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シェイクスピア参上にて候第二章(ニ)


第二章 近松門左衛門の登場


(ニ) 沈没船引き上げの許可を本社よりいただく

コーダー城の「メイズ」での出来事ののち、わたくしはさらに城内散策を続け、小川の流れを見つけたり、建物の中にも入ったりして、部屋などを見て回りました。全体的な印象として、コーダー城は、やはり、庭園の美、庭園とお城のマッチングの調和が素晴らしく、スコットランド各地にある代表的なお城群の一つとして数えられる資格を備えていました。

それより何より、わたくしにとってのコーダー城は、御先祖様との対面の場であり、大いなる使命受諾の場として記憶されるべきものとなって、そちらの方が余りにも大きくのしかかってくるお城となったことは、読者の皆様にもご理解いただけるものと思います。

さて、宿泊先にしてあるクロデン・ハウスホテルに戻って、鶴矢軟睦先輩とブロデリック・マッコーリーさん、それにわたくしの三人は、夕刻、クロデン・ハウスホテルのレストランで食事を一緒にすることになりました。

マッコーリーさんが私たちとの会談と宿泊の場にクロデン・ハウスを選んだ理由が非常によくわかったのですが、ホテルのスタッフたちの感じよさとホテルが放つ寛ぎ感と伝統的な品格の香りが、一つの絶妙なハーモニーを作り上げて、お客に心からの満足感を与えてくれるホテルでした。

スコットランドのビーフや魚料理などが非常に美味しく味付けされ、料理人たちが丹精を込めて作り上げた極上の食事を一品一品、大いに満足して、いただくことができました。

たった二十八室しかないホテルと言えば、小振りのホテルという印象ではありますが、客室の一部屋一部屋に独特の工夫が凝らされ、現代ビジネス精神が好む画一化を徹頭徹尾避けており、贅沢な寝室、ゴージャスな浴室、家具、シャンデリア、暖炉に至るまで、手を抜いたところは一つもなく、極め尽しの真心接待を行っているホテルでした。なかなかこういったホテルはあるものではありません。

食事を終えて、マッコーリーさんの部屋へお邪魔し、ゆったりとした高級ソファの一人掛けに鶴矢先輩とわたくしがそれぞれ、マッコーリーさんを挟む形で座り、二人掛けのソファにマッコーリーさんがどっしりと座りました。

「鶴矢さん、わたしのヨットはいかがでしたか。あのメガヨットは特別注文で作ってもらったものです。いろいろと私の注文が入っているヨットです。是非、私のヨットに乗っていただきたいと思って、鶴矢さんを呼んだのです。仕事の相談ももちろんありますが。」

「いやあ、驚きました。これまで、あのようなヨットは、見たことも乗ったこともありません。船体モデルと言い、船内のデザインと言い、素晴らしいヨットです。どこで造っていただいたものですか。」

「アメリカのロードアイランドにあるアルデン社に注文を出して、造ってもらいました。ヒンクリーもいいですが、わたしはどちらかと言えば、アルデンが好きです。私の注文を細かいところまで、よく聞いて造ってくれましたので、感謝しています。

フランスもヨット製造ではなかなか魅力的なものを造っていて、どちらかと言えば、芸術的センスのあるヨットが多いですね。しかし、私のアメリカの友人がアメリカにしろと迫ってきて、私の好みに合うアルデンがありましたから、結局、アメリカ製に落ち着いたということです。」

「目的地まで四十分、滑るように走っていった乗り心地は抜群でした。近松君が一緒に乗っていれば、さぞかし、感動したことでしょうに、私一人楽しませていただきました。」

「本当に、今日は、お付き合いできず、済みませんでした。お二人の話を聞きますと、最高の気分をヨットで味わわれたとのこと、マッコーリーさんの高級ヨットに乗らなかったことが悔やまれますが、わたくしはわたくしで、大いに満足のいく一日を過ごすことができました。

コーダー城をつぶさに説明してくれる日本人の大学教授に会いまして、本当に大助かりでした。その大学教授の姪っ子さんが、わが社のロンドン支社に勤務する米倉アキ子さんだと聞いて、びっくりするやらで、ロンドンのオフィスに立ち寄ってもいいかと聞かれるものですから、どうぞお越しくださいと答えました。」

わたくしは、ここまで話し、コーダー城で近松門左衛門様にお会いし、「リヤ王と国姓爺」の劇作の地上での代理執筆を依頼されたなどという異次元話はしませんでした。

鶴矢先輩には、そのうち、機会を見て、すべて話そうと思いますが、ロンドンの再建グローブ座でシェイクスピア様にお会いしたあの異次元交流についてもまだ話していません。

しかし、こののち、鶴矢軟睦先輩もまた、わたくし同様に、シェイクスピア様にも近松門左衛門様にも大いに見込まれて、抜き差しならないお付き合いが始まろうとは、わたくしも、このクロデン・ハウス会談の時点では予想もしていませんでした。

「そうか、よかったな。コーダー城に詳しい便利な教授にばったり出会うとは、近松君の日頃の行いが物を言ったかな。そして、おまけに、米倉アキ子さんだ。これにはほんとにびっくりだね。ぼくもその教授に会ってみたいよ。オフィスに立ち寄ってくれるんだね。大いに接待してあげようじゃないか。」

「そうです。きっとオフィスに立ち寄るとそうおっしゃっていました。京都大学の歴史地理学の教授です。萩野琢治とおっしゃる先生です。」

「近松さんも今日はなかなか有意義でしたね。ヨットの方は残念でしたが、またいつか乗っていただきましょう。その教授は京都大学ですか。東京にいるわたしの娘のメアリーの夫が京都大学の工学部を出ていて、西川島播磨重工に勤めています。」

マッコーリーさんは、萩野教授の勤務している「京都大学」という言葉に強く反応し、自分の娘のメアリーの夫君がそこの卒業生だと、話に割り込んできました。

「さて、それでは本題に入りましょう。今日ご案内しましたあのポイントの真下に沈没船が眠っています。この引き上げを鶴矢さんの所へ金融資金面、引き揚げ作業面、両面のお願いを、正式にお願いするつもりでいます。

結果はどうなるかわかりませんが、東京の方でよい結論を出されることを望んでおります。鶴矢さんには、東京の方にその旨をどうぞよろしくお伝え願いたいと存じます。」

「今日のヨット走航の快適さは格別な体験としてエンジョイ致しましたが、さて、マッコーリーさんも御存じのように、沈没船引き上げの一番の問題は、引き上げにかかる費用よりも沈没船の財宝の価値が大きく上回らなければ意味がないということになります。

まだ分かりませんが、あの場所での引き上げには、どんな困難があるのか、あるいはそれほど困難はないのか、どのようにお思いでいらっしゃいますか。」

「全くおっしゃる通りです。わたくしが引き上げを決断した最大の理由は、引き上げの費用をペイして余りある財宝を沈没船は積んでいるからです。そうでなければ、引き上げなど考えることもありません。」

「水深や水温などはどうですか。北海南部のドッガーバンクは水深が浅く、二十メートル前後の浅瀬になっているそうですが、北海の北部に当たるあの場所はそれよりも、当然、深いと見てよいでしょうね。」

「今日訪れた場所は、水深四十七メートルです。水温は季節により異なりますが、十度±五度ぐらいでしょう。夏は十五度から十七度くらい、冬は五度前後と見ていいと思います。

歴史的には、海戦が多くあったドッガーバンクの浅瀬の方に難破船や海戦での沈没船が多く眠っているのですが、北部スコットランドの海域での沈没船はちょっと珍しいかもしれません。

ノルウェーとスコットランドの間に挟まったこの海域では、おそらく、古代からバイキング船の往来があったでしょうし、収奪で満載した財宝ともども、嵐か何かで沈んでしまったバイキング船とも考えられないことはないですが、あの沈没した帆船は時代的に見て、バイキングの時代とは大きな隔たりがあり、明らかに十八世紀初頭と判断するほかありません。イギリスの船である可能性は非常に高いと見ています。」

マッコーリーさんと鶴矢先輩のやりとりをわたくしは興味津々と聞いておりましたが、次の質問には、そんなことを訊いていいのかという気持ちと同時に、なるほど、そこまで訊かなければならないなあといった一つの感懐を覚えました。

「非常に率直な疑問と言いますか、単刀直入にお尋ねしますが、沈没船を引き上げなくても、積載されている財宝だけを運び上げたらいいではないかとお思いになりませんでしたか。

三百年前の沈没船を無事に地上に引き上げるというのは、大変なことです。形状をそのままに保ち、注意深く引き上げるには、技術的に高度な内容が当然必要となるでしょう。その辺のことを率直にお聞かせ下さい。」

「ある意味において、いや、極めて核心的な問題意識において、と言ったらよいでしょうか、財宝だけを引き上げ、できるだけ多くの経済的利益を手に入れるというだけであれば、御社に依頼するという今回のこの話はありませんでした。別な方法を取っていました。

しかし、そうせずに、ご相談に至った私の真情は、歴史遺産として、十八世紀の帆船を世に現したかったということです。かなりの費用を要すると思いますが、それでも財宝の大きさから言って、利益は十分に出ます。

厚く積もった泥の中に眠っていた帆船は、海底の水温が低いこともあって、保存状態がよく、ちょうどミイラ化した状態に近く、引き上げる価値があると見たのです。木の材質も固く、木材の腐敗もほとんど進んでおらず、非常に丈夫に造られた帆船であると判断しています。」

「いや、恐れ入りました。気高い精神をお持ちのマッコーリーさんの真情を察して、感銘致しました。その辺のことも含め、東京本社に前向きに報告し、今回のマッコーリーさんの相談を実現させる方向に、私なりの努力を致したいと思います。」

マッコーリーさんの沈没船引き上げの根本動機を聞いたわたくしの印象として、サルベージ会社を経営する一人のスコットランド人の社長というより、立派な英国紳士の品格と風貌を見たという感じのほうが強く脳裏に残り、日本の武士道と英国の紳士道をだぶらせつつ、東京本社が良い返事をしてくれたら有り難いなあと念じるような気持になりました。

インヴァネスからロンドンに戻った鶴矢先輩とわたくしは、具体的に、東京とのやり取りのための資料作成に取り掛かりました。

沈没船引き上げとは一体どういうものであるのか、鶴矢先輩とわたくしは様々な観点から、予想される諸問題の発生をも含めた検討事項を付記するかたちで報告書を仕上げました。

そうして出来上がった報告資料はパワーポイントのスライドが三十枚ほどのもので、松尾一茶部長のパソコンのアドレスへ添付され、送信されました。

「沈没船引き上げに関する依頼:経過報告および検討の要請」とタイトルを付け、特に懇意にしている松尾一茶部長へ「沈没船引き上げという稀有な案件を前向きに検討されたし」の一文を添えて、鶴矢先輩は報告書を送信したのでした。

沈没船の財宝は誰のものかという非常に実利的視点と行政的視点の相克するもつれが、しばしば、発生する沈没船引き上げに関して、本社が消極的になるのではないかといったことは当初から予想されることなので、その点を克服できる人物が人格的に優れたマッコーリー氏であることを報告書には強調しておきました。

水中文化遺産と言うべき沈没船の取り扱いについて、インヴァネスの市行政はどういう判断を示すか、スコットランドはどういう反応を示すか、英国政府はどう出てくるか、船の持ち主などとっくの昔に亡くなっており、誰であるかも特定できない状態で、沈没船は英国領海内に存在しているものの、ただそれだけで、沈没船の財宝はすべて英国の所有権に属するといった声明が罷り通るのか、そういうことが現実的には、一番引っかかってくる問題であることを見極めて、鶴矢先輩とわたくしは報告書を作成し、東京本社が逃げ腰にならないように、配慮したのです。

マッコーリーさんには、非常に優秀な弁護士がついていました。エディンバラ大学時代の友人で、ベンジャミン・オーデンという人物です。

彼はユダヤ系英国人ですが、マッコーリーさんがこれまで遭遇した数々のトラブルをことごとく解決してくれた誠に有り難い人物です。

マッコーリーさんとオーデン氏の話から、一応の大まかな今後の展開が話し合われていることが分かりました。

それによると、引き上げの費用はおよそ四〇億円から五〇億円だろうと予測していること、財宝の時価総額は、二〇〇億円は下らないという概算があること、引き上げの費用を差し引いて、百五十億円の収益が見込まれること、そのうち、マッコーリーさんのサルベージ会社は三十億円を手にすればよいと考えていること、依頼先のわが社に対しては、引き上げ費用を含めて八十億円の支払いを考えていること、残りの四十億円は、インヴァネスなり、スコットランドなり、英国なり、行政組織へ渡すつもりでいること、などが分かりました。

マッコーリーさんの狙いは、あくまでも、十八世紀初頭の帆船を世に出すという水中文化遺産の地上展示にあるので、帆船の形状を保って引き上げるというところに重点が置かれていて、そのような技術面の評価を考えて日本の商社に仕事を回してきたという動機もあって、財宝の収益をそっくりネコババしようという考えは最初から毛頭ないことがはっきりしました。

水中文化遺産の取り扱いに関しては、二十一世紀の時点においても、明確な法的規定が進んでいるとは言えず、各国でもいろいろな異なる判断基準があって、そこに弁護士の働きが大きく関わる状況があることも分かってきました。

ましてや、最初から行政各機関とぶつかるつもりで沈没船引き上げを目論んでいるわけでもありませんから、この仕事はやりやすいのではないか、という一応の安心感、安堵の気持ちを抱かせるものがあると言えます。

そんなことを鶴矢先輩とわたくしは、いろいろ話し合っていたのです。揉め事を食い止める能力のある人がいるかいないか、それが優秀な弁護士の存在という一点に帰着することを誰よりも理解している人物がマッコーリーさんであったというわけです。

本社からの返事は、思いのほか早く、一週間後に受け取ることができて、東京の迅速な対応と検討にわたしたちはびっくりしました。

松尾一茶部長が鶴矢先輩のパソコンに送信してきた内容によると、今回の沈没船引き上げの件については、基本的に引き受ける姿勢で検討していくことが決まったという返事でした。

そのことを、早速、マッコーリーさんに伝えると、非常に喜んでくれました。各種の情報の収集と分析などを主目的に活動している私たちのロンドン支社ではありますが、いわゆる、営業とまではいかなくても、このような突然の変哲な内容の依頼に対応する中で、収益を生む仕事を勝ち取るといった結果に繋がることもあるということです。

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