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芥川龍之介の深層を推考する


「芥川龍之介の深遠」

芥川龍之介(1892-1927)は、日本近現代史の中に輝く知性とその知性ゆえに払拭できない葛藤のはざまにあって、解決不可能の苦悩を抱えた天才小説家であった。

一体、龍之介の苦悩の核心にあったものは何であったか。これは、芥川という作家を研究する際に、非常に私たちの興味を引くテーマである。

彼の作品のいくつかに現れる、いや、ほとんどの作品と言った方がよいかもしれないが、一つの問題意識が浮かび上がってくる。

それは、悪の問題であり、悪の中心部分にしつこく棲みついているところの「愛の問題」と言ったらよいだろうか。

たとえば、「悪魔」という短編があるが、最後に悪魔が語る本音のようなものが表白される。面白い作品である。

信長の時代、伴天連(宣教師)の「うるがん」が、清らかな姫の輿(人を乗せる乗用具)の上にいた悪魔を捕える。

宣教師と悪魔のやり取りが物語のほとんどであるが、その悪魔は姫を堕落させたいという思いと清らかな魂を持つ姫ゆえに清らかなままにしておかなければならないという錯綜した真逆の感情に苦しんでいることを伴天連に語る。

この作品の結論は、悪魔もまた、人間と同じような業の深さに苦しんでいるのだと取るか、それとも、悪魔(ルシファー)の持つ「誘惑して人を堕落させる」という本性が人間たちに業の深さを見せつけているのだと見るか、ふと考えさせられるのである。

芥川龍之介がどちらを意味して書いたのかが、問題の核心であると言える。

芥川は、悪の存在、悪の原因をただの文学的な遊びとして書いたのか、深刻に悪の原因、悪の存在(実在性)に向き合っていたのか知る由もないが、芥川龍之介にとっては、「悪」というテーマ、問題意識は深刻であったと見てよいだろう。
 
「閻魔大王が脅迫しても愛を否定する道はない」

がらりと変わって、芥川の『杜子春』を見ると、愛の利他性を語る側面が見られる。すなわち、母を呼び求める純粋で絶対的な愛である。

芥川の「杜子春」という作品は、貧しい杜子春に現れた仙人が黄金のありかを教え、貧しかった杜子春が金持ちになるという話である。そして多くの人々が友達として近付いてきたのであるが、お金を使い果たすと人々は去ってしまった。

そこに、また仙人が現れて、黄金のありかを教え、杜子春は再び豊かになるが、お金がなくなるとみんな去って行った。

こういう話であるが、最後に、黄金は要らないから、仙人になりたいというところまで話が進み、そのためには、「何があっても声を出すな」ということを守り通せば、仙人になれると、仙人は杜子春に申し渡す。

様々な魔性が襲い掛かかるが、杜子春は声を出さない。しかし、「返事をしなければ命を取る」という神将に返事しなかったので殺されてしまう。そして、杜子春の魂は地獄に落ちる。

そこでも耐えられない責め苦に遭うが声を出さない。それを見た閻魔大王は杜子春の両親を連れてきて、滅茶苦茶に殴りつける。

耐えかねた杜子春は「お母さん」と一声叫んでしまった。その声に気が付いてみると、杜子春は元の世界に戻っていた。

自分は仙人にはなれないと、杜子春は仙人に告げた。そして、人間らしい正直な生活を送ると仙人に告げる。

黄金(富裕な生活)も仙人になることも諦めた杜子春は、唯一、家族愛の持つ利他的な絆(親子、夫婦、兄弟の愛の関係)の前に屈し、「お母さん」という声を発したことを話しの結びとしたことの意味は、愛を否定する道はないということではないだろうか。
 
「愛の利己性と利他性」

「悪魔」という短編の中に見るように、悪魔の持つ誘惑の本性は、純潔な乙女を我が物にしようとする利己愛(略奪愛)の特徴を持っている。

悪魔はそれが悪いことであると自覚していても愛の誘惑という業の深さ、強さの前にどうすることもできない、そういう愛の歪み、愛の逸脱、利己愛に悪魔は陥っている。

一方、「杜子春」に芥川龍之介が書いたように、家族愛の絆の深さである親子愛、特に母の無条件の愛などは、たとえ地獄の中にあっても、利他愛の特徴を完全に失うことなく、愛の絆の深さを示している。

このようなことが一般的であるとすれば、愛には、悪魔のような利己愛(略奪愛)と母のような利他愛(無条件の愛)の相矛盾する側面があるという不条理な側面があり、この如何ともしがたい矛盾性を、芥川龍之介は鋭く観察し続けていたように思われる。

ただ観察していただけでなく、自身、深刻な悩みの中にいたようで、妻や子がある身でありながらも、襲い来る利己愛と戦っており、おのれの命を断った人生への訣別という深刻な結論は、分裂した二つの愛の矛盾と相克の中に、納得のいく答えを見出せなかったことではなかったのか、そんなことを推考してしまうのである。

あくまでも推測の域を出ないが、愛の矛盾性の解決法に答えを出せない苦悩が芥川の命を奪い取ったのだと見ることができるような気がしてならない。

「悪魔」を描いたのが、1918年のことであった。ちょうどその年、内村鑑三は再臨運動を起こす。来るべき再臨のキリストが人類の悩みを解決して下さるという内村の確信は、愛の救いはイエスにあると叫んだかもしれない。

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