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Football Life

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世界のどこへ行ってもサッカーはあります。こちらではボールを求めて訪れた国でのエピソードをお伝えしようと思います^^
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2020年11月の記事一覧

Football Life vol.89

フォルクスワーゲン・アレーナ。 長谷部誠が活躍したことで知られているVfLヴォルフスブルグのホームスタジアムで開業は2002年と新しいスタジアムだ。 街は首都ベルリンの西200キロくらいのところにあって、第二次大戦時にフォルクスワーゲンの生産拠点として作られた計画都市で、その歴史はフォルクスワーゲンの成長と共にある。 駅前はキレイに整えられているけれど、雰囲気だけでも十分に楽しめる他の街並みとはだいぶ印象が違う。気軽に美味しい食事を楽しむとかそういう要素はない。 ちな

Football Life vol.88

ルール・シュタディオン。 2008年に訪れたボーフムのスタジアムで当時はレヴィルパワー・シュタディオンと呼ばれていた。3万人程度の小さなスタジアムだけれどピッチと客席が近く臨場感は半端ない。 工業地帯として有名なルール地方にはドルトムントとシャルケのメガクラブがあるからその影は薄い。しかし、かつて小野伸二や乾貴士が所属していたこともあって日本人には馴染みがあるクラブだ。 ドイツの凄いところは至るところに地ビールがあって、炭鉱の街として栄えたルール地方にも様々なビールがあ

Football Life vol.87

フェイエノールト・スタディオン。 かつて小野伸二が躍動したフェイエノールトのホームスタジアム。街中からトラムに揺られていると視界がひらけ、やがて大きな建物がみえてくる。オランダ語で「桶」の意味で親しまれる「デ・カイプ」だ。 この日は直前に迫ったユーロに挑むオランダ代表の親善試合で対戦相手は晩年のシェフチェンコを擁するウクライナだった。 ドイツやオランダではメディア向けのケータリングが用意されていることが多い。中にはホテルのブッフェと見紛うような豪華なときさえある。ちなみ

Football Life vol.86

エルンスト・ハッペル・シュタディオン。 オーストリアのウィーンにあるスタジアムで開業は1931 年と歴史がある。ちなみにエルンスト・ハッペルは人名で、オーストリア史上もっとも偉大な監督として歴史に名前を残した名将だ。 ヨーロッパには偉人の名前を冠したスタジアムが多い。サンチャゴ・ベルナベウ、ジュゼッペ・メアッツァ、ビゼンテ・カルデロン、レナト・クーリ、アルテミオ・フランキ、ヴァレリー・ロバノフスキーなど。 パッと思い浮かぶだけでこれだけあるから、きっともっとたくさんある

Football Life vol.85

ヴェルターゼー・シュタディオン。 オーストリアの南部に位置してスロベニアやクロアチアとの国境に近いクラーゲンフルト。湖とそれを囲む森が印象的な街で、澄んだ空気に包まれた湖畔で飲んだコーヒーが忘れられない。 僕が訪れたのは2007年の日本代表遠征だった。このスタジアムは翌年に控えたユーロ2008の会場として新設されたばかりで、こけら落としの対戦相手が日本だったのだ。 このスタジアムで日本は2試合戦い、2試合目の対スイス戦では後半ロスタイムに決まった勝ち越しゴールで競り勝っ

Football Life vol.84

メルボルン・クリケット・グラウンド。 10万人収容のオーストラリア最大のスタジアムで建造は1854年とその歴史は古い。 2009年6月。サッカーの報道に携わる人間は大忙しだった。6月6日にタシケント、6月10日にさいたま、そして、6月17日にメルボルンとなかなかハードなスケジュールを強いられたのだ。 正直にいえば、1-2で敗れたこの試合のことはあまり記憶に残っていない。覚えているのはサッカルーズサポによる「NIPPON FOREVER IN OUR SHADOW」と書か

Football Life vol.83

パフタコール・マルカジイ・スタジアム。 ウズベキスタンの首都タシケントにあるスタジアムで、岡田ジャパンがワールドカップ出場を決めた場所だ。 僕にとってウズベキスタンは未知の国だった。かつてはシルクロードのオアシスとして栄え、様々な人々が交差した地。その歴史はアラブ、モンゴル、ロシアと強国に翻弄され続けていた。 印象に残っているのは、激遅のインターネット環境と古都サマルカンドでみた荘厳なモスク、大鍋で炊いたプロフ(ピラフ)、そして、当時、独立して20年に満たない若い国を支

Football Life vol.82

ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム。 カタールのドーハにあるスタジアムで、このときはワールドカップの最終予選の取材だった。 僕と同世代以上でサッカーが好きな人間にとってドーハは忘れることのできない街だ。日本代表がドーハで試合をするのは、1993年10月28日以来15年振りだった。 昔を知る同業の先輩はドーハの発展ぶりに驚きを隠さず、僕は日本サッカー史に残る舞台となった街に憧憬の念を抱いていた。 そして、初めて足を踏み入れたスタジアムは僕の想像とはかなり違っていた。

Football Fife vol.81

バーレーン国立競技場。 日本がバーレーンと初めて対戦したのが1978年だ。それから26年振りに顔を会わせたのが、中国で開催されたアジアカップの準決勝だった。 その翌年、W杯最終予選で再び相まみえることになった。 僕が初めてかの地を訪れたのは2005年2月。このときくらいまで、バーレーンは日本にとって未知の国だった。 しかし、それから5年間で対戦したのは実に8回。新鮮だった街も短期間で4回も足を運べば、最後は「もうええわ!」って関西人ばりに突っ込みたくもなる。 でも最

Football Life vol.80

ロイヤル・オマーン・ポリス・スタジアム。 2008年6月、僕はワールドカップ予選に臨む日本代表を取材するためにオマーンの首都マスカットにいた。 僕たちを待ち受けていたのは過酷な暑さだった。 前日練習のとき、準備の良いカメラマンが持参した温度計の針は40℃を指していた。今でこそ東京でも40℃に近い気温になることはあるけれど、当時は未知の領域だった。 ちなみにアラビア湾の入り口を守る港町にはいくつもの砦の跡地が残されていて、荒涼とした赤茶けた岩山のパノラマは一見の価値があ

Football Life vol.79

ラジャマンガラスタジアム。 タイのバンコクにある国立競技場だ。夕方になるとスタジアムの周辺には屋台や出店が並ぶ。 取材を終えて帰りのタクシーを探していたら美味しそうな匂いに誘われて同業者たちと早めの夕食を摂ることになった。 東南アジアと言えば屋台飯が安くて美味しい。いつもならガイヤーンやカオマンガイとか、トムヤムクンやらソムタムなんかを食べる。 この日、試したのは川魚のグリル的なお料理だった。 正直に告白するとこのとき僕はこう思った。 「川魚かぁ、、」 土の匂い