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夢野久作『殺人リレー』オリジナル・リメイク版(前編)

 私が女車掌として働いているバス会社に、新高竜夫という男が入社してきた。
 私たちの前に立ち、「新高(にいだか)です。よろしくお願いします」と簡素な挨拶をする彼の顔を見て、あの切れ長の目に見つめられたらたまらないだろうなと思った。
 朝礼が終わり、それぞれ自分の持ち場に移動し始める。私も、バスが停まっている駐車場へと移動する群れの中に交じった。
「新高さんって彼女とかいるのかしら」
「いるに決まってるじゃない、あんないい男」 
「でも、結婚しているわけじゃないでしょ。あたし、迫ってみようかしら。あの人、奥手そうだからこっちから行かなきゃ」
 前を歩いている先輩たちが口々に噂するのが聞こえてくる。 
 私も手を伸ばしてみたい衝動に駆られたけれど、先輩たちと違って地味な容姿をしている自分には縁のないことだと言い聞かせた。

 一時過ぎにいったん事務所に戻って、休憩室に入った。端っこの席で黙々と煙草をくゆらせている新高さんの姿が真っ先に目に飛び込んでくる。
「あら、ツヤ子ちゃんこっちいらっしゃいよ」
 部屋の真ん中あたりのテーブルを陣取っていた先輩たちに呼ばれて、私はそっちに近付いた。
 椅子に座り、家から持参した弁当の包みを解く。
 先輩たちの会話に適当に相槌を打ちながら、卵焼きや煮物を口に運び、時々横目で彼の姿を盗み見た。
 他の運転手たちは、私たちに寄ってきて軽口を叩いたちセクハラまがいの口説き文句を吐きかけてきたりするのに、新高はちらりともこちらに興味を示さない。つまらなそうに壁の貼り紙に視点を定め、ただ煙を吸っては吐き出しているだけだ。
「新高さんなら、話しかけても無駄よ」
 こっそり見つめていることを気取られたのだろう、先輩の一人が小声で話しかけてきた。
「どういう意味ですか?」 
「さっきあたしたちで質問攻めにしたんだけど、女嫌いなのか、それとも単に話すのが面倒なのか、最低限の答えしか返してくれないのよ」
 先輩は残念そうにため息をつくと、私の反応も待たずにまた他の先輩たちとの会話に戻っていった。

 夏に入り、窓がひとつしかない待合室には熱気がこもるようになった。
 半袖ブラウスの胸元へうちわで風を送りながら私は、先輩たちに交じって午後の中間休憩を取っていた。差し入れがある時は和菓子でもつまみながら話せるのだけど、今日はそれがないので紙コップ入りのお茶だけで凌いでいる。
 新高さんが入社してから、三カ月が経過した。骨身を惜しまず働く彼は重役からも一目置かれており、順調に昇給を重ねているという噂だった。
「あ、新高さんだわ」
 先輩の声に反応して、みんなで一斉に彼の方を振り返った。 
 扉の前に立った彼と、一瞬、目が合った気がした。睨みつけられたわけでもないのに、なぜか背筋が冷えたとした。
 彼は腕に夏蜜柑の入った小箱を抱えていた。
「これ、よかったらみなさんで食べて下さい」
 と、彼は私たちのところへ寄って来て、小箱をテーブルの上に置いた。
 かと思うと、私たちが礼を言うのも待たずに、こちらへ背中を向けて待合室を出て行ってしまった。
「これ、丸藤の夏蜜柑よ。三つで十銭もするのに、それをこんなにたくさん」
 先輩の浮足立った声が蒸し暑い部屋に反響した。それをぼんやりと聞き流しながら、さっき背筋に感じた不気味な快楽について思いを巡らせた。

 週末、父から大事な話があるといって居間に呼び出された。
 ちゃぶ台を挟んで向かい合って座る。普段、父とこんなふうに真面目に話す機会がなかったから、何事だろうかと不安になった。
 湯呑の茶をひとくち啜り、父が口を開いた。
「勤め先の専務から、お前に縁談が来てるんだ」
「縁談、ですか」
 突然のことに言葉を失った。いつかはこんな日が来るだろうとは予測していたが、うちは妹もいないしまだまだ先だろうと高をくくっていた。
「相手は誰ですか」
「職場に新高という男がいるだろう」
「新高さん? まさか」
 思いもよらぬ名前に、心が大きく波打った。
「私の会社の専務が彼のことをいたく可愛がっていてね。その方直々にいただいた話だから、無下に断ることもできないんだ。お前はどう思う?」
「職場でも優しくて勤勉だって噂になっている方ですもの。私、喜んでお受けいたしますわ」
 答えながら、これが現実であるということをまだ半分信じられずにいた。

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