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夾竹桃の花⑩ 友人の発症

次の学期は彼女も高校3年生になる。本格的に受験勉強しなければならないが、春休みになると、図書館や本屋に加えて美術館にも誘ってくる。平和公園に行った時のストレスも解消しているようだった。いつものように御幸橋で待ち合わせ、電停に向かう。御幸橋で待っていると、彼女が歩いてくるが、途中で知り合いに出会ったのか、母親世代の人と挨拶をし、言葉を交えている。

アンデルセンに行った帰り道、
「今度、江波の気象台に行かん?野生の桜があるんよ。」

約束の日が来た。いつもの電車に乗るが、紙屋町を経て十日市電停で乗り換える。横川駅から来る江波行きの電車に乗り換えた。終点で降りて、遊歩道に導かれ、丘に登るような感覚で歩いて行く。

人家を抜けると、路は整備されてはいるが、木々が生い茂り幾分うっそうとしている。
「珍しいヤマザクラがあるんよ。」
彼女の足は速い。運動不足か、息が切れる。彼女が叱咤激励するかのように手を繋いで引っ張る。

江波山公園の「ヒロシマエバヤマザクラ」は、原爆にも耐えて、推定樹齢約160年、高さ約14mと大きい。珍しい品種で、花びらの数はヤマザクラの5枚に対し、5〜13枚の花びらがあり、房状に咲く。3月下旬から4月上旬に咲く。平成8年には「広島市天然記念物」に指定される。

彼女は、うれしそうに、呟くように話す。
「確かめたかったの。」
彼女の表情は艶を帯びるように輝いている。

「あの時の村井佳代子と同じ雰囲気だ。」

拓は紅顔の美少女を思い出していた。

ーーー春休み続

春休みに入ってまもなく、以前約束していた友達のところへ泊まりに行った。友達の誘いに応えるためだった。彼の家は黄金山にあった。黄金山も原爆により被害を受けたが、4kmと離れており、被害は少ない方だった。

しかし、北西方向にある比治山は爆心地から約1.8kmの位置にあったため、爆心地側の西側は壊滅状態にあった。東側は比治山が爆風を遮ったことで、大きな火災も起きず、比治山を境に東西が対照的な被災状況となった。クスノキに傷跡を残している。比治山には、1949年(昭和24年)に原爆傷害調査委員会(ABCC)が開設された。

黄金山の友達は、父親がタクシー会社を経営し、比較的裕福で車を持っていた。よく三次に連れて行ってくれていた。三次には女友達がいたらしく、大学の女友達の目をくらますために、拓を連れて行っていた。

家に泊まったときや車中では、よく揶揄われた。
「お前、彼女ができたんだって。」
拓は口ごもりながら
「ウン・・・イヤ・・・」
「おまえ、奥手だからな-」
呆れたようによく言われていた。

ーーー受験勉強

市内にはほとんど出ていかなくなっていた。彼女は受験勉強を口実に、図書館代わりによく来るようになっていた。拓は彼女用のテーブルを買い増していた。よく質問してくる。

身体を寄せてきて、上目遣いにからかうように言う。
「英語だけじゃね。」
「・・・」
黙っていると、続けて。
「そうでもないよ。待てよ。」
時々男言葉が入る。
「理科も好きそうじゃね。」
「そういえば、メンデルの法則などは得意のようじゃ。」

確かに彼女は優秀だった。偏差値を聞いても拓よりもかなり高かった。

「その偏差値じゃ、どこでも行けるじゃろう。」

「広島が好きなんよ。それに、うちは一人娘じゃけえ-。」
「あんたは?」
彼女は探るように問いかける。
「長男じゃけど。」
彼女は気落ちしたかのように、
「そう・・・」
何かを吹っ切るように、再び教科のことについて聞いてきた。

ーーー新学期:ヒメヤマツツジ

新学期が始まり、彼女は高校3年生になった。拓は2回生になり、専門科目が入ってきていた。

学期が落ち着いた頃、ハイキングに誘われた。広島駅の北側の小高い山がある。登山口付近までバスで行き、数名の登山者があり、一緒に登っていく。
「これ、これ。」
何か目的があったのか、ツツジを指さして、感激の面持ちだ。
「ヒメヤマツツジっていうの。」
見れば、紅紫色の可愛い花が咲いている。春の光に空かされている花弁は透明感がある。
「広島県と山口県に分布するんよ。あんたのところにもあるはずよ。」

昨晩、夜遅くまで勉強していたのか、疲れか、帰りのバスの中で寝始めた。
寝顔にはまだあどけなさが隠れている。拓には愛おしがさらに増してきている。

ーーー

6月になった。平和公園にも、夾竹桃の花が咲いているだろう。しかし、彼女は2度目は行こうとしない。被災地近くに住んでいながら、話題にもしない。何か心に抵抗感があるのだろう。聞くのも怖い感じがするので、拓は推し量ることは止めていた。

ーーー夏休み

夏休みになると、再び、図書館代わりによく来るようになった。外にはほとんど出ていかない。

彼女の勉強姿勢を見ると、集中度がかなり高い。偏差値の高さはこんなところから来るのかもしれない。

よく来るので、尋ねてみた。
「親はなんにも言わんのん?」
質問の意図が分かったのか、
「あんたが襲うことはないじゃろう。」
笑顔で捨て台詞のようにいう。拓は口ごもるしかなかった。
直後、彼女はあっという間に勉強に集中している。

ーーー三段峡

夏が来ていた。平和公園の夾竹桃は花真っ盛りである。拓も想像するだけで見に行こうとはしない。夏休みになったら、三段峡に行こう、と約束していた。三段峡は広島中心部から北西に30kmの湯来町にある。太田川の上流に近く、景勝地として知られ、多くの観光客が訪れている。名前の由来となる三段滝などがある。広島バスセンターからバスで1時間強掛けて行く。

バスの中で彼女に似合わず、はしゃいでいるが、言葉は標準語に近い。アパートに来たときにも時折丁寧語で話すことが多くなっていた。
「新婚旅行ってこんな気分なのでしょうか。」
「経験、ないですね。」
彼女は思い違いだったのか、
「そんな・・・、あったら困ります。」
拓は思わず、言葉を飲み込んだ。
「エッ・・・」
「何驚いちょるん。」
もう元に戻っている。

三段峡の終点に到着すると、彼女はまっすぐ目的地があるかのように早足で歩く。
「あった。あった。」
彼女が指さすと、花は咲いていないが、ツツジのようだ。
「キシツツジよ。ここには沢山分布しちょるんよ。」
「他にもツツジはあるけどね。」
「三段滝まで行ってみよう。」
彼女は先だって歩きながら植物を見ては歩く。
滝は確かに三段に流れている。
いつもより水量が多いかどうかは分からないが、相当の水量だ。

帰りのバスの中で、彼女は疲れか、寝始めた。
寝顔を見るのは、2度目である。拓は1度目と同じように「愛おしい」と感じているが、自分も疲れから寝てしまう。

市内に帰ってからお好み焼き店に行った。
「あんたもお好み焼きすきじゃねえ。」
「ウン。」
頬張っているので、言葉が小さい。

ーーー

盛夏になり、原爆を落とされた日に近くなると、広島はなにかと行事が行われる。毎年8月6日には、要人が来て、平和記念公園で例年の行事が行われる。その夜には、原爆ドームの付近で灯篭流しが行われているが、彼女はそこに行くこともなければ、話題として触れることさえない。

ーーームシカ:友人の発症

高校の新学期が始まってまもなく、大学でも前期の定期試験を終えて、後期が始まっていた。

紙パネルで
「今度の日曜日空けといて。」

アパートの部屋で打ち明けるのは避けていたらしい。

日曜日、丸善で本を買い、八丁堀を過ぎ、ムシカに着いた。音楽喫茶というよりも音響設備の整ったスタジオのような雰囲気だ。いつもそれほど客がいるわけではないが、根強い人気がある。この時間というのもあるが、今日は一人の客が隅の方に座り、二人は反対側に座って聞いている。

彼女は音楽が好きだったが、音楽を聴くのが目的ではないことがすぐ分かった。人気のないところで話したかったようだ。

しばらくは取り留めもない話をしていたが、緊張感のある表情になり、思い切ったように声を潜めるように話し出した。

「うちでも友達はおるんよ。」
彼女は涙ぐんでいた。
「あのね・・・」
彼女は不安を収めたいのか、手を握ってきた。何かを堪えるように手を強く握る。

同級生の知人が原爆症を発症していた。

「うち、怖いんよ。・・・」
一瞬、驚き、立ち上がりそうになった。彼女は動かないように手を握り返す。

彼女は恐れと悲しみを堪えるように膠着している。どのくらい時間が経ったのだろうか。しばらくして、店員が異常を感じたのか、勘違いしたのか、店を出てくれと促してきた。

仕方なく、店を出て、「はちの木」の通りを抜けて、南に歩いて行く。

大学の北門から入り、南門へ抜ける。南門から街を抜けて御幸橋までゆっくりと歩いて行く。御幸橋に着く頃には、彼女の泪も消えていた。

御幸橋交差点を渡ると、手を振って先に早足で歩いて行く。

ーーー⑪