見出し画像

あの娘♩可愛や♬カンカン娘♫赤いブラウス♪サンダルはいて#


「あの娘♩可愛や♬カンカン娘♫・・・」を思い切りゆっくり歌うと、哀愁を帯びてくる。(個人的感想)

世は1949年(73年前)。高峰秀子のシングル「銀座カンカン娘」がその年の4月に発売された。太平洋戦争から解放され、終戦後4年を迎えていた。アメリカの文明・文化が押し寄せ、席巻し始めていた。

女性観も、鏑木清方や上村松園の描くような美女から変化しつつあった。美人から可愛い人へのシフトが起こりつつあった。「カンカン」にもアンチ風俗の意味が込められていた。下駄や草履から、洋靴が支配的になりつつあった。いわゆる洋風化が起こっていた。

同じように、女性の容貌も「可愛い娘」が好まれるようになっていた。しかし、変化しつつはあったが、足かせのように人々は社会の慣習のもとで暮らしていた。

米川は東京の大学に3年遅れて進学してきた。名にし負う大学のキャンパスに通い始めた。米川はなんにでも興味を示していたが、時代の先端を掛け抜く様な仕事をしたいと願っていた。

時は喫茶店からカフェに移りつつあった。比較的大きなカフェテラスがいくつか流行っていた。それらのカフェテラスは時給ではたらく「アルバイト」を必要としていた。大学生も学資や生活費を得るために時給で働く場所を求めていた。

米川も開業したばかりのカフェテラスで学業の合間に働き始めた。働く必要もあったが、ビジネスの仕方を探るような働き方を心がけていた。米川の働きぶりを見て、店を取り切っていた粕谷は米川を抜擢し、サブチーフとして取り立てた。学生アルバイトの募集や入ったアルバイトの研修も担当していた。

米川がアルバイト募集を担当し、しばらくして女子大生・蔦子が応募してきた。もうカンカン娘を通り越し、現代っ子を思わせるようなスタイルであった。しかし、どこかコンサーバティブな雰囲気を持っていた。

合理的な仕事を目指していた米川に、困ったことが起こった。蔦子が気になりだした。それとなく分かるのか、手隙ができたのか、米川は蔦子の視線を背中に感じていた。

蔦子の視線の頻度や濃度は濃くなっていった。米川は受け止めたい気持ちが盛り上がっていたが、心のどこかに浮ついてはいけない思いも高まっていた。中途半端な気持ちは悟られる。蔦子は新しく入ったアルバイトの学生と親しさを増していった。

蔦子は休暇で実家に帰り、親に問われていた。親は蔦子の強い希望で大学への進学を許していたが、早く結婚することも希望していた。大学を卒業すると、結婚適齢期と考える年齢に迫る。蔦子は結婚相手を決められるようなことはなかったが、社会慣習にも気にしていた。

3回生になり、蔦子は別のアルバイト先に移っていった。米川は背中に蔦子の視線を思い出していた。

米川は大学を卒業し、しばらく勤めていたが、念願の時代の先端を走るビジネスのシーズを見つけ、起業した。事業は華々しいものとはしなかったが、着実なステップを踏んでいた。

仕事の合間にカフェに立ち寄った。アルバイト女子学生がかいがいしく立ち回っている。米川は蔦子の働く姿を思い出し、背中への視線を思い出していた。脳裏に、「銀座カンカン娘」の曲がゆっくりとスローペースで流れていた。

---Fin