グラスの中の人魚

 太陽はふくらみ、世界は光に溺れていく。
 すべての時間は窒息死、融(と)けたガラスは青褪(あおざ)めて、その中でわたしは永遠に醒めない夢をみた。

 意識が知識に埋もれゆく中で、ふと形状がわからなくなった。(こけ)蘚の生えた指先で、そっと下半身にふれてみる。そこは変わらずカタイ鱗(うろこ)に覆われていたので、わたしはまあるい溜息を漏らした。

 ——人魚は鱗が命なのよ。

 むかし、深海に住む魔女が云(い)っていた。これがなければ、肌はほどけて泡になってしまう。泡になってしまったら、人魚だったころの記憶は、はじけて消える。そこから先は、「わたしは生まれて以来ずっと泡だった」、これだけが真実となる。
 だったら、人魚だって泡だってかまわないのだけど。

 とじた瞼(まぶた)をひらくと、唇の先からふくらんだ泡に、青や緑のサカナたちが吸いついてきて、思いがけず交わしたカンセツキスのことは、パパにはバレないようにしなくちゃ。

 うつくしいものに近づいてはいけないと、幼いころから云われているの。
「奴らは心が穢れているから」と、そのときパパは通りかかったサカナを手につかみ、二つある玉のうち右側だけをくり貫いて、奥につまった闇をわたしに晒してみせた。

 うつくしいサカナを忌むくせに、パパはわたしをみるたびにこう云う。

「おまえは日増しにうつくしくなってゆく」

 その呪文をとなえながら、丁寧に呪いを擦り込むように、水に透けた長い髪をなでてくれるの。うねりたゆたう命の繊維に、枯れ枝のような指が通るたび、わたしのそれは黒に引きずり込まれていく。

 だから、わたしは存在しているだけで矛盾。
 うつくしくって、穢れている。

 辻褄あわせのために、骨を綺麗に取りのぞかなくてはならない。だけど、まだ指が四本しか生えていないから、お箸をうまくつかえない。
 もし五本目が生えてきたら、人間になってしまうそう。だけど人魚でも泡でも人間でも、すべてはおなじ真実で、だからやっぱりなんだってかまわない。

 あのときパパが奪った玉は、今でも鱗の一枚の裏側に、大切に大切に仕舞い込んであるの、だけどこれは誰にも内緒よ。

 シャリランシャリランと鱗を鳴らせば、袖を揺らして乱舞するサカナたち、つられてわたしも水に絡まる。
 ここは巨大なグラス。いつか喉がかわいたら、宇宙はすべてを飲みほして、きっと自身の存在さえもわすれてしまう。

 踊りつかれて眠りにつくころ、熱の玉は海にこぼれ落ち、飽きた空は、月の飴玉を舌で弄(もてあそ)ぶでしょう。

 まどろんだわたしは、冷めたガラスの中で、永遠に覚めない夢を、みた。
 だからここは、永遠のそのまた向こう側。

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