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アーカイブスの怪 その1

私は、アーカイブス、すなわち、膨大な記録の集積所に勤務している。ちょっと変わった勤務先であると言えば言えなくもないが、一般的に見れば、至って退屈な仕事場であろう。しかし、私は、この職場を結構、楽しんでいる。

どういうことかと言うと、記録を保管しているところは、それだけで、過去の歴史をずっしりと背負いこんでいるような場所であり、事実、人間の様々な営みの記録が眠っているのである。記録された内容が、私の検閲作業によって、カテゴライズされていくとき、記録は蘇りの機会を与えられるのであるが、それらの記録が私にいろいろと語りかけてくる。これが面白いのである。

もう少し、細かく説明しよう。アーカイブスは、言うまでもなく、過去の記録の集積を言うが、集積されている場所もまたアーカイブスである。

私の会社は、エヌ・エイチ・エイ(日本放送連合、ニホン・ホウソウ・アソシエーション)という半官半民の放送事業会社が持っているアーカイブスであり、十年前、栃木の那須塩原の一隅に建てられた。その建物の玄関には、『那須アーカイブス』という表札が掛けられている。大手新聞社のメディア関係資料、大学の貴重な研究資料などがここに預けられており、また、民放各社のありとあらゆる映像が押し寄せている。保管技術の最高度の優良保持性と、閲覧、検索の最先端の超高速利便性を誇る故に、日本の歴史と時代を担ったアーカイブスたちが最後の落ち着き場所として、この『那須アーカイブス』に怒涛の如くに押し寄せ、やってくる。

全ての新聞記事、全てのテレビ放送の番組、主要大学での様々の研究資料などは、不可避的に、アーカイブスになる運命を背負っている。活字であれ、映像であれ、おおよそ、人間のなしたる業で何らかの記録として残されたものは、漏れなく、全てアーカイブスになるのである。これは明明白白たる事実である。

総員四十八名の勤務者たちが、『那須アーカイブス』では、それぞれの役割分担を決めて、黙々と仕事に取り組み、一日が終わる。今日も、私は一日の仕事を終え、玄関を出たところで、同僚の倉田俊三にばったり会ったので、こう語りかけた。

「おい、倉田君、駅前の喫茶店でコーヒーでも飲もうじゃないか。」

「いいね。ちょうど、今日は、おもしろい話があるんだ。タイトルだけではちょっと分からない過去のテレビ番組があって、再生して見たんだが、これが、見ても何のことやらさっぱり分からない。聞きたいだろう。穂積太郎先生。」

倉田俊三は、私のことをからかい半分に「穂積先生」と呼ぶ。それは、私の語り口調が、彼の高校時代の担任の先生の口調にそっくりだという理由からである。

二人は、喫茶店で、倉田が見たというその不思議なテレビ番組の話をした。倉田俊三が熱心に語ったそのテレビ番組は、結局、放映には至らなかったものであるが、何のために制作されたのか、その目的がまさに「謎」であった。公にされることもなく、お蔵入りになった某社のテレビ番組の怪である。

「ううん。聞けば聞くほど、ミステリーそのものだな。僕もそれを見てみたいから、明日、是非、見ることにしよう。『ウサギとイグサ』というタイトルからして、ちょっと想像しにくい内容だが、今の君の話によれば、その内容たるや怪の三乗ぐらいはありそうだな。怪に次ぐ怪で、ただ単に面白がってふざけて作ったもののようだが、そうとばかりも言えないような気がする。まったく謎めいている。」

「おまけに、四十五分の番組の最後に、『隔靴掻痒』、『右顧左眄』の四字熟語が二つ並んで、画面に大きく映し出される。人を食ったような話だ。穂積先生、わけの分からない「謎」を是非解いてもらいたいね。お願いしますよ。」

倉田俊三と別れて、小山にある自宅に戻ってからも、十八年前、某テレビ局の制作した番組『ウサギとイグサ』の怪が頭を離れず、早く見たいという気持ちで一杯だった。そして、明くる日のそのときがやってきた。

倉田と私は、例の『ウサギとイグサ』を再生した。番組のタイトルは『開局30周年記念特別番組「ウサギとイグサ」』であった。ちょうどその年が卯(うさぎ)年にあたっていたことから付けられたと思われるタイトルである。しかし、なぜ「イグサ」が出てくるのだろう。素朴な疑問が走る。番組の冒頭、番組司会者の青木勇次郎がこう話した。

「今年は卯年に当たります。そこでわが阿佐日テレビは開局30周年を記念して『ウサギとイグサ』を特別報道番組として制作し、視聴者の皆様の日頃からのご愛顧に応えることとしました。」

こうあいさつの言葉を話したところで、撮影中のスタジオを3匹のウサギが駆け抜けた。どうみても明らかに不自然であった。出てきてはならないところで、ウサギが突然現れてしまったという印象を与えたのである。しかし、番組は中断されることなく、また、撮り直しを行ったという感じもなく、そのまま続行された。

「今、目の前を3匹のウサギが駆け抜けましたが、気にしないでください。ウサギをテーマに取り上げた番組にウサギが登場するのは極めて自然なことです。そのようにご理解いただきたいと思います。」

何事もなかったかのように、司会は言葉を繋いだのであるが、この司会者の言葉はどこか不自然な印象を与えた。突然、降って湧いたような、シナリオにない想定外の突発事に心を動かされることなく、番組を進めていこうとする意思と微かな焦りが司会者の口調に感じられた。「気にしないでください」と言われても、余計、気になるではないか。あとで登場するはずのウサギが、早々と冒頭から何の脈絡もなく、出てきてしまった。どう見ても、そんな感じであった。

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