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『モナニアム・パスワード』

■BFC3(ブンゲイファイトクラブ3)最終選考対象作品となりましたが、落選した作品。精進します。(2021年10月15日作品)

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 モナニアム・パスワード
                        通天閣盛男

 最悪の出来事だ。うつ伏せで横たわる俺の背中に屹立するのは刃渡り約40㎝の刺身包丁だ。子供の頃飼っていた亀が死んだ時に作った墓の、墓標で立てたアイスキャンディの棒みたいに、それは間抜けに突っ立っていた。
 意識ははっきりしている。だが記憶がない。痛みも感じない。何故俺の背中に刺身包丁が突き刺さっているのか。そしてここはどこなのか。室内である事はわかる。俺は身動きが取れないが空間を認知する事は出来ている様だ。感覚が宙に舞って部屋全体を感じる事が出来る。ここは部屋だ。広さ約40平米程のコンクリートに囲まれた正方形の部屋の中だ。
 この部屋には俺以外に複数の何者かがいる。それは目で見るように詳細に感知する事が出来た。靄の中から影が浮き出す様にそれらは知覚され、やがて鮮明になった。初めに認識したものは人ではなかった。鴨だ。鴨がよちよち歩いている。だが愛くるしいその体にはボーガンの矢が突き刺さっていた。矢鴨とは人の悪意の写し鏡か。次に現れたのは童話から抜け出た様な服装の中年男で、おそらく彼は木こりだろう。それは斧を持っていたからだが、正確には持っていたのではなく彼の頭頂部にざっくりと刺さっていた。頭と眼から流血し手探りで彷徨う姿はまるでゾンビ映画だ。不意に水の跳ねる音が聞こえた。音の在処である部屋の隅へ意識を集中すると、そこには1匹の魚がぴちぴち跳ねて鮮度を誇示していた。魚にはまだ針が刺さったままで傍に釣竿が放置されている。釣り人の姿はなく部屋の中には釣りが出来る場所などある筈もなかった。徘徊する者が木こり以外にもあった。甲冑に身を包み体中には無数の矢が刺さっている。全身に帯びた刀傷からは血が噴き出ていた。落武者だった。解けた髪と哀れな姿は寸分違わぬ落武者の風情である。この異常ともいえる状況の中で、辛うじて意思疎通が出来そうな人物の姿もあった。野球帽を被った少年である。彼は虚な目で力なく立ち尽す。まるで生気がなく本来快活である筈の少年の微動だにしない姿は不気味ではあるがこの中では一番頼りがいのある存在だった。もう一人は女だ。椅子に座りタンクトップ姿で左腕静脈に注射器を刺したまま一点を見つめて動かない。ジャンキー女の血走った目線の先にあるものは黒ひげ危機一髪だった。樽の穴全てに剣が刺さっているが首は飛ばずに接着したままの故障玩具だ。ジャンク同士の睨み合いは続いた。そこへ部屋全体に異様な存在感を醸し出す物体が現れた。巨大な木の杭に串刺しにされた男である。これは15世紀ルーマニアの串刺し公ヴラド3世によって処刑された者に違いない。ヴラド3世は血塗られた経歴よりドラキュラの語源とされている人物である。禍々しさをオブジェにしたようなその杭は部屋の一角を堂々と占拠したのだった。
 我々はどこから来てどこへ行くのか。この不条理の渦中に於いてその問いは不毛だった。だが入った部屋からは出る事もまた可能な筈だ。しかしそもそも俺たちは生きているのだろうか。俺は明らかに致命傷を負っている。俺たちは死んでいるのかもしれない。ここは死後の世界なのか。しかし他の死者たちの姿はどこにもない。では生と死の狭間の煉獄なのだろうか。串刺しの男は死んでいるようにしか見えないがジャンキー女や野球帽の少年は生きている可能性大だ。そして黒ひげに関してはそれ以前の問題でやはり生き死にの境は無関係かもしれない。悪い夢を見ている様だ。これは夢なのか。夢なら覚醒する。煉獄でも昇天という出口がある筈だ。ならば脱出するしかない。だが出口は見当たらず心許ない協力者の姿しかなかった。そもそもこいつらに協力する気はあるのだろうか。コンタクトすら取れやしない。俺は絶望した。何に? 永遠に。冗談ではない。ジョー・ダンテ。パニックだ。訳の分からない事を考えて自滅していく意識の中で知覚したのは俺を見てニヤリと笑うジャンキー女の姿だった。女はこの空間において色んな意味で覚醒しているのかもしれない。俺は女の出方を待った。ニヤリと笑う口元から涎が垂れその先端が地面に付かずに延々と振り子の様に揺れていた。俺は再び絶望した。アンフェタミンのハイな効果に期待してみたがこの空間の何かが女を動けなくさせているのかもしれなかった。
 俺たちは過去からも未来からも断ち切られた場所で待ち合わせた仲間の様だとふと思った。俺たちはあらかじめ決められた場所のある瞬間に何か意味があって集合したのではないだろうか。それは俺たちに共通する何か。その何かがきっと手掛かりになる筈だ。この部屋に居るものの共通点。その事についてはずっと考えていた。皆何かが刺さっているのだ。野球帽の少年を除いて。動かない少年は異様といえば異様だがそれ以外変わった特徴は見当たらなかった。強いていえば左手首が不自然に腰の辺りまで挙げられているくらいだ。俺は意識を集中した。そして少年の左手首をズームする。見ると彼の左手首にはトゲが刺さっていた。これで全てのものの共通点がわかった。俺たちは皆何かが刺さっているのだ。刺さっているものらが集まったのだ。だが一体何のために。その時、野球帽を被った少年の目がギラリと輝いた。なるほど全ては結果から始まっていた出来事だったのだ。野球帽の少年が叫んだ。
「9人揃った!!」


・1番 (ピッチャー) 野球帽の少年
・2番 (キャッチャー) 木こり
・3番 (ファースト) ジャンキー女
・4番 (セカンド) 落武者
・5番 (サード) 刺身包丁の男
・6番 (ショート) 矢鴨
・7番 (レフト) 串刺しの男
・8番 (センター) 黒ひげ
・9番 (ライト) 鮮魚


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