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◆日記◆ 「ありがとう」と「当たり前」

「ありがとうの反対語は当たり前」という言葉がある。
何かをしてもらうことを当たり前にしてしまっては、感謝の気持ちが無くなっていく。
してもらえなかった時に、怒りが生じてしまうことすらある。
当たり前とされていることの多くは、善意や礼節によって維持されている。
だから、感謝を忘れないようにして隣人愛的な文化を育んでいこう、というものだと解釈している。

一方で、インドにおいては当たり前のことに対しての感謝が失礼になってしまうことがあると小耳に挟んだ。
「困っている人を助けるのは当たり前のこと。当たり前に自分もするし、当たり前にしてもらう」という価値観があるようだ。
当たり前のことに感謝をすることは「困っている人を助けるのは当たり前」という価値観を当たり前ではないものにしてしまう、ということなのだろうか。

もう一つ、障がいを持った人に対しての合理的配慮に対する「感謝」の問題。
合理的配慮と言うのは、健常者が当たり前に受けているサービスや扱いについて、そうでない人にも平等に受けられるようにする手段を講じることだと理解している。
そのサービスを受けられるようにすることは当たり前のことなので、そこに感謝が入ってしまうと「当たり前のことをしてもらう」ことを当たり前ではないものにしてしまうのだろうか。

・困っている人を助けるのは当たり前。合理的配慮も当たり前。自分もするし、してもらう。
・当たり前なことだとしても、感謝を忘れない事は大切。

この二つは両立できないこともないのでは。
しかし日本の現状において、前者は「当たり前」ではない価値観のようにも感じる。
そのことには悲しさも感じるけど、とりあえず自分から「困っている人を助けるのは当たり前。合理的配慮も当たり前」って価値観で動けるといいなぁ。
あと「当たり前なことだとしても、感謝を忘れない事」も同時にやっていきたい。
完璧になんてできっこないけど、とりあえず今の自分の指針として持っておこうと思いました。

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