見出し画像

生きる ことに 執着する

わたしの父親は2015年10月に享年80歳で亡くなりました。
わたしはがんの代替医療でお医者様と関わることもあったために
闘病の間、父親と医師、医師と母親や家族、互いの理解を深めながら
一緒に治療ができるよう様々な話をしました。

人生の中で初めてだと思えるほど父と話をしました。
わたしは実家を18歳で離れ、名古屋、大阪、東京、仙台、京都、横浜と様々な場所で暮らしていたことから父親とゆっくり話す機会も持ちませんでした。

母親とは、たまに電話で話すこともありましたが
父親とは、実家に帰った際に一緒に飲むことぐらいしかしていませんでした。

目の前の父親が「父親」からがん患者に状況が変わってから、ようやく何かに気付いたように一緒に過ごす時間を持ちました。

約2年の闘病生活は濃密な時間でした。
仕事の合間に何度も実家を訪れて、父親と母親と医師と親戚と・・・
病気のことだけではなく会話ができました。


父親との時間を想うとき
最も強く思い出すのが亡くなる数日前に父親と交わした会話です。


がんも進行し、動くことも話すことも痛みを伴う状態の時期でした。
過去に2度ほど父親の涙を見たことがありましたが、その日の涙は全く違ったものでした。


その時に父親が涙をつたわせながら聞こえるかどうかの声で、わたしに言ったのは「まだ 生きたいのやぁ」という言葉でした。

80歳という年齢も苦しい闘病も現在進行形で続いているのに
その状況にいてもなお、生きていたい。と言ったのです。


他の患者さんとの時間でも伺った言葉でしたが
やはり父親から聞いた言葉は耳にいつまでも残っています。


わたしも53歳をこえ、自身の死についても考えます。
わたしも今生に未練を感じることができるのだろうか。
まだ、生きていたいと思えるのだろうか。

考えることがあります。



欲しいものをたくさん手に入れて、人生の中にどんどん詰め込んで、詰め込んで、ぱんぱんになって弾ける死ではなく

歳と共に枯れながら、しぼむように収束する
静かに消える死が自身の人生に訪れるといいなと考えています。

手にしたものを全て返してから帰る死です。
まだ、年齢の問題で献体の登録ができていませんが、しっかりと体の、細胞の維持をして献体として役目を努めることができればと考えています。


今のわたしでは今生に執着はできそうもありませんが
もう少し生きてみて、この世が恋しく思えるのなら
父親のように「まだ 生きたいのやぁ」と言えるかな。と思います。


わたしの中では50歳を過ぎて人生でいただいたものを誰かに返すための時間だと思いながら毎日を楽しんでいます。
残していただいた時間の粒を最後まで楽しみたいと思います。

返し切って納得していけるように。



市販されていない希少な素材、特にきのこ素材に関心をお持ちの方はお声がけください。興味深い研究をされている方がいらっしゃいます。 サプリメントをただのビジネスツールとしてではなく、人間の体や健康を見ながら研究を重ねている方をご紹介したいと考えております。