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マニラ・バニラの不思議 その3

日本に帰って来た渡辺は、マニラのことが頭にこびりついて片時も離れず、マニラ・バニラの味が恋しくて、恋しくて、いても立ってもいられなかった。それにしても、マニラの人々がバニラ・アイスクリームをそれほど美味しく感じないという事実を知って、この問題を解決するためにはどうしたらよいか、渡辺は真剣に考え始めた。

共鳴作用によってマニラでは非常に美味しくなっているはずのバニラが、マニラの人々には全く普通の味にしか感じられないのである。かわいそうで、かわいそうで仕方がなかった。何とかしてあげなければならない。よい方法はないのか。バニラ・アイスクリームを美味しく食べられるように、マニラの人々を救済してあげなければならない。

しかし、簡単には、解決方法は見つからなかった。ただ、一つはっきりしたことは、マニラ生まれマニラ育ち以外の人がマニラでバニラ・アイスクリームを食べると、途轍もなく美味しいという事実である。

このことにフィリピンの政府および為政者たちは気付いているのだろうか。それとも、気付いていないのだろうか。おそらく気付いていないのではないか。気付いていないとすれば、この大いなる事実を知らせてあげなければならない。そして、積極的にマニラ・バニラは極うまの絶品であることを世界に知らしめ、観光客獲得一大作戦として、マニラ・バニラを利用すべきであることを教えてあげる必要がある。

渡辺は、早速、再び、フィリピンのマニラへ飛んだ。大統領官邸のあるマラカニアン宮殿を訪問し、マニラ・バニラを中心とする一大観光作戦を政策として採用するよう進言するつもりである。セルヒオ・アギナルドという政治家と極めて深い付き合いをしているのが、ホセ・ドマゴソの父親、フィデル・ドマゴソであるという情報を、ホセから何度も聞かされていたことを渡辺は思い出し、このフィデル・ドマゴソ氏を通じて、何とかマラカニアン宮殿への訪問を実現したいと願ったのである。

マニラに到着して、渡辺はホセと話し合った。外国からの観光客獲得のためにマニラ・バニラを積極的に利用するという国家政策を提言する目的をどのようにして果たすことができるかについていろいろと話し合った。特に、ホセの父親が重要な鍵を握っていることを、渡辺はホセに何度も強調した。結局、渡辺が直接、ホセの父親、フィデル・ドマゴソ氏に会って話すのが一番よいということに落ち着いた。

フィデル・ドマゴソ氏は、かつて、マニラに隣接するケソン市の市長を務めていた人物である。フィリピン中央政界とのパイプも太く、多くの友人を政界に持っている。幸いなことに、大統領との個人的関係も深く、マラカニアン宮殿へのアクセスには理想的な人物であることが分かった。

ホセが父親と連絡を取って、会う場所と時間の手はずを整えてくれた。マカティーシティーにあるシティー・ガーデン・ホテルで翌日の3時に会うことになった。

マカティーシティーにホセの案内で着いてみると、全く、アメリカの町並みと同じ雰囲気を漂わせていた。ガーデン・ホテルに現れた、フィデル・ドマゴソ氏は実に立派な風貌と恰幅をしていた。フィリピン政界を代表する人物であることは一目瞭然だった。

ホセと気楽に付き合ってきた渡辺であったが、急にホセが重みのある人物に感じられた。自分はたいした友人と付き合っていたのだと気付いたのである。

ホセの通訳で、フィデル・ドマゴソ氏と2時間に亘って話し合いを持つことが出来た。その会談で、渡辺は、自らの体験を話した。マニラ・バニラの絶対的な美味しさを伝えた。

とりわけ、外国の人がマニラでバニラを食べると間違いなく、美味しいという事実を伝えた。これは主観的な問題ではなく、ホセの妻、カリンも美味しく感じたことに言及し、さらに、同じフィリピン人でもミンダナオのダバオで生まれ育った人も、マニラのバニラを美味しく感じたという事実を述べた。

さらに、マニラを離れて、モンテンルパでバニラ・アイスクリームを食べると美味しくないという事実にも触れた。すなわち、マニラで食べるバニラこそは、マニラ生まれ、マニラ育ちでない人々にとって、得も言われぬ美味しさをもたらすという世にも不思議な事実があることを懇々と伝えたのである。

マニラで食べるバニラは極上の美味であることをフィリピン経済の発展にうまく活用しない手はないと説き伏せ、一大観光客獲得の秘策として、政策に採用したらどうか、というのが自分の提案であると話した。

この渡辺の話に、フィデル・ドマゴソ氏は並々ならぬ関心を示した。そして、これは非常に重要な、そしてまた非常に興味深い事実であると言った。さらに、君の言うことはもっともだ、マニラ・バニラは素晴らしい観光資源となるにちがいない、と完全に同意してくれた。明日、ちょうど、大統領に会う用事があるから、このことは間違いなく、しっかり伝えてあげようと約束してくれた。何と、スムースな展開であろうか。びっくりするような順調なことの運びに渡辺は驚きを隠せなかった。

フィデル・ドマゴソ氏は、約束を果たしてくれた。氏の話によると、大統領は興味津々とマニラ・バニラの話を聞いたという。渡辺が提案した観光政策に対しても、理解を示し、実施する方向で検討したいと語ったと伝えてくれた。

ああ、遂に、マニラ・バニラはフィリピン政府の観光政策の一環として取り上げられ、政策実施に移るかどうかという議会での検討段階にまで至ったのだ。その後の経緯を注意深く見守っていた渡辺に朗報がもたらされた。全会一致で、マニラ・バニラ観光政策を推進することが決まったのである。

それだけではなかった。渡辺に届いたフィリピン政府からの通達に、彼は驚いた。何と、フィリピン政府の観光開発局の特別アドバイザーとして渡辺を迎えたいというのである。この背後には、フィデル・ドマゴソ氏の相当の働きがあったとホセから聞いた。世の中に、このようなとんとん拍子の話があるであろうか。おそるべし、マニラ・バニラ。

マニラ・バニラの観光推進特別プロジェクトを担当するに当たって、渡辺は気に入ったスタッフを三名付けて良いと言われた。一人は、もちろんホセである。何と言っても、ホセは彼の父親との仲介として欠かせない。政界の情報を逐一もたらしてくれるフィデル・ドマゴソ氏あればこそ、このプロジェクトも順調に進むことを渡辺は心底、理解していた。

二人目は白報堂に勤務している友人、中野正弘を呼び寄せることにした。マニラ・バニラの宣伝広報戦略に欠かせない人材である。中野は渡辺と同じ中央大学の出で、大学時代からの友人である。

三人目は、アメリカ人で日本語の達者なジョン・タイラーをスタッフに選んだ。英語社会であるフィリピンで仕事を進めるにはジョンが必要であった。ジョンは、ジョージア工科大学を卒業したのち、日本に来て、上智大学で日本語を勉強する傍ら、関東一円から東北にかけて、隈なく観光した。

ジョンは工科大学の出だけあって、緻密な観光スケジュールの作成とルートの選定、費用の算定は抜群だ。蔵王の温泉で渡辺はジョンと知り合い、それ以後、無二の親友になった。「マニラ・バニラ+フィリピン観光」という組み合わせの開発、スケジュール・パターンの作成、費用の算定などを彼にやってもらう。

いくら、マニラ・バニラを中心とする観光とは言え、やはりフィリピンに来たからには幾つかの観光スポットをついでに楽しんでもらうようにしなければならないだろう。ただ、マニラ・バニラだけをマニラで食べて、はい、さようなら、という観光ではさびしすぎる。陣容は整った。


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