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悲しみを食らう男 その3

このよう事実を分かち合うようになって、細川貞治とキャサリン・グッケンハイムは、その心情的な距離を急速度に縮めていった。

二人はお互いのことを何でも話し合うようになり、お互いに深く理解し合う仲になった。キャサリンはダーラムの街で生まれ育った。両親が、ジョン・フィールディング牧師の教会の信者であったので、キャサリンもその教会に小さい頃から連れられていった。教会と言えば、キャサリンはそこしか知らなかった。

キャサリンは、声がよく通り、歌がうまかったので、教会の聖歌隊のリーダーに推薦され、高校時代、大学時代には、教会の聖歌隊のリーダーを務め、一生懸命、奉仕に励んだ。それはつい数年前までのことである。

大学時代は、地元の大学でシステム情報学科を学び、システムエンジニアを目指した。IT関連の会社に勤めて間もなく、横浜にある日本支店に勤務することになった。アメリカからの派遣メンバーが13名、日本人の勤務者が26名という日本の横浜支店であった。

貞治は、成蹊大学の理工学部情報科学科で学んだあと、キャサリンの会社に勤めることになるが、貞治の異常な陰鬱さに目がとまったキャサリンが、世話焼きのように接近してきたことは、一体、これから何が起きようとしているのか。

キャサリンは、すぐさま、ジョン・フィールディング牧師のメールアドレスに、アメリカのIT企業の横浜にある日本支店で働いている自分のところに、細川貞治が一緒に働いていることをメールした。事の次第は、貞治から聞いたと伝えた。

貞治と二人で撮ったスターバックスでの写真を、牧師のメールに送った。自分の面倒をよく見てくれたフィールディング牧師、聖歌隊で頑張った日々、すべてが懐かしく思い出されると書き添えた。貞治はなかなかハンサムであるとも書き加えた。

これを受け取ったジョン・フィールディング牧師は、奇跡的なことが起きていると飛び上がらんばかりに喜んだ。

「主はすべてを知り給う。主はすべてを導き給う。ああ、主よ。すべてを感謝します。主の恵みは計り知れない。主の計らいは人知を超えています。主よ、感謝します。」と、何度も何度も、感謝の言葉を言った。

フィールディング牧師は、送られてきた写真の貞治の顔をじっと見入った。素晴らしい青年に成長している貞治の姿であった。キャサリンも美しく写っていた。フィールディング牧師の目には、大粒の涙があふれていた。喜びと感動の涙であった。

早速、キャサリンに対して、ジョンはメールで返した。

「キャサリン、ありがとう。本当に心から感謝します。私は、今、神様が起こしてくれている奇跡の中にいます。感謝と喜びの心でいっぱいです。本当にありがとう。」

このメールを受け取って、キャサリンもまた、感謝に満ち溢れ、喜びに満たされた。キャサリンの心の中に、人生は全く分からないものだという思いと同時に、神様は確実に一人一人の人生を見つめておられるという思いが同時に沸き起こった。

細川貞治は、日に日に変わっていった。彼に付きまとっていた暗さはどこかへと消えた。父親のことを深く思うようになった。無性に、父親に会ってみたい気持ちになった。父親は、非情な人間でなく、自分に誠実で、自分の心の痛みと向き合う姿勢を持っていた。罪の償いを神の前に祈り求める真摯な心を持っていた。そのことが分かった。

フィールディング牧師は、真実を誤魔化してしまうような卑怯な人間ではなかった。旧約聖書の中のダビデ王が、人妻(バテシバ)との不倫のあと、灰を被って、神に許しを請い求めた記述があるが、そのような悔い改めの心があった。父に対する尊敬心のようなものが、貞治の心に湧いてきた。もはや、父を憎むような心は一片もなかった。アメリカに対する憎しみも消えた。心が晴れてきた。

ある日、キャサリンが貞治に言った。

「貞治、あなたのお母さんとわたしたちで、三人の写真を撮らない?この前、あなたとわたしの写真、スターバックスで撮ったあの写真よ、あれをフィールディング牧師にメールで送ったところ、とても喜んでくれたわ。だから、今度は、あなたのお母さんまで入れて写真を撮って送るのよ。どう。いいでしょう。フィールディング牧師はとても喜ぶと思うわ。」

「それはいいね。そうしよう。お母さんにお願いしてみるよ。」

貞治が、美佐子にお願いをすると、快く応じてくれた。それで、三人は、日曜日に、横浜の中区にある三渓園で、写真を撮ることにした。当日、よく晴れた日で、写真を撮るにはとてもいい日和であった。場所をあちこち変えて、たくさんの写真を撮った。その中から、キャサリンは10枚ほど選別して、フィールディング牧師のメールに添付した。

キャサリンは美佐子と初めて会って、その若さに驚いた。40代半ばとは、到底、思えず、30代半ばにしか見えなかった。そして美しかった。

フィールディング牧師が、メールを開いてその写真を見た時、彼は一気に泣き崩れた。美佐子の写真の姿を見て、懐かしさと音信不通で過ごしたおのれの罪とさまざまな思いの入り混じった複雑な感情が揺らめき、溜まっていた思いがどっと溢れて泣いた。

「ソーリー、ミサコ、ソーリー、ミサコ。」

自分の教会で、聖歌隊のリーダーを務めていたキャサリンが、美佐子と貞治を伴って、三人で写っている写真。奇跡としか言いようのない写真。ああ、主よ、わが主よ。感謝します。

20年の歳月は嘘のようであり、今、写真で美佐子を目の前に見ており、息子の貞治を見ており、教会の熱心なメンバーであったキャサリンを見ている。これは夢なのか、現実なのか、紛うかたなく現実であり、それは余りにもうれしい現実なのである。信じがたいほどの現実なのである。

ジョン・フィールディング牧師は、キャサリンの心遣い、すなわち、貞治や美佐子の写った写真を送ってくれたお返しに、自分の家族写真をすぐに送ってきた。教会の近くにある自宅の庭で撮った写真である。ジョンと妻のシャーロット、そして娘のルナが写っている。

キャサリンは、その写真をすぐさま、貞治と美佐子にプリントアウトして渡した。貞治と美佐子は、その写真をじっと見て、言い知れない喜びに包まれた。ジョン・フィールディング牧師は、昔とそれほど変わっていない姿であった。彼の優しいまなざしと笑った時の何とも言えない表情は、美佐子の脳裏に刻まれたジョンの姿そのものであった。まさにジョンであった。

貞治は、父親の顔を初めて見たと言ってよい。1,2歳の頃の記憶は全くないからであるが、「これが自分の父だ」という思いで見ていると、自然に涙があふれた。「おとうさん!」と心の中で叫んだ。

美佐子と貞治は、キャサリンから貰ったジョンの家族写真を一日のうちに何度も見たが、妻のシャーロットは理知的な顔をしていた。神に対する信仰心が篤いのだろうか、知性的な落ち着きの中に、教会の信者たちを温かく、寛大に包み込む心情も伝わってくるようであった。素晴らしい女性である。

娘のルナは、ノースカロライナにある名門デューク大学へ入学が決まったというキャサリンからの情報によれば、相当の才女であることが分かった。母親に似て、理知的な雰囲気を持っていた。

ノースカロライナのダーラムとそこにある教会、そして横須賀(貞治の自宅)、横浜(貞治の勤務する外資系企業)の三点の距離は、急速度に縮まった。お互いの事情が分かってきた。みんな、それぞれ一生懸命に生きてきたのだ。

キャサリンが、貞治に「あなたのメールアドレスをルナに教えてもいいか」と尋ねてきたとき、貞治は、即刻、OKした。そして、すぐさま、ルナからのメールが届いた。

「はじめてお便りします。

わたしのお兄さん、ジョージ、はじめまして。ルナです。私にお兄さんがいたなんて、夢のようです。私は一人っ子で、育ったので、いつも、お父さん、お母さんに、お兄さんか弟がいればいいのになあと、我儘なことを言って、両親を困らせていました。

でも、お兄さんがいたということが分かって、とてもうれしいわ。写真で、ジョージお兄さんの顔を見たとき、パパに似ているなあと思いました。とてもハンサムです。

私は、地元のデューク大学に入ることが決まっています。難関を突破することができました。ノーベル賞の受賞者もたくさん出ている大学です。いろいろな研究に力を入れている大学としては、全米でも指折りだと思います。

私はジョージのお陰で、もう一人娘ではなくなりました。兄妹として、兄がいたことをうれしく、また、誇らしく思います。私は日本のことが大好きですが、ジョージもアメリカのことを好きになってね。アメリカはいろいろな問題が多くあるけれど、良いところもいっぱいあるのよ。

いつか、日本にも行きたいけれど、ジョージもアメリカに遊びに来てよ。お兄さんといっぱい、色々な話をしたいわ。」

突然、兄ができてしまったことを、喜ばしいこととして伝えて来たルナのメールは、その喜びの感情が生き生きと表現されていて、貞治も思わず、うれしい気持ちにさせられた。突然と言えば、貞治もまた同様に、突然に妹ができたということである。


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