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#90 公衆衛生と全体主義

このコロナ災害を通じて、自分が最も失望したことの一つ。

それは「公衆衛生と全体主義の親和性がこんなにも高かった」ということ。

公衆衛生の理念に魅かれ、さまざまな活動に自分なりに参加し、大学院でも学ばせていただいた。公衆衛生の研究者および実践者はもっと想像力があって、全体を見渡せる方々なんだと思っていた。でもそれは幻想だった。公衆衛生に限らず、医療者、さらには人として他人のことを慮り動ける人、それはごく少数だったんだ。その事実を痛いほど突き付けられた3年間だった。

残念ながら、国内における公衆衛生政策は、全体主義を推し進めることに加担した。それも、科学に基づかないという形で。

「自分はコロナの対策をがんばった。」そんな自画自賛はいらない。「当時は戦時中でそれどころじゃなかった、全体を見渡す余裕なんてなかった。」そんな言い訳もいらない。

戦争に突き進んで負けて、ハンセン病の歴史を作り、さらには薬害エイズも経験した。もう過ちは許されなかったはずなんだ。

もちろん素晴らしい医療者・方々もいた。でも、多くの公衆衛生関係者に失望したこをは隠せない。全人的な課題解決に対して、これまでの公衆衛生という枠組みでは太刀打ちできないことがわかった。もっと他分野連携が必須なことは確かで、単にそれぞれの専門家の意見を聞くでは圧倒的に足りない。具体的な連携の仕方まで落とし込まないといけない。さらには、全体を見ることができるバランス感覚のある人材が要所に存在することも絶対的な必須条件だろう。

感染症対策も然り、さらには公衆衛生政策を語るのであれば、「自分たちは全体主義を推し進める可能性を内在している」ということを強く認識しなければならない。

残念だけど、これがコロナ災害で学んだ、僕なりの大きな教訓。

今後の自分の働き方を考えていく。


PS. 以下は参考までに2年前の記事。