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山形抒情旅行 その4【最終回】

庄内の食の恵みを満喫堪能したのち、向かったところは、湯殿山の山腹にあるお寺だった。ただのお寺ではない。即身成仏した尊い仏を安置しているという古刹である。大日坊瀧水寺という名のお寺がそれである。九十六歳で土中に生身の入定を果たした真如海上人というお方が見事な即身成仏として、今もなお、厳然たる姿で僧衣を着せられて坐しておられるのだ。

その前に立つと、身の引き締まる思いがする。心を正さなければならないという粛然たる気持ちになる。二百年以上も前の天明の世に生きたお方である。徳川の世にあって、純真不動の信仰を貫き通し、衆生の救済に誓願を立てて生き抜かれたその姿は、九十六歳の天寿の全うに至るまで、慈悲の実践の生涯であった。

この寺の拝観には、手順がある。まずお祓いを受けるという神聖な儀式を通過したのち、この寺に関する住職の説明を受ける。そのあとに、真如海上人との相見ゆる謁見のひとときが許されるのである。そのくらいの手順はあってしかるべきである。尊い真如海上人にお会いできる僥倖を思うならば、世の穢れはまずもって払い落さなければならない。

瀧水寺は人の死に関与しない。すなわち、葬式などを執り行わないお寺である。では、何をするのかと言えば、祈願をもっぱらとするお寺である。祈願寺なのである。歴史的に、天皇家と深い関わりを持ったり、徳川家と深い関係を持ったり、とにかく、格式が高い。その辺の寺ではないというのが偽らざる実感であった。時代の権力中枢と関係し、中心指導者たちに関わるさまざまな深い悩みに答えてきたのだと言う。

腐蝕して体がなくなってしまわないように即身成仏する技術は、一体、どのような工夫を凝らしたのであろうか。まず、即身成仏を目指すような僧侶は、日常の食事の取り方が違う。ご飯や魚、野菜といったものは贅沢なものであり、このような食事は一切避けられる。修道僧の口にするものではない。山草や木の実といったものだけを摂取して生きるのだ。これを木食(もくじき)と言う。そのような苦行を七十年に亘って実行したのが上人である。いよいよ死期が近付いたのを悟ると、体の腐蝕防止のために、漆汁を飲むのである。これによって、体中にウジムシなどが湧いて体を腐らせるようなことがなくなる。食事のほうも塩と水だけになる。こうして、土中に入り、最期の時を迎えるのである。

とにかく、見事な即身成仏を遂げたことは間違いない。その毅然とした風情には、心身の一切の乱れもなく、完全な臨終を飾ったことの証しがあった。姿勢の乱れがほとんどなく、高徳の人であることを雄弁に物語っていた。

山形の地は、即身成仏が多いと言われる。まさに、信仰の地である。出羽の山々は霊山として、崇高な宗教精神をはぐくむには最適の場所であったに違いない。真如海上人との対面は、私の心に信仰の尊さを教えてくれた。合掌。


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その日の夜、私は蔵王の温泉に宿泊し、一人ゆっくりと考えた。山形という土地について、また、山形の地に住む人々について考えた。十月十二日から十三日にかけて、山形抒情旅行というべき優雅な旅を、私は楽しんだわけであるが、銀山温泉の抒情、最上川の抒情、庄内レストランの抒情、即身成仏の安置された古刹の抒情、というふうに山形抒情を思い起こして、熟考するうちに、一つの揺るぎない或る確信が胸の中を駆け巡った。

山形の人々、遭った人々の温かさと情の深さ、これは確かなものであると感じられた。山形は自然に恵まれた土地である。とにかく、自然が素晴らしい。山、川、平野、海を抱く自然の豊かさ、そして、そこにはぐくまれる豊かな自然の産物の数々は、人々の心を豊かなものにする。自然の恵みと共に生きてきた山形の人々が、自然を愛する心を持っているのは当然であるが、この自然と人間の暮らしの一体化こそ、山形の人々の心の温かさと情の深さを生み出す根源となっている要素であろう。

とりわけ、最上川の意味を深く考察すべきであると思うが、この川の素晴らしさと山形の人々の歴史的な暮らしとの結びつきを理解するときに、山形という地が解き明かされてくるに違いない。と同時に、月山、鳥海山、朝日連峰、蔵王などの山々の存在が、もう一面の山形の意義を形成する。しばしば、姿かたちのよい山は宗教と結びつき、信仰の対象となる。古来、山形は信仰の地である。即身成仏の究極的信仰は他府県を圧倒する。

このようにみると、山形県人の精神は、山形の自然がはぐくんだ「慈愛心」とも言うべき優れた精神の構造を有していると考えていいのではないか。

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