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山形抒情旅行 その2

朝食をいただいて、次のところへ向かった。今日は最上川を下るのである。山形と言えば最上川、最上川と言えば山形、両者は表裏一体である。最上川を知らなければ、山形を知ったことにはならない。

最上川の川下りは、大先輩として、かの有名な松尾芭蕉がいる。五月雨を集めて早し最上川、の句は余りにも人口に膾炙されている名句であるが、最上川はそれほど速い流れの川ではない。むしろ、母の懐のように深く、広く、ゆったりと、ゆるやかに流れる。見た目にはっきりとそのように映る。芭蕉が歌った最上川は、雪解け水が入って、増水し、流れに勢いがついた頃の時期であったに違いない。五月雨という言葉にそれが表れている。

古口の乗船所から草薙の降船所まで、最上川の舟下りを楽しむという計画は、地元の友人が強く勧めてくれた結果、実現したものであるが、天候にも恵まれ、その友人の矢田君も合流して、この上ない舟下りとなった。

最深のところで十四メートルもある最上川は、山形の数知れない山々の水を集めて流れる川であるから、水量は多い。魚も多い。沢ガニも多い。一言で言えば、豊かな川である。この川の恵みから山形の人々は多くの恩恵を歴史的に受け取ってきた。お米やベニバナなどの山形の各地の物産はこの川の流れに乗って、河口の庄内、酒田の地へと運ばれ、それらはさらに日本海を西へと進んで関西方面へ運搬されていった。豪商本間一族の誕生も最上川の水利を最大限に掌握した者の成功談として理解される一面が当然あるであろう。

最上川下りは屋形舟で下ったのであるが、私たちの舟には十数人の乗客があり、船頭はガイド役として、なくてはならない存在であった。幸いにも、女性船頭の美人さんが当たって、おまけに歌がうまいときたから至福の舟下りとなったのである。ただし断わっておくが、彼女の言葉は生粋の庄内方言であり、地産地消の純ヤマガタ弁であった。そこがまた御愛嬌でもあったということになろう。

およそ一時間の舟下りは、秋の日差しを浴びながら、両岸の山々の色づき始めた山肌に目をやりつつ、ほとんど波打つこともない最上川の水面の深い青緑の水の色をかき分けて、悠然たる平和な航行であった。戦いの人生に疲れた人間が、もしその魂の癒し場所を探しているとすれば、最上川を舟下りすることである。荒ぶる魂はたちどころに和らぎ、限りない心の平安が訪れるだろう。

ただ、船内が唯一の賑わいで満たされていたという事実は、美人船頭のガイドと彼女の美しいのど自慢の民謡にあったということにすべてが帰着すると言わざるを得ない。いろいろなことを語ってくれて、それはそれで大いに参考になり、勉強になったが、何と言っても圧巻は、ガイドの唄であった。非常に美しい声の持ち主であり、のびやかな素晴らしい歌声であった。

最上川舟歌を披露してくれるということで、女性ガイドがその紹介をする件があった。世界三大舟歌を知っていますかと乗客に質問を投げかけた女船頭さんは、キョトンとしている乗客に答えを言った。一つは、ヴェニスの舟歌、二つはボルガの舟歌、ややあって、三つ目を最上の舟歌であると宣言した時、船内には笑いの渦が巻き起こった。

そういう貴重な歌をこれから歌って聞かせてくれるというわけであった。そして唄が始まった。


よ~いさのまかしょ え~んやこらま~かせ~
え~えんや え~えんや え~え
え~えんやえ~と
よ~いさのまがしょ え~んやこらま~かせ~

酒田さ行ぐさげ 達者(まめ)でろちゃ
よいと こらさのせ~
はやり風邪など ひがねよに

え~えんや え~えんや え~え
え~えんやえ~と
よ~いさのまがっしょ え~んやこらま~かせ~

股ん大根(まっかんだいご)の塩汁煮(しょしるに)
塩がしょぱくて 食らわんねっちゃ

え~えんやえ~え え~えんやえ~と
よいさのまかしょ え~んや こらま~かせ


唄が終わったとき、拍手大喝采であった。美人船頭の唄はうまかった。みんな、うっとりと聞き惚れた。最上川舟下りには二十名あまりの船頭がいて、それぞれがお客に唄のサービスをしているのだという。そしてそれぞれの船頭たちはそれぞれの持ち味があって、誰がいいと一概に言えないであろうが、私たちの美人船頭は実にうまく歌ってくれたと思う。神に感謝したい。

しかし、これで終わりではなかった。この唄はあまりにも世界的に有名な名曲であるので、英語バージョン、韓国語バージョン、中国語バージョンなどがあると言う。そして、本日は英語バージョンを歌ってみたいと言い出し、早速、唄が始まった。


Yoisanomakasho Enyakoramakase
Eenya eenya Ee eenyaeto
Yoisanomakasho Enyakoramakase

I’m going now to Sakata;
Stay strong and healthy;
Yoito korasanose
Don’t you catch your death of flu.
I will come back soon.

Eenya eenya ee Eenyaeto
Yoisanomakasho Enyakoramakase

Make a tumip salty stew;
It’s so salty, can’t stomach it.

Eenya ee Eenyaeto
Yoisanomakasho Enyakoramakase


これまた大爆笑の渦であった。唄の途中で、囃子のところは万国共通であるとしてそのまま歌い、アイム・ゴーイング・ナウ・トゥ・サカタ、とか、アイル・カム・バック・スーン、など分かりやすい英語のところでは、どんな英語音痴でも聞き取れて、乗客はゲラゲラと笑いざわめいた。こんな田舎のこんな泥臭いずーずー弁の唄が、今や英語で歌われ、世界の唄となった。ああ、うれしや。ああ、うれし。そういったところであろうか。

あっという間の一時間の川下りは終わったが、実に中身の濃い一時間であった。最上川はその長さが二百二十九キロメートルに及ぶ立派な河川であるが、それだけの長さを山形県の中だけで流れるという離れ業を演じている。

長い河川は、大抵、幾つかの県に跨って流れているものである。しかし、最上川は、山形県の山形県による山形県のための河川であることを天下に宣言している。見事な川であると言わざるを得ない。「モガミ」と発音しないで、「サイジョウ」と読めば、これはまさに最上の川であることの何よりの証拠である。



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