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読書メモ:モース あるいは フェノロサ(I want to go back to Miidera.)①

画像:片野勧(2011)の240頁から。

*用語的なもの
・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa:1853年 2月18日 - 1908年 9月21日)はアメリカ合衆国の東洋美術史家である。
・「I want to go back to Miidera.」はフェノロサの最後の言葉。
・Miideraとは、「大津市の三井寺」である。
・モース(Edward Morse:1838年6月18日 - 1925年12月20日)はアメリカの動物学者である。(モールスの表記もある。)
・ダビッド・モルレーあるいはデイビッド・マレー(David Murray、1830年10月15日 -1905年3月6日)は、アメリカ合衆国の教育者、教育行政に詳しい。明治時代の初期に日本政府が招聘した「お雇い外国人」の一人である。
・ビゲロー(William Sturgis Bigelow:1850年4月4日-1926年10月6日)はアメリカの医師で日本美術の研究家として知られている。
・岡倉天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日)- 1913年(大正2年)9月2日)は日本の思想家であり、文人としても知られている。
・腕足類(例:ミドリシャミセンガイ、これは食用になる。)は日本近海(瀬戸内海、有明海など)に見られる。画像は:https://kankyo-portal.jp/tideland/creature.htmlから。

みどりしゃみせんがい

*本編

19世紀中頃、エドワード・モースは、貝集めに熱中していた時、ルイズ・アガシに見いだされ、やがてハーバード大学・ローレンスサイエンス・スクールで動物学を修め、ボードウィンカレッジの教授として活躍する。

モースは、1877年(明治10年)6月、日本に多く分布するという「腕足類」を採集し、調査するためにやってきた。カブトガニは「生きた化石」と言われる。同じように、腕足類は、数億年という長い間、形が変化していない。モースは腕足類の生態に興味を持っていた。

腕足類の調査に出かける準備で、モースは文部省顧問(当時の呼称)デイビッド・マレーに会うべく横浜から新橋へ赴いていた。1850年当時、すでにウォルソーWorsaaeがデンマークのエデールホーフ貝塚とハーベルセ貝塚の調査を行っていることが知られており、モースも当然知識の中にあった。京浜東北線(現在)大森を過ぎたとき、車中から貝殻が捨ててあるのを見つけた。世に言う「大森貝塚」である。(現在、記念碑がある)

1877年秋、モースを始め15人が大森貝塚を発掘調査し、報告書Shell Mounds of Omoriが纏められている。15人の中に、 東京大学初代植物学教授となった矢田部良吉がおり、訳『大森介虚古物編』を担っている。この報告書は、「理科会粋・大森介墟古物編」として、国立国会図書館デジタルコレクションに加えられている。

*矢田部良吉は1871年(明治4年)にアメリカに渡り、翌年コーネル大学で植物学を学んでいる。その後、1877年(明治10年)には、東京大学初代植物学教授となっている。

*ちなみに、モースの教え子「飯島魁」は日本鳥学会を創設し、初代会長を務めている。

②未完。

・手塚竜磨(1968)『英学史の周辺』吾妻書房、12-15頁。
・片野勧(2011)『明治 お雇外国人とその弟子達』新人物往来社、234-258頁。