分ける境界線のような、壁のような、人間社会が”普通”と”普通じゃない”をくっきりわけるようなあれが好きじゃない。でも、その隔たりのせいでここに来る子どもたちがいることは紛れもない事実。今日はその隔たりをリアルに感じる1日目だった。もう時期明日が訪れる。
みかん箱の中にりんごが一つ。
みかんにはみかんの良さがあって、りんごにはりんごの良さがあって。
でも人はそれを隔たりをもって判断する。商品にならないものは弾き出し、種類の違うものは売り物にならないからと箱から取り出す。果たして、その選別は完璧なのだろうか。絶対的な神のような手がそれを判断しているのだろうか。商品にならなければ生きていけないと言えるほどのものなのだろうか。
今日、子どもたちにたくさんのことを教えてもらった。
僕が知らなかったたくさんのことを、僕は子どもたちから学んだんだ。
そこには白も黒もはっきりしたものはなくて、大人と子どものような隔たりもなくて、ただただ温かい空気だけが残っていた。灰色のような曖昧さと、透明のような時間の流れがそこにあった。
きっと今日もどこかで隔たりに苦しむ人がいるのかもしれない。
僕はこの隔たりを限りなく曖昧にするためにここにいる。そんな大それたことでもないけど、無理なのかもしれないけど、今日を境に暗かった人生の絵が少しでも明るくなったらって思う。子どもたちに僕が励まされた1日目だった。
いつも読んでくださりありがとうございます。いろんなフィードバックがあって初めて自分と向き合える。自分を確認できる。 サポートしていただくことでさらに向き合えることができることに感謝です。