不眠花

 夜、大泉緑地の花壇を眺めていると、カミツレの花が眠るように閉じていることに気がついた。

「見て、花が眠ってる」

 私はそう言ってベッドの中を覗き込んだ。

「えー、ほんとに?」

 彼は疑いながら、光の中に浮かぶ白い花の群れに目を凝らす。

「ほら、こっちは開いてるよ」

 彼の指さす先を視線でたどると、なるほど確かに白い花弁は大きく開いて、真ん中に黄色い雄しべのかたまりを見せていた。

「この子はきっと不眠症なのよ」

 真剣に言ったのに、彼は可笑しそうに笑うだけで相手にしてくれない。私は少しむっとして黙り込んだ。

「ねえ、花には興味ないの? さっきまで色々と撮っていたのに、花は撮らないんだね」

 突然そう聞かれて、反射的に下唇を噛み締めた。『花に興味のない子』という母から貼られたレッテルが、未だに私の身体から剥がれていないことを知る。とっさに並べたいくつかの言い訳は、あまりに子どもじみていて、ここに書き留める気にもなれない。

 思い煩いながら、寝息も立てずに夢を見続ける花々を眺めていると、やはりカメラに収めておきたいような気持ちになっきた。しかし、今さら写真を撮ろうとするのは取って付けたようで胡散臭い。欲求そのものは自然なのに、意識すればするほど作られた行為に映ってしまいそうで、それが嫌だった。

 五月は目と鼻の先にまで迫っているというのに、空気はしんと冷たく、闇に隔絶された私たち二人だと思っていたのに、実際は彼とのあいだにも闇が薄く漂っている。

 耳を澄ませば、私の中の表現欲が煩い。先程までの弱気な自分はどこへいってしまったのか、自分の姿を滑稽に見られようが、もはやどうでもいいという気分になってきた。

 その時になってようやく、私はカメラアプリを起動することができた。

 パンジー、眠るカミツレ、眠れない子たち……。それらを順にカメラに収めていく。作りもののシャッター音が静まり返った広場に吸い込まれる。

「何だか、目玉焼きみたい」

 無意識のうちに呟くと、彼はがっかりしたように、

「女の子ならもっと可愛いこと言いなよ」

 くるりと背中を向けてしまった。

 半ば冗談っぽくではあったけれど、そこに本音が織り込まれていることは明らかだった。傷を隠すために笑って見せたけれど、正確に笑えている自信はなかった。

 花を単純にきれいだと感じることはむずかしくて、可愛い言葉を口にすることさえ躊躇われる、それが私。普通の可愛い女の子でいたいわけではないのに、どうして男たちは私にそれを求めるのだろう。

 期待させないために最善を尽くしているのに、それでもまだありもしない何かを求められている気がする。

 そんなことを考え始めると少し憂鬱になったけれど、軽い男の前で、軽い女を演じること——だってこの人はかつての私を知っているから、軽い触れ合い、軽い会話、それから男に借りた上着から香り立つ甘やかな香水の匂い。

 何もかも、そう悪くはなかった。ただそれだけの理由で、私はまた彼に会ってしまうのかもしれない。

 彼と別れてベッドの中。相変わらず未来を夢見ることのできない私は、どこへもたどり着けない浮き舟に乗り、眠れない夜を漕ぎはじめる。

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