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洋楽ポップスの風景(その五)


~~ Hall & Oates : Maneater ~~

米国はフィラデルフィア出身の白人のリズム&ブルースのデユオ、「ダリル・ホール&ジョン・オーツ」、略して「ホール&オーツ」は、その音楽性の味わいにソウルの香りをたっぷり乗せたポップやロックを聴かせることで有名な二人組である。ぼくは、このグループの「マンイーター」という物騒なタイトルの曲に釘付けになった時から、よく、彼らの曲を聴くようになった。1982年、彼らの「マンイーター」は全米のチャートで1位に輝き、その音楽性の高さを世に知らしめた。

ダリルの高音域の発声とときどき裏声になる技法は、黒人のリズム&ブルースの世界に通じていると言えるが、また、違った味わいがあり、ブルーアイドソウル(Blue-Eyed Soul)、やはり、白人のリズム&ブルースなのである。彼らの音楽は、タイミングのいいところでサックスの音が鳴り渡り、曲に何とも言えない色合いを添える。基本的には、ギター、キーボード、サックス、ドラムの構成で奏でられる音響が自在に展開され、「マンイーター」は、大都会の夜の、男を食らう魔性の女性たちが、この曲のストーリーを織りなしている。

ホール・アンド・オーツは、多くのヒット曲を放っているが、ぼくはその中で、「プライベート・アイズ」、「アウト・オブ・タッチ」、「キス・オン・マイ・フィート」、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」などが耳に馴染む。とてもいい曲たちである。中でも、「アウト・オブ・タッチ」はビルボードの1位に輝いただけあって、曲のインパクトが強い。ダイナミックなうねりというようなものを持った曲で、聴いていて、痛快な気分になる。「アウト・オブ・タッチ」のサウンドまで来れば、これはもう立派なロックである。


~~ Steve Miller Band : Abracadabra ~~

バンド結成の呼びかけを行ったスティーブ・ミラーを除いて、他のメンバーは出入りが多く、何となく落ち着かないバンド経歴を辿ったスティーブ・ミラー・バンドは、1966年結成以来の生命を保ち、現在でも活動を続けている。スティーブの諦めない、しぶとい個性が長い生命力を説明していると思うが、「アブラカダブラ」というディスコの乗りを持つこの曲は、1982年にリリースされて、たちまち、欧米を席巻してしまった。基本的には、ブルースロックと言われるバンドにしては、80年代当時のディスコブームに近づけた曲のようだ。

「アブラカダブラ」を聴くと、ディスコの乗りはあるが、やはり、かれらの本命であるブルースの音調は避けがたく、この曲には、黒人のジャズ的な、ブルース的な香りが立ち登っていると言えようか。しかし、それがまた、非常にいい味わいを出していて、聴いていて気持ちが良くなる。白人のスティーブが黒人の発声を持っていることが作用して、ブルース的なディスコが聴けるということだ。こういう特徴のある曲に出会うと、嬉しくなる性格があるので、ぼくは結構、スティーブ・ミラー・バンドの曲には、付き合ってきている。

たとえば、名曲の多いアルバム「ブック・オブ・ドリームズ」(1977年)の中から、「ウィンタータイム」、「スウィングタウン」、「ジェットライナー」を聴くと、いい曲であり、心地よく耳に入ってくる。また、「フライ・ライク・アン・イーグル」(1976年)も味わいがあっていい。「アブラカダブラ」は、遠い昔から存在する呪文であるが、その意味はいろいろな説があってよく分からない。油(アブラ)を加田(カダ)君の体に塗って、その油(あブラ)を拭き取るときにいう言葉なのであろうか。それも十分にあり得る。(笑)


~~ O-Zone : Dragostea Din Tei ~~

「マイアヒ、マイアフ、マイアホ、マイアハッハ」という、どこの言葉か分からない不思議な言葉に乗せて、ユーロダンスのヒット曲らしいというところまで掴んで、聴き入った2004年~2005年の頃を、ぼくは思い出す。グループ名は「オゾン」、曲名は「ドラゴスタ・ディン・テイ」、不思議な曲名で、意味不明、それを大胆にも、日本では「恋のマイアヒ」と訳出する離れ業を演じる始末。しかし、そんなことはどうでもいい、売れさえすれば。こういった調子だったのか、いずれにせよ「恋のマイアヒ」は大流行して、社会現象化した。

「オゾン」はモルドバ出身であるが、ルーマニアを舞台に活躍する男性三人組のグループである。結局、よく分からない言葉の正体は、ルーマニア語で、彼らの音楽は、ルーマニア音楽というジャンルで知られるようになった。「恋のマイアヒ」のビデオクリップが、なかなか面白く、飛行機の翼の上に載って、歌い踊る場面が妙に焼き付き、途中でアニメ画像を挿入したりしてユニークな作りのクリップであった。曲名の「ドラゴスタ・ディン・テイ」は「菩提樹の下の恋」という意味である。「恋のマイアヒ」とは遠くかけ離れている。

この三人グループの歌唱能力が、すごく秀逸だと感じたのは、「マイアヒ、マイアフ、マイアホ、マイアハッハ」のところで、高音域で発声し、しかもよく通る低音ボイスを持っているアルセニェ・トデラッシュが非常にきれいなファルセットを聴かせてくれるのである。曲全体に流れる、ルーマニア独特のメロディなのか、ちょっと変わった曲調が、新鮮に感じられてとても楽しい気分になった。この曲はヨーロッパを完全制圧し、米国をも呑み込んだ。この曲に合わせて踊る世界的なブームは、歴史的とも言うべき「社会現象」となった。


~~ Barbra Streisand : Woman in Love ~~

バーブラ・ストライサンドは、とにかく歌が上手い。世紀の歌姫と言ってよい。彼女のアルバムはよく売れる。ヒット曲も多く、数々の賞にも輝いている。強い女性であり、歌手、女優、映画監督、何でもやる、そんな多彩な才能を持つ女性だ。ユダヤ系の女性で、社会問題などにも敏感に反応するタイプであり、不条理なことに対しては黙っていられない社会派の女性という側面もある。歌手としての彼女の業績は、あまりにも大きく、絶大であるといった表現がピッタリだろう。

彼女の数多くのヒット曲の中でも、1980年から81年にかけて、欧米で1位を独占し、世界中を席巻した曲と言えば、「ウーマン・イン・ラブ」であり、この曲を知らない人はいないと言ってよいだろう。聴けば分かる通り、メロディが甘く美しい曲で、極上のラブソングである。バーブラ・ストライサンドは、その歌唱力という点において、抜きん出た才能を発揮するが、非常に情感をこめるという歌唱が優れているため、彼女の歌には生命が宿るのである。「ウーマン・イン・ラブ」において、それは顕著である。

映画の方も多くのファンが殺到して観覧し、その熱烈なラブストーリーの展開に魅入られたのであるが、歌の方の歌詞にもそれが表れている。「わたしは愛に生きる女、あなたを虜にし、わたしのそばに置くためなら、何でもする。それは当然の権利、叶うまで続けるの、それがわたしの生き方。」と歌う。相当に強烈な生き方であり、激しく愛を求める熱情的な女性の姿がそこにある。これはバーブラ・ストライサンド自身の生き方を言っているのであろうか。どうも、そんな気がする。


~~ Chicago : 25 or 6 to 4 ~~

アメリカのロックバンド、「シカゴ」が放った初期の、非常にパワフルなヒット曲に、「長い夜(25 or6 to 4)」(1970年)がある。「25 or 6 to 4」とは、4時までにあと25分か26分はあるという時刻、すなわち、午前3時35分ごろという意味であるが、なぜこういうタイトルになったかと言えば、夜が更け行くのも忘れ、やっと曲が完成した時刻を見ると、午前3時35分か36分であったという彼ら自身の作曲風景のエピソードから来ているのである。米国では、ヒットチャートの4位、英国では7位を記録したロックの名曲である。

よく透るピーター・セテラの声は「100万ドルの歌声」と言われ、非常にパワフルで高音の歌唱になっている。シカゴは、1967年の結成であるが、現在も活動を続けている大所帯のバンドである。数本の金管楽器を用いたスタイルであったので、彼らのグループは「ブラス・ロック」とも呼ばれることとなった。ハードなロックからソフトなロックまでこなし、これまで発表されたアルバムは非常に多い。「長い夜」はハードロックの見本のような曲であるが、彼らの長い経歴から見れば、大ヒットした名曲は、ソフトな甘い曲の方が実は多い。

アダルトコンテンポラリーと呼ばれるような曲と言ってよいが、「愛ある別れ」(If You Leave Me Now)は、1976年、英米で1位に輝いた曲である。非常に美しいラブソングで、ピーター・セテラの歌唱は実に優雅であり卓抜である。また「素直になれなくて」(Hard To Say I’m Sorry)は、これも1982年の大ヒットとなったが、同じく、セテラの歌唱の輝きは文句なしである。永遠の名曲である。ピーター・セテラの100万ドルのヴォーカルが「シカゴ」というバンドにおいて果たした役割は、強調し過ぎることはない。


~~ Pat Benatar : Invincible ~~

世界的に見ても、女性のハードロッカーという存在はそう多くはなく、米国でさえ、あまり見られないということが分かるのであるが、1980年代を強烈な存在感で駆け抜けた一人の女性ロックミュージシャンがいる。女性シンガーは、概して、ダンスミュージックの方に傾きやすい中で、敢然と女性のハードロッカーを印象付けたのが、「パット・ベネター」であり、一つの例として彼女のハードロックを挙げるならば「インヴィンシブル」がある。映画「ビリー・ジーンの伝説」の中で主題曲になった曲である。

彼女の表情も男性的で強い印象を与え、いかにも、ロックの歌の方が私にはいい、私に合っていると言わんばかりの雰囲気がある。女性ロックミュージシャンとして不動の位置を確立したパット・ベネターが歌う「インヴィンシブル」は、その題名の通り、「無敵」「向かうところ敵なし」ということであるから、聴いていて、何だか「無敵」な気分になるのも不思議なものである。颯爽とした気分、敵をけ散らかした気分になれるというのは有難い。別にそういう敵が、ぼくにいるというわけでもないが、気分が良くなるロックなのである。

彼女の父はポーランド系、母はアイルランド系であり、家庭は非常に保守的な家庭であった。音楽をやるならクラシックにしなさいと言われたが、結局、ロックの方に走った。ロックに走った結果、女性ロッカーとして、「無敵」な存在となり、彼女の歌「インヴィンシブル」の通りになった。1983年の大ヒット曲「ラブ・イズ・ア・バトルフィールド」も、パット・ベネターに係れば、愛は戦場となるのである。ロックで歌う愛は「戦場」なのだ。さすがに、この「ラブ・イズ・ア・バトルフィールド」は、聴くとなかなかいい。パンチが効いている。


~~ Newton Family : Santa Maria ~~

ハンガリー出身のダンスポップバンド「ニュートン・ファミリー」が歌った「サンタ・マリア」は、典型的なディスコダンス曲であった。1979年にリリースされ、80年代前半をこの曲で踊り狂った御仁は少なくないと思う。この曲は曲調が整っていて、スマートに出来上がっているので、とても乗りやすく、踊りやすい。まさにディスコを踊るための曲である。そう言っていい。70年代、80年代をこのニュートン・ファミリーとともに駆け抜けた人々にとって、このグループとその歌は忘れることのできないものであるに違いない。

ちょっと見た目には、ハンガリー人はヨーロッパ人と変わらないように見えるが、ヨーロッパの中ではハンガリー人は異質な所がある。彼らは東の方から現在の場所へと移動してきた人々であり、もともとはフン族、ウラルアルタイ語族系の言語を持っているので、ハンガリー語と日本語は共通点が多い。抒情的、心情的側面も東洋的情緒を持っていると思われる。そういう分析から見ると、ニュートン・ファミリーは日本や韓国と非常に相性がいいということになるが、実際、彼らは、日本と韓国で絶大な人気を博した。

「サンタ・マリア」のほかに、「ドン・キホーテ」、「マラソン」、「スマイル・アゲイン」、「ロボ」、「ダンディライオン」など、多くの曲が聴き心地がよく、自然な感じで聴けるのは、やはり、ハンガリーが東洋系民族であることと関係しているのかもしれないなどと思ってしまうのである。

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