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Short Story:小寿朗の秘密

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小寿朗の秘密

小寿朗は当時としては珍しい歩道を歩いて小学校に登校する。歩道は、新しく建設された労働会館がある敷地に隣接している。敷地の端を街路樹が間隔を置いて植栽されている。敷地の角にも1本の街路樹が植えられている。

小学生でも歩道から軽く飛んだだけでその木の枝に飛びかかることができる。木はまだ成木ではない。むしろ植樹されたばかりで、細い。小学生がよく木の枝に飛びかかるのか、手跡が付いている。

登校中、小寿朗も時折木の枝に飛びついていた。一緒に登校する小学生が二人順番待ちをしている。小寿朗が木の枝にブラブラとぶら下がっていると、女子の声が聞こえた。

「なにしちょるんかね。いけんじゃろ」

米屋の娘だった。小寿朗の家からそれほど遠くない。同学年なのに、お姉さんのように、同級生を叱りつける。小寿朗は木から下りると、同級生と一緒に逃げるように登校する。後ろで、米屋の娘が大きな声で追いかける。

米屋の娘は一人娘で、大事に育てられていた。父親は優しく、仕事熱心だった。母親は勝ち気な面があったらしく、噂に聞こえてきていた。伝統的な家族関係から一歩先に出ていたような気がする。娘も母親に似ていたところがあったのだろう。よく手を上げ、いつも当てられていた。

数週間後、小寿朗は一人で登校していた。また木の枝に飛びつき、ブラブラと揺れていた。米屋の娘が追いついてきていたのか、横から「いけんじゃろ」とにらみつける。きつい表情をしていた。小寿朗は慌てて飛び降り、慌てるように走り去った。後ろで、米屋の娘がプンと頬を膨らませていることなど知らなかった。

時に、登校時間が前後することがある。米屋の娘は広津(ひろつ)といった。広津が家の前を通った後で、登校することも多かった。広津の後をおとなしく付いていくように登校していた。木の側を横目で見ながら登校することも多かった。

3年生になり、同じクラスになってしまった。しかも、隣の席になった。気まずい思いをしていたが、広津は年下のように小寿朗を世話する。「明日も、忘れものしんさんなよ」もうまるでお姉さん気分なのか、小寿朗もどこか受け入れているような気分になる。

4年生の夏、蝉が鳴き出した。小学校も夏休みに入っていた。小寿朗は里山が大好きだ。暇ができれば、よく小学校の裏の里山に探検に出かける。小学校に向かっていた。夏休みであまり人はいない。広津が母親と一緒に校門から出てきていた。

「なにしよるん」

広津は苛つくように声を掛ける。

小寿朗は小声で応える。

「小学校の裏山に行くんじゃけど」

「母さん、私も一緒に行く、ええじゃろ」

母親は広津がときに里山に行っていたのを知っていた。母親は小寿朗も見知っていた。

「はよ、帰るんよ」

母親は言い残すと、一人で帰って行く。

広津は「さぁ、行こう」と小寿朗の手を引っ張った。つられて、小寿朗は従っていく。里山に近づくにつれ蝉の声が大きくなる。

「うち、蝉が好きなんよ」

里山に入ると、蝉の鳴き声を聞き分けながら、木を見て回る。広津は蝉を見つけると、小声で「アブラゼミ」。音を出さないように近づく。蝉の位置は広津には高すぎた。背伸びしながら手を伸ばすが、届かない。そのうち、アブラゼミは飛んで逃げて行ってしまった。

「今度、手が届かんかったら、四つん這いになるんよ、うちが上がるケ」

「練習しょ」

広津は小寿朗を四つん這いに屈ませ、背中に立とうとする。うまく行くはずはなく、広津は崩れ落ち、小寿朗の横っ腹を滑るように落ちてしまった。

「うまくいかんネ」

広津は小寿朗にもたれ掛かるように力が抜けている。

思い直したように、広津は蝉を探し始める。「アッ」広津が小さく声を上げた。指さす方向を見ると、羽化したばかりのアブラゼミが裏返しになり、藻掻いている。

「落ちたのかしら」

広津は羽化したばかりの蝉を抓むと、そーっと木に貼り付けさせた。辛うじて蝉は木の肌に張り付いている。

「大丈夫じゃろ」

広津はちょっとした段差を見つける。

「こじゅ・・・あんたも座り」

言われるまま、小寿朗は広津の側に座る。広津は横ずれして小寿朗にぴったり引っ付いてきた。

「うちね、夏休みに引っ越すんよ」

広津にしては、声がか細い。それに寂しげだ。

後で分かったことだが、米屋を止めて東京で働くことにしたらしい。時代は変わっていた。

里山での別れ際、広津は小寿朗の肩越しに顔を近づけ、映画で見たシーンを再現するかのように、小寿朗の頬に柔らかい唇を当てた。小寿朗の身体が一瞬強ばり、すぐ緩んでいく。

広津は小寿朗の手を持ち、立ち上がった。しばらく広津は小寿朗の手を握りながら里山を下りていく。やがて小学校の運動場に入るとき、広津はスタスタと歩き出した。「バイ、バイ、またね」広津はそのまま手を振って振り返りもせず、帰って行った。小寿朗は広津の残した香りが漂う中をゆっくりと帰って行く。

それ以来、小寿朗は広津の消息を聞くことはなかった。

---Fin