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「リスキリング」という陳腐さ

*厚生労働省「学び直し」

「リスキリング」と聞いて、それ何?となってしまった。何のことはない、読み方が悪かった。リ・スキリングre-skillingといえば、すぐ分かっただろう。リスキリング(Reskilling)とは、文字通り、再びスキルを身につけることだろうが、そう表現しては、意味を取り違える可能性がある。

今まで身につけていたスキルでは、生産性が低かったり、役立たなくなり、「食っていく」ことができなくなっている。「食っていく」ためには、スキル(技能)を、新たに根底から習得することが必要である。この技能の(再)習得が、いや新たな技能の習得が、求められていると考えた方が良い。

ドイツ政府テクノロジー諮問機関・ヘミング・カガーマン顧問の表現を使えば、「誰にも平等に新たな訓練を受けられることが大切」(NHKスペシャル“中流危機”を越えて「第2回 賃金アップの処方せん」)。2つの意味があるが、「新たな訓練」と「平等性」が謳われている。そのためには、「企業や労働組合、政府が協力する必要がある。」

メルケル元首相は、当時、「生産工程をデジタル化すれば、ヨーロッパは新たな強さと安定を手に入れられる」ことが可能であると、強調していた。経済活動の変化に対応する新機軸が求められている。

労働的側面で考えると、マイナーでもないが、一つの例がある。MK(53才)は自動車生産企業で、30年間ブレーキの品質管理に携わっていた。工場の閉鎖に伴って職を失った。公共の職業訓練で、ビッグデータの講座を半年間受講し、コンピュータ言語をマスターし、ITプログラミングの会社に就職した。ビッグデータの資格を取り、順調に進んでおり、インタビューに応える顔には笑顔がこぼれていた。(NHKスペシャル“中流危機”を越えて「第2回 賃金アップの処方せん」)から。

求められる技術や技能は変化する。趨勢上にある技能の習得はリスキリングと言って良いだろうが、技術進歩の果てにある技術構造の変化に対応するには、「再習得」では十分ではないだろう。線上をシフトアップする技術・技能の習得が求められているはずである。視点を変えて臨むことが求められている。