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日記#83「曲名忘れたやつの文体」220113

・今日も「作り」の日だったな。自分のためだけのことをやり続けるのはなかなかにだな。

・ポエトリーリーディングについて調べていたら見つけたAkua Naru、いいなあ。ライブの映像なんかピュアで真摯なアートですごく素敵。アルバムも1stはジャズ、Neo Soul風味の強いHiphopでいいですな。これ書きながら聴いてる2ndはオルタナティブな変換を遂げたっぽい。

・また海外の詩について調べていたらエドガー・アラン・ポーの「The Raven」がヒットしたが、これ大学のゼミかなにかで見た気がするな……真面目に取り組んでなかったから中身などはさっぱりなのだが、「The Raven」という文字列は見たことある、気がする。

・朗読している動画も出てきた。和訳してくれてるブログを見ながら聴いてるとなかなか面白い。今後海外の詩にハマるフェーズがありそうだ。

・演奏の動画を作っていたのだが、一発目に撮って編集したものが、どうも動きが激しいような、顔の角度が惜しいような気がしたので、mp4書き出しまで行ったのだが結果取り直しを決意した。

・アテフリだから毎回1テイク、ちょっとした間違いをしてしまってもまあ3テイクほどですぐ取り終えるのだが、今回は15テイク暗い撮り直してしまった。一度細かいところを気にすると、次から次へと細かい箇所を詰めて「完璧」を求めるモードに入ってしまう。

・ようやっとこれだと思うテイクが撮れたので、動画を差し替え再編集しmp4を書き出してみる。するとなんだか撮り直しまくった方がどうにも不自然で、まるで嘘をついているような香りがする。

・最初に作ったものを見直す。遥かにそちらのが良かったので、結局1テイク目のものを採用した。よく「1テイク目が最も良い」「3テイク以上は無駄」なんて言うが、今回はまさにそうした泥沼の3テイク以降にハマってしまったのだろう。自分の直感は信じるべきだったのね。

・尾崎豊の15の夜だったか……何かしらの代表作にもそうしたエピソードがあった気がする。とりあえず歌を1テイク録ってみて、粗さはあったもののプロデューサーがOKを出し、結局1テイクで終了したという逸話だ。それは今でも永遠の名曲として聴き継がれている。曲名忘れたやつの書く文体じゃないだろ。

・恐らくそのプロデューサーはテイクを重ねることによってどうなるかは当然として、尾崎豊というパーソナルや性質など総合的に判断して1テイク目のOKを出したんじゃないかなと思う。僕は尾崎豊のことをほとんど知らないから踏み込んだことは言えないけど、そうした背景があってこそこのエピソードが生まれたんじゃないかなと思う。またそのテイクにしか込められない感情を尊重し、それを世に出すことに価値を感じなければこのようなジャッジはできないので、それも含めて名曲と言えよう。曲名忘れたやつの文体じゃないだろ。


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