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体調は思考を支配する

つわりの山を越えたのではないかと思っている。

気持ち悪いし、食べ物のことを考えると胃がひっくり返る。食べ物を食べた後は、胃の中に石が出現して不快極まりない。
でも、明らかに体感として、昨日よりも一昨日よりも体調が楽になった。

昼間、夫が仕事の時間に愛おしい我が子に、絵本を読んで、最近息子の愛読書である電車の図鑑を一緒に見ることもできた。最近ずっと1人で図鑑を眺める時間が長かった息子が、今日「エスエル」という単語を習得した。きっともっと一緒に見ることができていたら、とっくの昔に習得したのであろう「エスエル」。なんだか、息子との時間の中にあるこの期間の空白を突きつけられた気がして、少し切なくなった。きっと、お腹の中の子がこの世界に出てきてからの時間の中では、そんな風に感じることが山ほど発生するのかもしれない。愛おしくてたまらない存在が2倍になるのに、相変わらず私はこの単体のまま。どんな瞬間だって見逃したくないし、逃したくないのに。

長く教育関係の会社に勤務してきて、実際にお子さんと関わる業務にも就いていたことがあったせいか、私は息子の育児でキャパがはちきれそうになったことはまだない。もちろんそれは、夫の存在が強く影響していて、夫の協力が全面的にあったからだと理解している。それでも、息子の主張が発達する過程で増加した息子の泣きに対しても、"意思が発達したのね…かわいいな"という感情が最前面で、それに対してイライラしたり困惑することがほとんどなかった。月経と重なった日は、ちょっときついな、と感じることもあったけど、月経が重くなってしまった月の2日ほどだったので、さほど強い印象ではない。
だから、育休が、子どもと過ごすこの時間が、最高に楽しくて仕方なかった。

2人目の子どもが産まれたら、そりゃ状況も変わるだろう。
そんな風には思っている。漠然と、きっと今とは違って、自分の視野の限界だったり、自分の思考や判断力の限界のラインを攻め込まれることもあるのかもしれないとも思う。でも、今の段階では、手に取るようにその感触がイメージできるわけではない。

ただ、今回のつわりで感じたこの「空白」という感覚。
これは、今ものすごく手触りのあるものとして、今の私の中に存在している。
これまで、日々たった1人の息子を見つめて過ごしてきた。そんな空間の中に、もう1人愛おしさが同等のニンゲンが仲間入りする。どっちも見ていたい。息子が電車で遊ぶその背中も、おやつを頬張って微笑むその笑顔も、全部見ていたい。けど、そうも言ってられない瞬間だってきっとやってくる。ただでさえ、2時間おきに授乳が必要な新生児からのスタート。飲ませたら、ゲップも必要で、その後は、その子の"寝る"をサポートする日々だろう。1日の終わりに、息子の寝顔を見つめたときに、今日感じたような「空白」を私は感じてしまうのだろうか。

なんて、こんな風に思うのは、きっとまだつわりで体調が全快じゃない証拠だろうな。
きっと、この子が生まれてきたその日から、私の世界は今までよりも満たされる。ただそれだけだ。ほんとは、何も心配する必要なんてない。
それを私に教えてくれたのが、息子のはずだ。

息子がまだお腹にいる頃、私は、大きなお腹を抱えながら夫の前でわんわん泣いた。可愛いと思えるのか不安、私に育てられるのか心配、私はこの子にとっていい存在になれるだろうか…もうあとは覚えてもいないくらい、いろんな不安をぶつけて泣いた。夫はその一つ一つに、私が納得できる根拠を述べて、総じて「つつじは大丈夫」と言った。結局私は、夫の言った通り、今のところ「大丈夫」だ。
不思議と、生まれた瞬間の息子の顔を見た途端に、不安なんて消えた。そこからは、息子からもらう日々の温かさと優しさに、私は毎日少しずつ強くしてもらっていると思っている。

どんなにあれこれ考えたって、産まれてきたら自然とわかることがある、と、息子は私に教えてくれた。だからきっと2人の母になったって、大丈夫。

体調は思考を支配する。
きっと、つわりが明ける日もすぐそこのはずだ。
その頃には、強気な私がまた笑ってると思うから、その日を信じて今日も安静にする。

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