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江戸前天麩羅ではないが、家康は・・・

さきに、

・小林勇『ザ・テンプラ、てんぷら、天婦羅、天麩羅』2019年、創英社/三省堂、11-14。
※江戸幕府の公式史書『徳川実紀』はある。※天麩羅・該当箇所あり。そのほかに、『慶長日記』『古老物語』『元和年録』『武徳編年集成』に共通してあると。

江戸前料理文化を代表する四品-寿司、蕎麦、鰻の蒲焼に、天麩羅-

天麩羅の誕生は江戸時代・安永年間(1772年-1781年)か。

徳川家康:1543年1月31日(天文11年12月26日)-1616年6月1日(元和2年4月17日)享年75(73歳没)。

<徳川家康は江戸天婦羅の誕生よりも170年以上も前、しかし、・・・>

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ここで別件で重要事項あり。1720年頃、搾油技術が「人力」から「水車」(水車稼ぎ・すいしゃかせぎ)になり(搾木(しめき)の改良)、生産量が拡大し、食用油の需要が拡大している。※動力源が変化!
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当時、油料理(油脂を含んだ食物)はあった。縄文・平安時代にもあったかもしれない。油料理は権力者の社会では普及していく。言うまでもなく、徳川家康も恩恵を受けている。

徳川家康の油料理の「油」は「柏の油」?とあるが、「菜種油」か、「胡麻油」かは分からないが、食用に精製されたものであろう。※油は照明用が主かな。

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家康が駿府の郊外・田中村で鷹狩の折、京都豪商。茶屋四郎次郎がご機嫌伺いに訪れた。
「なんぞ、上方で流行しているものはあるか?」
「付け揚げがあります」
「どんな料理?」
「鯛を油で揚げ、鯛の上にニラを摺りかけて食べます」
「ほう、ほう」

榊原内記(家康に仕えていた。内記は官職名)が、「大鯛1匹+甘鯛2匹」を献上。

早速、家康は鯛を揚げさせ、ニラを振り掛けて食す、多分かなり多く。※ニラをどのように料理したかどうかは分からない。多分、火に通している。刻んだだけかもしれない。※ここは重要だが、当時の知識としては、無視されている。

家康は普段よりも食が進んだらしい。たくさん食べて、4時間で腹痛を起こしている。万病丹(調合していた模様、健康オタクのうわさも)を飲んでみたものの、治まらない。駿府に帰り、床から離れられず、75才で亡くなる。※当時の平均寿命よりも長い、という。

家康は健康オタクでもあったので、死因は不思議がられた。直近で食べた揚げ物に関心が行った。細菌説や毒殺説もちょいと信用できない。直近の揚げ物にいくのも一理あり。しかし、胃がん説(この当時、ピロリ菌は気が付かれていない)も。

新説(まっかな?):ニラを大量に食べ、調理師次第にもよるが、腹痛を起こしているところを見ると、ニラは消化が悪く、腸で澱むかもしれない。これは腸ねん転を興す危険性がある。