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読書メモ『こだまでしょうか?』詩・金子みすゞ Are you an echo?

・標題は詩・金子みすゞ(2020)『こだまでしょうか?』の表紙。

書評『こだまでしょうか?』詩・金子みすゞ

・対象本:金子みすゞ(2020)『こだまでしょうか?-いちどは失われたみすゞの詩-』JULA出版局。(著書の書誌事項が性質上複雑であるので、簡略化している。)
・原本:Misuzu Kaneko (2016) Are you an echo? : the lost poetry of Misuzu Kaneko, Chin Music Press (Seattle, WA), narrative by David Jacobson with translations and editorial contributions by Sally Ito and Michiko Tsuboi, 
illustrated by Toshikado Hajiri.(通常の表記と異なるので、国会図書館による表記を編集した。)

・対象本は原本を訳したものであるが、日米同時に同じ形態で利用できるように編集されている。

・本書は児童書あるいは絵本仕様である。物語「金子みすゞって、だれ?」と、「英語と日本語で読む・金子みすゞ詩集」の二部構成である。

・物語「金子みすゞって、だれ?」では、矢崎節夫が「大漁」という詩に衝撃を受け、詩人探しに邁進する。その結果、金子みすゞの弟である上山正祐に出会い、手書きの512編の詩を記した手帳を見つける。それらの詩は後に、与田準一 [ほか]編『金子みすゞ全集』に掲載される。同時に、金子みすゞの生涯が分かり、そのことが詩と絵と共にコンパクトに語られている。また、東北大震災を機会に、公共広告としてみすゞの詩「こだまでしょうか」が放送され、多くの人が感銘を持って知るところとなった。

・「英語と日本語で読む・金子みすゞ詩集」では、15編の詩が、美しく懐かしげで優しい絵とともに、英文と対訳の形で示されている。
「去年」(Last Year)、
「星とたんぽぽ」(Stars and Dandelions)、
「電信柱」(Telephone Pole)、
「白い帽子」(White Hat)、
「こころ」(Heart)、
「お菓子」(Treat)、
「波」(Waves)、
「土」(Dirt)、
「石ころ」(Rock)、
「海を歩く母さま」(Mommy Who Walks on the Sea)、
「蝉のおべべ」(The Cicada's Clothes)、
「鯨法会」(Whale Memorial)、
「露」(Dewdrop)、
「私と小鳥と鈴と」(Bird, Bell, and I)、
「昼と夜」(Day and Night)

・巻末(独立し、折り込み)に物語「金子みすゞって、だれ?」のなかの詩が10編ほど収録されており、それらに関する英訳(訳/サリー・イトウ 坪井美智子)が収録されている。
「大漁」(Big Catch)
「弁天島」(Benten Island)
「不思議」(Wonder)
「美しい町」(Beautiful Town)
「おさかな」(Fish)
「積もった雪」(Snow Pile)
「花屋の爺さん」(Flower Shop Man)
「みんなを好きに」(To Like It All)
「繭とお墓」(Cocoon and Grave)
「こだまでしょうか」(Are You an Echo)

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矢崎節夫に衝撃を与え、人々の世界観を変えさせるような「大漁」(Big Catch)は最初に取り上げられている。英文は端的に表現されている。しかし、金子みすゞがイワシに「鰮」を中てたために、訳がsardinesになっている。「鰯」でも同じことだが、多くの人が鰯の泳ぐ様子を見たことがないだろうから、加工物を想起させてしまう。英語でも、日本の絵本としては、「Iwashi」のままがいいのではないかと思う。いや、むしろ人間の世界とリンクされている魚の世界との対比であるから、「fish」で十分である。

「繭とお墓」(Cocoon and Grave)では、「飛べるのよ」がfly awayと訳されており、飛び去る印象が強くなる。fly aroundでは忙しく飛び回る印象が出てきてしまうが、素直な訳ではないか。この詩は金子みすゞ本人に贈りたい詩である。翅が生え、天使となって皆の周りを飛んでいて欲しい。

「こだまでしょうか」(Are You an Echo?)は本書の題名ともなっている程、印象的な詩である。最後に、「Are you just an echo?」と問われて、「いいえ、誰でも。」を「No, you are everyone.」と訳出されている。素直な捉え方のように思う。

後半部分の詩については、「露」(Dewdrop)と「私と小鳥と鈴と」(Bird, Bell, and I)を取り上げる。

「露」(Dewdrop)は、花の露を泪に喩え、虫媒花をさすらう蜂に優しさを想定して描いた詩である。蜜をnectarと訳しているが、これも加工品を思い出させ過ぎる。確かにアメリカでは、honeyといえば、別の意味で使われることが支配的である。日本では、蜂蜜なので、素直にhoneyでよいのではないか。

「私と小鳥と鈴と」(Bird, Bell, and I)では、タイトルが「Bird, Bell, and I」となっており、最後の連でも「Bird, Bell, and I」となっている。これは矢崎節夫(2008)が指摘するように、タイトルを「I, Bird, and Bell」にする方が詩のテーマの提起と詩の結論の結びつきに意味が出てくる。

・参考文献
・矢崎節夫『みすゞさんのうれしいまなざし』JULA出版局、10頁-15頁。