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マニラ・バニラの不思議 その1

8月9日。マニラ。渡辺稔は、フィリピンの友人ホセ・ドマゴソとシュー・マート(略称SM、フィリピンに多くあるショッピング・モール)にいた。灼熱の炎天で、人々は暑さを避けてショッピング・モールの中に逃げ込んでいる。渡辺もホセもそんな二人であったが、ちょっと違った。モールに目当てのものがあるのだ。

フィリピンは、アメリカ型の巨大ショッピング・モールが多い。雑然とした町並みや物乞いするストリートチルドレンなどを見ると、まだまだ貧困から抜け出せない問題の多い国だと感じるのであるが、堂々たるショッピング・モールなどに行けば、ここはアメリカのどこかのショッピング・モールかなと錯覚するほどだ。日本にもないような立派なモールがあちこちにある。そういう意味では、完全にアメリカ文化の移入を成し遂げている国である。

さて、渡辺稔は、何のためにマニラに来ているのかと言うと、アイスクリームを食べるためである。えっと驚く読者も多いだろう。アイスクリームなど、日本のどこでも売っている。美味しいアイスクリームも一杯ある。どうして、マニラにまで行ってアイスクリームを食べるのか。何か特別なアイスクリームでもあるのか。

答えは極めて簡単である。あるとき、渡辺は思った。マニラでバニラを食べたらどうなるか。マニラでバニラ・アイスクリームを食べるから、マニラ・バニラだ。素晴らしい。何と素晴らしいことだ。無性に感動してしまった。かくなる想念に取り憑かれてしまった渡辺は、これまで一度も行ったことのないフィリピンへの渡航を計画し、首都マニラでバニラを食べるという歴史的な試みを決行することとなったのである。

今、念願かなって渡辺はマニラにいる。一緒にいるホセは日本語ぺらぺらの現地案内人である。ホセは長い間、日本で暮らしていたが、そのとき、渡辺が住んでいるマンションの隣の部屋にいたのがホセであった。ホセは日本の女性と結婚し、渡辺の隣の部屋で暮らしていたのである。そういうわけで、ホセと渡辺は日本で友人となっていたのである。

「ミノル、君の念願であるアイスクリームをこれから食べることにするが、本当に君はバニラ・アイスクリームを食べる目的だけでマニラに来たのかどうか、ぼくには信じられない。ほかにもっと何か重要な目的があるのではないのか。ぼくに本当の目的を隠しているのではないのかね。マニラでバニラを食べる。一体、このことに何の意味があるのだ。」

「何も隠していないよ、ホセ。マニラでバニラを食べるのさ。このことにぼくは歴史的な意義を感じる。あるいは、宇宙的と言ってもいいようなドラマを感じる。一つの偉大なドラマだ。マニラ・バニラ。この得も言われぬシンフォニーにも似た響きは、ドラマ以上だ。宇宙生命の音響的完成だ。」

「君の説明は、ぼくにはさっぱり分からない。どこがドラマだ。何がシンフォニーだ。宇宙生命の音響的完成、何のことやらちっとも分からない。」

「誰にも分からないだろう。無理に分かろうとしなくてもいい。深すぎるからなあ。この響きにはぞくぞくするような快感がある。たまらない愉悦がある。」

「付き合いきれないよ。よく言えば、われわれ凡人の想像を絶する世界に、君はいるみたいだ。悪く言えば、ただのバカだ、アホだ。そういうことになるよ。」

「こんな会話でいつまでも無駄な時間を過ごしたくない。早速、マニラ・バニラを食べることにしようではないか。あそこのコーナーにアイスクリームを売っているところがあるね。ホセ、君が案内してくれようとしているのはあの店だろう。」

「そうだ。以前、あそこでバニラ・アイスクリームを食べたことがある。それで、思い出して、案内するんだ。言っておくが、どうってことのない普通のバニラ・アイスクリームだ。いたって普通だ。がっかりするなよ。」

こうして二人は、アイスクリームを売っているショッピング・モールの一角にやってきて、同じバニラ・アイスクリームを注文した。ほどなくして、カップにはいったバニラ・アイスクリームが店員から渡された。二人は店の椅子に腰を下ろし、バニラ・アイスクリームを食べ始めた。

ホセは何ら変わりない様子で、普通にバニラ・アイスクリームを食べ始めた。一方の渡辺はというと、左手にバニラのカップを持ち、右手にプラスチックの小さなスプーンを握っている。しばらくじっとバニラ・アイスクリームを見つめていたが、深呼吸して、最初の一掬いのスプーンを突き刺そうとしたとき、それを停止し、ホセに言った。

「ホセ、これはぼくの記念すべきマニラでのバニラ・アイスクリームを食べる貴重な瞬間だ。歴史的な瞬間だ。写真に収めてくれ。ここにぼくのパナソニックのデジカメがある。しっかり撮ってくれ。頼むよ、しっかり撮るんだぞ。」

カメラを渡されたホセは、渡辺がバニラにスプーンを入れようとしている瞬間を撮った。二枚三枚とシャッターを押した。ホセは心の中で、何が歴史的な瞬間だと思いつつ、シャッターを押した。

「うまい。実にうまい。この最初のひんやりとした一口が、口の中にとろりと溶け出して広がる味わいは、東京の青山などで食べるバニラとは全く違う極上のうまみがある。これは間違いなく、ぼくが想像していた通りのマニラ・バニラだ。ぼくは間違っていなかった。マニラ・バニラは特別なうまみがあるだろうと予想していた全くその通りの味をぼくは今味わっている。神に感謝しなければならない。」

「ミノル、ぼくには、東京のバニラとこのバニラのどこがどう違うかは分からないけれど、これはいたって普通のバニラ・アイスクリームの味で、特別にどうってことのない味だと思うのだが。どこが極上のうまみなのか、見当もつかないね。」

「君も鈍い奴だなあ。分からないかい、このバニラのスペシャルな味が。このようなうまさは、日本では「まいう」と表現するんだ。「うまい」を超えた美味しさは「まいう」と言われているんだ。まさにそれだよ。」

「うまいか「まいう」か、知らないけれど、このバニラは、極めて普通のバニラだよ。特別な感じは少しもしないね。ミノルはすこし、いかれてしまっているんじゃないのか。正常な感覚とはとても思えないね。」

「君と議論するつもりはない。君の感覚は完全に麻痺していると思う。神経組織が正常に働くように病院で診てもらったほうがいい。ぼくが思うには、マニラに住んでいる人たちは、バニラ・アイスクリームを食べるとき、何の気なしに無意識に食べている人たちが多いのではないか。おそらく君もその一人だろう。これが大きな間違いだ。

マニラの人々は気付くべきだ。マニラという都市が発する特別な波動があり、それがバニラに途轍もない影響、つまりは、味の効果を与えているのだ。簡単に言えば、マニラとバニラの激しい共鳴現象が起きるのだ。マニラではバニラが共鳴のうなりを上げているのだ。東京やニューヨークでは引き出されないバニラの隠れた味が、マニラでは見事に引き出されてしまう。マニラ・バニラの美味しさの秘密はそういうところにある、これがぼくの結論だ。」



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