見出し画像

シェイクスピア参上にて候第九章(三)


第九章 アメリカの混迷と未来


(三)シェイクスピアは米国を祝福する

五代佐吉さんの活躍とは別に、金興彬さんは父親の経営するIT企業「ベスト&チェーゴ ソリューションズ」のいくつかを訪問しました。

ニュージャージー州、ジョージア州、テキサス州、カリフォルニア州の四つの州を選んで会社の四大拠点となっている工場を回り、また、モールの自社製品販売店などを訪ねました。この視察に同行したのがわたくしです。

「近松さん、私と一緒に行きませんか。広いアメリカのあちらこちらを見るのもいいじゃありませんか。私は話し相手が欲しいんですよ。年齢もほぼ一緒ですし、同行してくれるとありがたいなあ。どうですか。」

この金興彬さんのリクエストに喜んで応じることにしたのです。折角だから、アメリカの南部や西部をしっかり見ておきたいと思い、ためらいなく同行を決めました。

まず、ニュージャージー州のニューアークにある工場を訪問し、次に、ジョージア州のアトランタにある工場、三番目に、テキサス州のオースティンにある工場、最後に、カリフォルニアのサンノゼの工場およびモールの店舗を訪ねるという順序で、東から南へ、そして西へと大移動する視察の旅でした。

アトランタではストーン・マウンテンを観光し、テキサスではサンアントニオのリヴァーウォークでゆっくりと一日を楽しむ機会に恵まれました。

そして、最後のサンノゼでは、テック・イノベーション博物館、バラ十字古代エジプト博物館を見て、サンペドロ・スクエアマーケットで飲食を楽しむという流れでしたが、「B&C SOLUTIONS 」の四大拠点を通してアメリカの現況を見た大陸大移動、そして工場視察と観光という三位一体旅行を敢行したことになります。「B&C SOLUTIONS」の四大拠点は、立派なものでした。

ニューアーク、アトランタ、オースティン、サンノゼ、いずれも清潔でモダンな、広大に過ぎるほどの平屋建築の中で従業員が静かに働いている姿は、何か荘厳な感じがありました。

よく見ると、アングロサクソン系、中南米系(ラテン系)、アジア系、アフリカ系の人々が、一緒に働いていて、人類が一つの家族であるような錯覚にとらわれました。少なくとも、李龍彬社長は、人種の差別などとは縁のない人物であるようでした。

四か所を訪問した感想を率直に言えば、とにかく、アメリカは大きい、そして、底知れないエネルギーを持っているという印象です。

アメリカを舐めてかかったら、必ず痛い目にあう。そう思わせる国家のエネルギーが感じられ、わたくしは、李興彬さんとの米国旅行の中で、そのことを痛感したのです。

シリコンバレーの賑わいの場であるサンペドロ・スクエアマーケットでの飲食をわたくしと李興彬さんは共にすることができませんでした。

と言いますのは、食べたいものがそれぞれあったからです。わたくしは、「ピッツァブカルッポ」のマルゲリータ(ピッツァ)を見て、無性に食べたくなって注文しました。

李興彬さんはどこか別のところへ行ってしまいました。

注文したピッツァを屋外へ運び、涼しいところに置かれたテーブルに腰を下ろして、ゆっくりと夕食を取りました。食事を終えて、コーラもほぼ飲みつくすころでしたが、そのときです。誰かわたしの名を呼ぶ声がしました。

「才鶴さん、才鶴さん。アメリカにいらっしゃいましたね。どうですか、アメリカは。」

その声は、紛れもないシェイクスピア様のものでした。やはりアメリカに来たわたくしを背後でじっと見守ってくださっていたのです。

「これは、これは。シェイクスピア様。本当に、わたくしの人生はあなた様に見守られている人生です。

ロンドンでの交通事故でわたくしをお助けくださいましたあのとき以来、シェイクスピア様との縁が切っても切れないものとなりましたが、まさか、アメリカまではと思っていたわたくしが間違っておりました。

と言いますのは、確か、1620年が清教徒たちの北米大陸への上陸ではなかったかというわたくしの記憶によって、シェイクスピア様のお亡くなりになった1616年を考えあわせると、シェイクスピア様の意識の中にアメリカはないだろうと勝手に判断しておりました。

過去も現在も未来も越えて、自在に行き来されるシェイクスピア様であることを今、知りました。霊の世界の法則はほとんど知らないと言ってよいわたくしですが、とにかくも、シェイクスピア様にアメリカでお会いできましたことは感激の至りです。」

「ははは、そういう細かい年代認識の中で、わたしのこととアメリカとの関係を考えていたのですか。

説明しても実感はないと思いますが、霊の世界は時間認識、そして空間認識を超えています。

過去と現在と未来が一緒にある世界です。過去が現在の中に入り込み、未来も現在の中に包摂される世界です。

永遠の昔も、永遠の未来も「今」の中に吸収されるのです。ですから、霊の世界は、「永遠の今」があるのみです。説明すればするほどわからなくなるかもしれません。

まあ、そのことはいいとして、私、シェイクスピアはアメリカを非常に愛しています。

アメリカの作家たちは欧州にはない感性を持った人が大勢います。米国史では、少し古い時代になりますが、私と同じウィリアムという名の人物がいます。ウィリアム・ペンという人で、十七世紀に活躍した人です。

この人は、作家というより、宗教家、思想家、政治家といった側面が強いですが、霊の世界で、わたしは彼と意気投合し、親しい友人となりました。

どうしてかと言うと、ペンは彼の信条をこのように話してくれました。『最も悪い人間であっても、自分を真に愛していると思った人には害を加えようとはしません。ですから、愛と忍耐こそが、最終的には勝利を勝ち取るのです』。彼のこのような言葉は、非常に有益な教訓だと思います。

若い時代に信じたクエーカー教の教えに影響を受け、時代を先走るような理想主義的な言動が多く、問題を引き起こすタイプでしたが、彼の心は非常に純粋でした。

彼は、どのような信仰を持つ人でもアメリカ大陸の一定の土地に招き入れ、その土地を開拓し、整備していきました。そこは「ペンの森」、すなわち、「ペンシルバニア」と呼ばれています。

ウィリアム・ペンの自由な魂がペンシルバニアにはあります。古い事柄にとらわれやすいヨーロッパよりも新しい天地、自由な天地を望んだペンにアメリカは感謝しなければならないでしょう。」

「確か、その人の名前はわたくしも聞いたことがあります。ペンシルバニアがペンに因んで付けられた名前とは知りませんでした。」

「さて、ピルグリム・ファーザーズの話を見る限り、イギリスを母国としてアメリカが誕生したというふうに、一応、私、シェイクスピアは考えていますが、欧州に見られない特徴をアメリカ文学が示す理由として、やはり、移民の国というお国柄に立っていることです。

英国を出発点としながら、米国の歴史は、欧州大陸からの移民、アフリカからの奴隷、ユダヤ系の流入、中南米からの移民、アジアからの移住など、アメリカは人種のるつぼになっています。

そのことから、アメリカ文学は欧州にない意識、すなわち、移民社会の活力と相克、多様性を描く作家が大勢いるということです。

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の中で、主人公のホールデンが故郷を飛び出して、ニューヨークに向かい、そこでむしゃくしゃする出来事を経験したのち、ホテルで朝食を取っていると、感じの良い二人の尼僧に会います。

そのときに話題にしたのが『ロミオとジュリエット』でした。ホールデンは、気分が良かったのか尼僧に10ドルを寄付します。

このような些細な場面で、サリンジャーが私の作品を持ち出してくれたことに感謝しています。ささやかな場面であっても、私の作品を意識してくれた作家たちの姿勢は有難いものです。

エドガー・アラン・ポーやマーク・トウェインなどは私の好きな作家ですが、私には彼らのような作品は到底、書けません。

ポーのあの寂寥感、荒涼感はぞくぞくとさせる筆致であり、私が描く悲劇とは違う異次元の手法です。霊の世界で、私とポーはしばしばそのことについて語り合いました。

また、マーク・トウェインは最もアメリカ人らしい作家ですが、彼の楽天性と善良性は英国人の私には欠けていると認めざるを得ません。」

「恐れ入りました。十九世紀や二十世紀の作家たちとも自由に交流されているとは、驚きです。アメリカ文学の特徴的なことをお聞かせいただければ幸いですが・・・。」

「アメリカの歴史は、黒人奴隷の暗黒史と結び付けられることが多いことは私も知っています。

私が書いた悲劇の中に、『オセロ』があります。ヴェニスの軍人オセロを主人公にしたものです。彼はムーア人で黒人です。部下のイアーゴの姦計に掛かって妻のデズデモーナを殺してしまうという悲劇です。

アメリカ大陸における黒人の歴史は苦難の多い歴史だったことは言うまでもありません。

その苦難を見事に劇作品として、アメリカは勿論、全世界に注目されるものに完成させた人物がオーガスト・ウィルソンです。

彼は自ら黒人劇作家として、黒人たちが味わった苦難を劇場作品に書き上げました。彼が劇作家であることが、私をいたく惹きつける理由にもなっていますが、私は、彼を二十世紀最大の劇作家であると認めています。

劇場には、創作の素晴らしさとリアリティの迫力、この両方が求められますが、オーガスト・ウィルソンのリアリティは圧倒的なパワーを持っていますので、創作の論議が霞むほどです。」

「聞けば聞くほど、興味深いお話を本当にありがとうございます。現在のアメリカまで注意深く関心を注いでいらっしゃるシェイクスピア様にお聞きしたいのですが、これからアメリカはどうなるのか教えていただければさいわいです。」

「そういう質問が来ると思っていました。あなたの心が伝わってくるからです。建国二百年余りで世界の頂点に立ち、世界をリードしているアメリカです。何か特別な使命がアメリカにはあると考えた方がよいですね。

アメリカのすべてが完全であるとかそういう話ではありません。問題はたくさんあるでしょう。それにもかかわらず、アメリカは非常に重要です。

文学者の私がアメリカを政治的に論評することは相応しくないと思いますが、少なくともアメリカに独裁的なリーダーは出てきても、アメリカが独裁国家になることは考えらません。あくまでも民主主義的な国家です。

しかし、まさに地上には独裁国家の誘惑に駆られている国、あるいは独裁国家そのものが存在しています。

国民を真に幸福にする意図を持たない国家です。そして一部の支配者が富を独占搾取する国家です。

アメリカはそれらの国に対して立ち上がります。それがアメリカです。これ以上話すことはありません。それでは、才鶴さん、アメリカの滞在を最後まで楽しんでいってください。」

そういう言うや否や、シェイクスピア様の姿は消えました。シェイクスピア様の言葉は、一つ一つ含蓄の深いものでありました。

わたくしはアメリカ訪問において、しかもITの最先端基地であるサンノゼのサンペドロ・スクエアマーケットでの夕食時に、忽然と、シェイクスピア様の御来臨を受けることになりましたが、アメリカを祝福するシェイクスピア様の言葉を聞いて、改めてアメリカを見直したい気持ちになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?