ShortStory:久南とリトル蛍
少女・久南は一人で出かけることを許されてから、近くの山際に沿って散歩したりし始めた。春になると、ミツバツツジが先だし、咲き終わる頃には桜が咲き始める。桜の花が散り始めると、ツツジの蕾が膨らんでくる。
(なんていうツツジなんだろう)
漏斗状の花弁が開き、紅紫色の花弁が風に揺らぐ。
やがて、キシツツジが咲きだし、川岸に多くの花弁を風に揺らし、細枝が風に煽られる。
(もうすぐ夏だわ)
キシツツジの咲く川の上流に淵がある。上流から勢いよく流れてきた水が淵でまどろむ様にゆっくりと流れる。歩き始めた頃、夕方、両親が誘ってきた。
「ホタルを見に行くぞ」
淵の周辺にカワニナが生息している場所があるらしい。この淵の周辺には夏前になると、ホタルが飛ぶことで知られていた。
少女・久南は初めてホタルを見たとき、息を飲んだ。夕方8時過ぎになると、ホタルが乱舞を始める。
(きれい・・・)
薄明りの中で息を飲む様にホタルを見つめている少女・久南に、両親は座るに手頃な岩を見つけた。
「座ってごらん」
沢の水だけが音を奏でるように騒ぐ。ホタルは戯れるように飛び回る。
五月になると、少女・久南はホタルを見るために、よく川の淵をひとりで訪れるようになった。
ホタルの乱舞を抜けて一匹のホタルが群れを抜け出すようにスーッと飛び去って行く。(アッ・・・)少女・久南は小さな驚きを飲み込んだ。
夏が来る度に、久南はホタルを岩に座って眺めていた。やがて勉学に精を出す日が続き、大学に進学した。部活動も精力的に行った。文学を志す友であふれていた。多くの学友が創作を求め、殻を何とか破ろうともがいていた。
久南は出版社に勤めたかったが、時間的余裕のあるOLとして働くことを選択した。秘書部に配属され、役員のスケジュールやドキュメント作成などを担当した。空き時間や休みには、よく本を読み、資料を漁り、構想を練った。構想を練るたびに問題が広く、深くなっていくようだ。構想が膨らんでいき、勤めている間にも、四六時中考えるようになっていた。
「そうね」
昼休み、久南が同僚と昼食を食べているとき、思わず呟いたらしい。
「あなた、誰と話しているの?」
「蛍さんとよ」
「えっ、私たち以外誰もいないよ」
「ちっちゃいから、リトル蛍さん」
久南はどこか誇らしげだ。同僚は呆れたように、それ以上は語ることがなかった。時に、同僚は目撃するようになった。久南が仕事の空き時間に独り言のように呟いているのを。
(リトル蛍さんと話しているのね)
同僚は久南が目指しているものを推考していた。
(自然のお花畑のような話しが書きたい・・・)
リトル蛍が呼応して
(じゃぁ、シャングリラに行ってみる?)
「そうか、シャングリラかぁ」
シャングリラは中国・雲南省にある。シャングリラはリトル蛍にとっては寒かったが、シャングリラは植物の宝庫だった。ツツジやリンドウ、サクラ草、チョウジソウなど多くの植物が自生している。
久南はシャングリラの広がる花畑を、両手を広げ、服を靡かせて、リトル蛍と飛んだ。初めて見る群生花が次々と現れる。リトル蛍も寒い中、気持ちよさげに飛んでいく。*モーター・ハングライダーで飛ぶことができる。
「あなたは不思議な虫さんね」
「くなん、もう文字のキャンバスを描いたら」
しばらくして、久南は小さな作品を上梓した。心が小躍りする作品だった。他方でも、愛のキャンバスを描いていた。
久南が結婚してしばらくして、夫婦二人で紅茶を飲んでいたとき、リトル蛍とコミュニケーションし、思わず引き込まれていた。
「くなん、今、誰と話していたの?」
「蛍さんとよ」
「えっ、僕たち以外誰もいないよ」
久南は紅茶を飲みながら頭の世界に入っていたらしい。
夫の顔を見ながら微笑む。
「ちっちゃいから、リトル蛍さん」
「ささやかな幸せを運んでくれるの」
夫は、意味も深く考えることもなく、自然と納得したような表情を見せている。
午後の昼下がり、清んできたアトモススフィアに誘われて、久南は歩き出した。土手には桜並木が。桜は盛りに誇り始めている。青空は透き通り、どこまでも透き通っている。澄んだ青空はどこまでも広がっている。歩きながら、故郷の川・淵を思い出していた。
(もうすぐホタルが乱舞するわ)
---Fin