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#99 「叱る」依存から 抜け出せない
最近、以下の本を読んだ。
自分の診療および子育てにも大変勉強になったのだが、コロナ災害の本質にも関わる部分があると感じたので、それを少し記しておこうと思う。
「夜の街」が叩かれた。
「マスク警察」が現れた。
「感染対策が徹底されていない」と専門家は叫び続けた。
「もっと自粛しろ」と国民に訴え続けた。
そしてそして、これは人災ではなく、あくまで「コロナが悪いんだ」との大誤解。
この構図の裏にあるものは何か。
叱る側は、少なからず「権力者」であるはず。
叱る側が思い描く勝手な理想像は、あくまで「叱る人が」望む未来でしかない。
これらの原則を理解するところから始まる。確かによく考えれば、その通りだと思う。
叱ることは、叱る側の処罰感情を充足させ、自己満足という報酬を得る。
この「勧善懲悪」は、人はみな小さいころから良くも悪くも学び続けている。だって、英雄が悪人を倒す物語なんて数えきれないだろう。
人間は弱い存在。少しでもよいから、他者よりも優位に立ちたい。それでいて、自己の満足、心の安定を得たい。
新型コロナなんて厄介なものが叫ばれてしまったから、悪者として仕立て上げ、やっつけたい。
どこまでそれぞれの人が意識的にやっているかわからない。いや、ほとんどの人が無意識なのかもしれない。
でも・・・
「悪と戦い、自分は正義たる」
そんな思いがそれぞれにあるのかもしれない。
叱るを「手放す」には、著者の言う通り、かなりの苦労がいる。人間の本質的な部分に迫るからだ。
でも、コロナ災害の被害者も多くなった今、この「叱る」構図を理解しようとすることは、大切な検証事項の一つだ。
解決策を考えてみる。
・権力がどの立場にあるかを考える。
・一人の人間も、時と場合により、叱る側にも叱られる側にもなり得ることを理解する。
・叱る側、叱られる側それぞれが、自分を主語として話してみる。
・それぞれが考えるよりよい未来を語り合い、すり合わせ続ける。
そんなダイアローグが今求められていると思う。
いろいろなことを考えさせられた一冊。ぜひ、お手に取ってみてください。