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児相8日目。「カラフルな無色」

たとえ本人が悪かったとしても、なにもわからないまま手探りで進んだ人生が後悔するようなものになってしまったとしたら…。

そんな時、僕たちはどう声をかけるのだろうか。

「がんばれ」
「なんとかなるよ」
「死んだらダメ」

そんな薄くてすぐに廃れてしまうような言葉なんか必要ない。なぜなら、解決できるのは他人じゃないし、答えなんかどこにもないんだから。

彼女は自分の人生を悔やんでいた。どうしようもない今の状況に、どうしていいのかわからなくて、ただただ闇しか見えなくて。

その中で大人たちはなにも理解しようともせず、ただただ真っ直ぐに正そうとしてくるだけ。

「真面目になりなさい」「頑張りなさい」

そんなことが簡単にできるのなら、苦労する子どもなんか一人もいないんだよ。

彼女が描き出す絵がカラフルでとても素敵だった。でも彼女は

「才能なんかないよ」

と自分を卑下する。それと同じように、まだ十何年かしか生きてない中で経験した濃すぎるほどの人生をも見下して見つめ続ける。

彼女は遠回しに、ポツリポツリと僕に向かってそんな濃すぎた人生の中で心に溜め込んでいたものを見せてくれながらため息をこぼした。

もちろん、僕は神様でもなんでもないからそれらをなかったことにすることなんかできない。
僕だって、拭い去りたい過去なんかたくさんあるけど過去は変えられないのを知っている。

答えは、問い続けた先の人生で
自分で見つけるしか方法はないんだ。

そして、悔やむような過去を変えることができる唯一の方法は、

今、この時が幸せであること

ただそれだけ。

だけど、そんなことも渦中で言われたってわかるはずもない。


「とりあえず今が苦しくても、楽しく死ぬために生きればいい」

僕には、それしか言えなかった。
というよりむしろ僕たちが生きる理由なんてそれくらいしかないのだから。

今日もあと少しで終わり、明日がやってきそうだ。

今日が終わろうと、明日が来ようと、彼女や僕たちの悩みが消えることなんかない。

悩んでいれば何かが生まれることもないし
悩み続ければ明日が晴れやかになるわけでもない。

もしも明日を変えたいのなら、動かせる自分のなにかを未来に向けて動かすしか方法はなくて、でもそれができないから悩むわけなんだけど、だからこそ

「どうせ生きるなら、楽しく死ぬために生きるんだよね」

ってことだけでもいいから伝えたかった。

きっと彼女の悩みがすぐに晴れることはないだろうけど、いつか笑って過去を話せるようになった彼女は、描いてくれた絵のように明るくて素敵だってことは間違いないはずだ。

いつも読んでくださりありがとうございます。いろんなフィードバックがあって初めて自分と向き合える。自分を確認できる。 サポートしていただくことでさらに向き合えることができることに感謝です。