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奴隷か、死か:ナツメヤシは語る

1954年-1958年前頃、ローマ時代(ネロ帝)。

第一次ユダヤ戦争(紀元66-70年)の後、マサダ(地図)は反乱軍の最後の砦だった。960人ほどのユダヤ人が立てこもっていた。※嘆きの壁の近く。

紀元前73年、ローマ軍の攻撃に敗れ、総攻撃が迫っていた。戦いに敗れれば、「奴隷」。マサダの砦に立てこもっていたユダヤ人は、食糧庫を残して、砦に火を放ち、集団自決した。飢餓に屈しての自決でないことを明確に示し、砦は陥落した。

時を経て、1960年代、マサダは発掘調査が行われ、ナツメヤシのタネが数百出土した。2005年になり、イスラエルのHadassah Medical Organisationがナツメヤシのタネを34個播いた。その中の6個が発芽に成功した。

これらのタネは放射性炭素年代測定が行われ、紀元前1-4世紀から紀元後1-2世紀ころと推定されている。※キリストは紀元前1世紀と言われている。遺伝子解析も行われており、タネの品種も場所が異なっていたが分かっている。

ナツメヤシに関連する具体的なギネス世界記録については、記録されているとするものと、そうでないとするものとがある。※大賀ハスも2000年以上前のものと推定されているが、年代測定は行われていず、ギネス世界記録には掲載されていないもよう。


・榛原昭矢(2014年)『鉢植えでも楽しめる 物語と伝説の植物 四〇種の栽培ガイド』新紀元社、168-175頁。