悲しみを食らう男 その1
細川貞治(ほそかわ・じょうじ)は、アメリカ人を父親として持ち、日本人を母親として持つ青年である。現在24歳であるが、彼の生活といったら自分の部屋で静かに一日を過ごすといったものであり、活動的な感じは全くない。というよりも、彼は本当に生きているのか死んでいるのかという疑問がもたれても仕方のないような生活を送っている。
アメリカ海軍軍人であるジョン・フィールディングは横須賀のカフェで働いていた細川美佐子と一緒になり、二人の間に一人息子の貞治(じょうじ)を儲けたのであったが、二人は間もなくして離婚した。貞治が二歳のときだった。美佐子が貞治を引き取って育てたのであるが、父親の面影を強く持っている貞治は、学校時代から周りの友人たちに、アメリカ人、アメリカ人とからかわれ、日本社会がいまだにどこかに持つところの特有の偏狭な差別感の中で、孤独な人生を紡いでいかなければならない運命を背負った。
彼は、自己の内面に深く沈潜していく生活を余儀なくされたが、中でも、逃避場としての役割を果たした読書と音楽は彼の人生における最大の友であり、そのほかには友という友はどこにもなかった。音楽の楽しみといっても、楽しい音楽は全く駄目であった。悲しい調べのみが彼を惹き付けた。例えば、ビージーズの「ホリディ」を聴きながら、小さな声で口ずさみ、静かに泣いているのである。
ウー ユラ ハリデイ、 サッチ ア ハリデイ
ウー ユラ ハリデイ、 サッチ ア ハリデイ
ハリデイなどと歌ってみたところで、楽しいハリデイであるはずはなく、貞治にとっては、とても悲しいハリデイであろう。悲しみの極まるところに彼は自らを置きたいと願うのである。そんな感情が一体どこから来るのか分からない。どうも楽しさというものは彼には似合わないようだ。悲しみの方がぴったりとくる。彼は悲しみを食らう男なのである。悲しみを糧にして生きている男なのである。
細川貞治は、ビージーズの楽しいダンス・ミュージックには何の関心も示さなかった。「サタデイナイト・フィーバー」の類は微塵も彼を惹きつけなかった。同じビージーズでも、むしろ、「傷心の日々」を聴きながら、彼は大いに心を動かされた。貞治は一度も恋愛の経験をしたことはなかったが、「傷心の日々」の曲には深くのめり込んだのである。彼にとって、音楽とは悲しみの表現でなければならないという彼自身のための決まりがあった。
母は一生懸命働いて貞治を育てた。母は色白の美しい女性であったが再婚することもなかった。男性はもうこりごりだ、と口癖のように言った。美佐子は一人息子の貞治を大切に育てた。貞治は母を心から尊敬し愛した。母ひとり、子一人の生活は深い愛情の絆で結ばれていた。貞治にとって、この世に愛というものを信じることができるのであるとすれば、それは、母親の愛情というものであった。母の愛を疑うことはできなかった。
貞治は成蹊大学を出た。大学を終えるまで友人らしい友人がなかった。貞治にはその意味がよく分かっていた。彼は自らあえて友人を、男であれ女であれ、作らなかったのである。貞治に興味を示す女子学生も少なくなかったが、彼は恋人を絶対に作らなかった。彼にとって、女性とは母ひとり、ただ母親だけが女性であった。母の純粋な愛情だけを受け入れ、母の献身的な愛のなかに崇高な香りを感じた。
彼は外から帰るとすぐに自分の部屋に閉じこもり、音楽を聴いた。そして静かに本を読んだ。悲しげなメロディーの音楽、悲しい歌詞を歌い上げる音楽、孤独な気持ちを歌う歌、そういう曲だけがライブラリーを飾っていた。本にしても、悲劇的なものがほとんどであった。読み終わった後、3日間くらいはひとり布団の中ですすり泣くようなものが本棚を飾っていた。細川貞治をすっぽりと包んでいるもの、それは悲哀と言う名の悲しみのオーラであり、彼から立ち上る蜃気楼は悲しみで揺らいでいた。
先ほど、会社から帰ってきた貞治は、自分の部屋に入るや否や、ベッドに身を横たえ、じっと天井を見つめていたが、おもむろに、身を起してライブラリーから浜田省吾のCDを取り出して聴いた。ハマショーの孤独感が貞治は好きである。「もうひとつの土曜日」、「片想い」、「サイレンス」、「悲しみは雪のように」「路地裏の少年」などが流れてくると、ジーンと悲しみを独り心の中に催しながら、たまらない気持になってくる。
なぜ、貞治は心に躍動感を持つことができないのか。それは余りにも明白であった。父親がいない寂しさである。もっと言えば、なぜ、父は母を捨てたのかという心の叫びである。ジョン・フィールディングはなぜ細川美佐子を捨てて行ってしまったのか。そのことについて、母の美佐子は貞治に一切語らなかった。愛はそんなに悲しいものなのか。心の中で幾度も繰り返されてきた問いを、また、貞治は自分自身の心の中で聞いている。
どういうわけか、父親からの遺伝子の所為か分からないが、貞治は、英語は人並み以上によくできた。そのせいもあってか、外資系の会社で面接を受けて、彼は一発で採用が決まったのであった。
貞治の容貌を見て、会社のキャサリン・グッケンハイムは、あなたはアメリカ人なのかと、貞治に対して彼の素性を尋ねてきた。それはついさっき、帰宅する一時間ほど前のことであった。会社が終わり、ビルを出たところで一緒になり、二人は横浜駅まで歩きながら話をした。貞治は、自分の父がアメリカ人であることをキャサリンに明かした。
キャサリンは、貞治のことがとても気になると言った。悲しそうにしている貞治が気になって仕方がないと単刀直入に言ってきた。どうして、そんなに悲しそうにしているのかと訊いた。人生はもっと楽しいものであるべきだとも言った。貞治はずっと黙ったままだった。何も答えなかった。
先ほどのキャサリンとのやり取り、と言ってもキャサリンの一方的な喋りをただ聞く一方だったが、それを思い出しているところで、ハマショーの曲の方はいつしか「片想い」に変わり、貞治はじっと聴き入った。キャサリンの態度には、私はあなたを変えなければならない、とでも言うかのような使命感に燃えた不思議な雰囲気が漂っていた。あなたの悲しそうな人生態度をわたしがきっと変えてみせるわ、と言いたげな、挑戦的というか、凄んだ態度があった。
悲しみの染み付いた貞治という人間が、一朝一夕にして、できたのではないことは彼自身も分かっている。幼年時代、小学校、中学校、高校と大きくなっていく中で、深く心の中に悲しみが積もり積もって定着し、自分でもどうすることもできない沈殿物として、凍て付いた悲しみがすっかり凝り固まってしまったのだ。
そこに、正義の味方のように、キャサリンが現れたというのか。とんでもない。ごめんだ。ほっといてくれ。貞治は他人の過度の干渉を恐れるところがあった。いや、少しでも入り込んでくる人があれば、男であれ、女であれ、その人間を極度に恐れ、警戒した。心を閉ざしていることは自分でも分かっていた。しかし、どうすることもできない。
それにもうひとつ、どういうわけか、総じて、アメリカ人を好きになれない感情が働いた。と言うより、許せないという気持ちがどこかにあった。アメリカ人を非常に気にしている一方で、決して好きになれないという錯綜した感情が、アメリカ人に対して働いたのである。
その理由もまた明白であった。ジョン・フィールディングはなぜ細川美佐子を捨てて行ってしまったのかという拭い切れない気持ちが、貞治の中に鬱積し、渦巻いていたからであった。大げさな言い方をすれば、父親の問題を介在させつつ、アメリカもしくはアメリカ人とどう向き合うかという宿命みたいなものが貞治の上にのしかかっていたのである。
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