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悲しみを食らう男 その4【最終回】

ゲーテは言った、「すべてを今すぐに知ろうとは無理なこと。雪が解ければ見えてくる。」

このゲーテの言葉の通りであるとするならば、細川貞治の人生において起きたことは、「雪が解け始めた」ということである。積雪の下に隠されていた大地の姿が現れてきたのだ。

分からなかったことが、雪が解け始めたことにより、分かるようになったということである。分かってみると、そこには、フクジュソウやカタクリが可憐な花を咲かせて、人々を驚かせる光景が見えてくるのである。

突如として、キャサリンと共に、ジョン・フィールディングやシャーロット、ルナなどが、貞治と美佐子の前に飛び込んできたのは、雪解けであった。大地がその姿を現したのだ。

宇宙の因果の法は、その原因なるものを結果として必ず現し、人々に示すのである。「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。」という新約聖書(マタイ10:26)のイエスの言葉の通りである。

ジョンと美佐子の出会い、二人の愛の人生、そして貞治の誕生、横須賀で起きたこの小さな人生のドラマが、20年間、雪の下に隠されていたが、神は雪解けを起こして下さり、二人の人生の過去と現在を光の中にあらわにされたのである。

さて、これからどうなっていくのか。その展開を追うことにしよう。

会社の上司であるポール・フォークナーに、キャサリンが呼び出されたのは、9月の下旬であった。それは、会社のアメリカ本社の所在地であるテキサス州サンアントニオに勤務を変えるという人事の通達であった。キャサリンはそれを断ることのできるような立場にないことを自覚していたので、そのまま、了承するほかなかった。

キャサリンと貞治は、行きつけのスターバックスに入り、この度の人事について、いろいろと話し合った。

「人事はよくあることよ。アメリカの企業は、日本と違って、人事を、職務内容を中心に合理的に動かしていくという傾向にあるのよ。サンアントニオの本社では、経理担当を充実させるという新たな方針のもと、わたしに目を付けたみたいね。」

「ふーん。なんだか、キャサリンがいなくなると寂しいね。」

「いいえ、これはいいチャンスかもしれない。何か大きなことが起こりそうよ。しばらく会っていなかったジョン・フィールディング牧師にも会えるし、もしよければ、わたしは本社勤務になるので、ジョージのことも本社の上司に話し、本社勤務ができるように働きかけることもできるわ。」

「えつ、何だって。ぼくがアメリカの本社に勤務できるように計らってくれるというような話をしているの。そんなことは全く考えていないよ。」

「いいえ、ジョージはアメリカの土を踏むべきだと思う。そして、あなたのお父さんであるジョン・フィールディング牧師に、直接会ってみるべきだと思うけれど、どう思う?」

「それは、そうできれば、いいと思うけれど、会社の人事で、うまくアメリカの本社へ移してもらうということがそんなに簡単にできるかなあ。それに、母を一人、日本に残すということも心配だし。」

「大丈夫、大丈夫。わたしに任せて。あなたは絶対にアメリカを知らなければならない。あなたの父の国、アメリカを知らなければならない。」

強気で勝気なキャサリンの思い込みをどうすることもできず、ただ茫然とキャサリンが勝手に作り上げているシナリオを否定することもできず、結局、なるようになるだろうという気持ちで、貞治は、その日、キャサリンと別れた。

数日後、キャサリンはアメリカに旅立った。貞治の日々は、何か、失ったような喪失感に包まれた。それが何であるかは分かっていた。キャサリンの存在が貞治にとっては余りにも大きかったということである。

キャサリンがアメリカ本社へと移ってから、2か月後に、上司のポール・フォークナーが貞治を呼び出した。驚くなかれ、アメリカ本社への人事ということだった。理由を尋ねると、貞治のソフト開発能力を必要とする仕事があり、どうしてもテキサス本社が君を必要とするということであった。キャサリンの上司攻略がうまくいったのだ。

しかし、何というドラマの進行であろうか。シナリオをキャサリンはさっさと自分で書き、その通りに事態を進行させた。これでは、神も仏も要らないと言ってもよいくらいだ。いや、キャサリンの中に神が働いていると見るべきか。

アメリカ本社で働くことになったという貞治のニュースは、たちまち、ジョン・フィールディング牧師の耳に届き、貞治がサンアントニオの本社に到着したその日、すべてのお膳立てをして待っていたキャサリンとジョン・フィールディングは、本社ビルの玄関口で貞治を歓迎した。貞治と父親のジョンは、固く抱き合った。二人とも涙がこぼれた。抱き合ったまま、しばらく離れなかった。20年ぶりの再会である。大きくなった息子を誇らしくジョンは祝福した。「私の息子!」と何度も口にした。

本社勤務での貞治の仕事も順調で、彼の仕事に対する会社側の評価も高かった。アメリカ勤務の半年間があっというまに過ぎて、キャサリンは貞治に言った。

「あたしたち、このまま、ばらばらに暮らすのがいいと思うの。一緒になるという考えもあるわ。フィールディング牧師に聞いてみたら、是非、結婚すべきだという答えが返ってきたの。どう思う?」

「ああ、いつかそうくるかもしれないと思っていた。わかったよ。OKという以外にないね。君がいないと寂しい人生になるということがぼくには分かっているからね。」

読者諸君、あまりにも出来過ぎた話じゃないかと言うなかれ。人生、こういうことはないとは言えないのだ(あるのだ)。幸せの花が咲くならば、それはそれで結構なことだと読者諸氏の同意を乞うばかりである。

休みを利用して、ノースカロライナのダーラムを初めて訪れた貞治であったが、きれいな街であった。教会も立派であった。ルナが本当に喜んでくれた。「マイ ブラザー」(私のお兄さん)と言って、飛びついてきた。

シャーロットは、写真で見た理知的な印象よりも、愛想のよい、人懐っこい感じがした。人々に対して、壁がなく、寛容な精神で接する、とてもフレンドリーな女性であることが分かった。もちろん、気高い知性を備えているのであろうが、それは彼女の愛想のよさによって、幾分、抑えられた印象になっていた。

キャサリンと貞治は予定通り、結婚式の準備を進めた。ジョンの教会で結婚式を挙げたのは、貞治がアメリカ本社の勤務に移動してから7か月目、ちょうど、6月の結婚に当たり、「ジューンブライド」として、盛大に挙行された。美佐子も初めてのアメリカ訪問となり、息子の結婚式に参加した。

ジョンと美佐子は、涙ながらに再会を果たした。二人の間にできた息子の結婚式を、父親である牧師のジョンが神の前に執り行うという喜びの多い挙式となり、また、ジョンの教会で聖歌隊のリーダーとして頑張ってくれたキャサリンがまさかの自分の息子の嫁になるという神の大いなる御業に感動を覚えながら、牧師としての結婚式の責務を果たした。

それだけではない。それは余りにも信じ難い話、予想もしなかった話であるが、美佐子は、結局、アメリカで暮らす羽目になった。「羽目になった」などと言うと、あまりよくない響きがあるかもしれないが、そうではない。うれしい話なのである。

どういうことかと言えば、日本の或る大手会社の支社がノースカロライナにあり、そこの支店長が56歳の鎌田収蔵という人物である。二年前に、妻の佳寿子さんを病気で亡くし、現在、一人で暮らしている。子どもはなかった。

日本に帰るつもりはなく、ずっとアメリカで暮らしたいという鎌田氏は、ジョンの教会の熱心な信者で、妻のいない寂しい気持ちを紛らわすために、熱心に教会のさまざまな奉仕活動を手伝っているという奇特な人物である。

ジョンは美佐子に言った。

「ミサコ、これから一人、横須賀で暮らすというのも何だろう。ジョージはほぼアメリカで暮らすことになるに違いない。ミサコもアメリカに来て一緒に暮らした方がいいと思う。今まで、再婚せずに頑張ってきたが、ジョージの結婚で、ミサコの苦労はすべて報われた。どうだろう、再婚を考えては。いい人がいるよ。鎌田収蔵さんという人だ。日本企業のノースカロライナの支店長をしている。わたしの教会の信徒だ。」

降って湧いたような美佐子の再婚の話、こういう話まで出てくるとは、神様は一体何を考えていらっしゃるのだろう。美佐子を寂しい思いにさせたくないという神様の配慮なのか。

ジョンのこの話から2日後に、ジョンの仲介で、細川美佐子と鎌田収蔵は会った。鎌田氏は中肉中背の印象のよい人物だった。気さくな人柄であった。一方、鎌田氏は、美佐子を見たとき、その若々しさに驚いた。三十代の女性に見えた。二人は、色々なことを話し合ったが、お互いに、それほど、抵抗感も違和感もなく、再婚の合意に達した。

あの横須賀の街の一隅で起きた小さな物語、若いアメリカ男性と日本女性が恋に落ち、男の子を1人生み、アメリカ男性は何も言わずにアメリカへ帰っていった。

この物語の悲劇性は、20年の歳月という期間において、悲劇であった。その後、何かが突き破られるかのように、一気に、不思議な愛のエネルギーが動き始め、その愛のエネルギーは、人と人との間に横たわるすべての障壁を溶かし、取り除いていった。

現在、貞治とキャサリンは、テキサス州のサンアントニオで幸せに暮らしている。そしてまた、美佐子は鎌田美佐子として、夫の収蔵と一緒にダーラムで暮らしている。こちらも幸せだ。美佐子と貞治、この母と子は、アメリカで幸せな人生を始めた。

ジョン・フィールディングは、同じ教派の全米教会連合組織の議長に推戴された。彼の社会的名声は大きくなるばかりである。シャーロットは教会の母と呼ばれ、大忙しだ。ルナはデューク大学で一生懸命、学業に励みつつ、休日には、よく貞治のところに遊びに行く。キャサリンとルナは聖歌隊のとき以来、大の仲良しなのだ。勿論、お兄さんのことも好きだ。

この物語を読んでくれたあなたに告げよう。人類に不幸があってはならない。すべての人々は幸福になる義務がある。全ての人々に、すべての家庭にさいわいあれ。(アーメン)


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