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シェイクスピア参上にて候 第三章(一)


第三章 英国とインドをシェイクスピアが繋ぐ

(一)東京本社がインドの情報を欲する

突然、夜中にスマートフォンが鳴り、見ると、鶴矢先輩からメールが入っていました。東京本社が、ロンドン支社のラジャン・カマラをインドへ送ってほしいという要望があったということでした。

現地にはインドでの具体的な仕事を担当する駐在職員はいるものの、情報専門に動いているわけではないので、インド人のラジャンにいろいろと情報を収集してもらいたいという本社からの願いです。細かいことを明日打ち合わせたいので、オフィスに午前八時に来てほしいとメールにありました。

「朝早く、呼んで済まないが、君たちを呼んだのは、インド行きの件が本社の要請として来ているからだ。ラジャン、ベアトリス、才鶴ちゃんの三人を考えて、呼んだんだ。」

朝の八時にオフィスに着いてみると、わたくしだけが呼ばれたのかと思って、ミーティングルームに入るや、ラジャンとベアトリスも呼ばれており、ラジャンだけでなく、三人をインドに送る気かな、と一瞬戸惑いました。

「急ぐ要件であるようだ。インドがいろいろな意味で重要になってきていることは、君たちも十分、理解していることと思う。

わが社も、インドへ力を注ぐ方向性で様々に検討していることが多い。何かというと、原子力発電所の問題だ。

原子力の問題はどうしても核兵器の問題と関連付けられ、安全性の問題でもいろいろ喧しく、原発の設置には、反対運動もあって、なかなか難しい課題が付き纏う。

しかし、インドは今、原発の設置に大きく動き出しており、各国もインドとの原子力協定を結んできている。アメリカ、フランス、ロシア、イギリス、カナダ、など、インドへの協力体制を敷いている。ロシアはすでにクダンクラム原子力発電所を完成させ、運転を開始させるところまで漕ぎ着けた。

インドの十三億人の需要を満たす膨大な電力を、インドは今後、原子力への依存を高めるしかないという判断に動いているものと思われる。

さいわいにも、インドにはトリウムの鉱床が豊富にあり、ウランも少しはあるので、原子力エネルギーの活用を実現させるに足る条件は整っていると言える。

原発設置にどのくらい、今、言ったような国は動いているのか、原発建設の契約がどの程度進んでいるのか、インド政府が発表していない、マスコミにまだ出てこない水面下の動きはどうなっているかなど、できるだけの情報を集めてほしいと、本社は言っている。

もちろん、日本国政府はインドの原発建設の情報をいろいろと集めているが、わが社に対しても、情報収集の協力をお願いしてきているようだ。

アメリカ、フランス、日本の順で、原子力発電所の数が多いということは、それだけ、日本は原発依存の度合いが大きいということで、西芝(せいしば)は米国の指導のもと、これまで多くの原発建設を手掛けてきた。

しかし、東日本大震災による福島原発の問題が起きてからというもの、日本では、原発に否定的な論調が国民の間に広がってしまい、原発建設なんてとんでもないということになったのだが、外国では少しばかり違う。

特に、巨大な人口を抱える中国とインドはエネルギー需要を満たすため、原発建設は死活問題であるという認識すらある。その辺が、日本とは全然違う。

インドでの原発建設には、ロシアが先行しているが、アメリカも協力を惜しまない姿勢であり、すでにいろいろ契約を交わし始めていて、非常に積極的だ。」

インドの原発建設に関する鶴矢先輩の概要説明が、一息ついたところで、ラジャンが口を開きました。

東京本社はどういう情報をほしがっているのか、その具体的な内容についての大まかな説明は、鶴矢先輩が言った通りですが、さらに聞きたいことがラジャンの頭を駆け巡ったのです。

「ツルヤさん、いいですか。私の質問は、一杯あります。どの位、インドに滞在できますか。一週間ですか。一か月ですか。

それと、インドは広いです。どこに行けという具体的な指示はありますか。特にありませんか。

久しぶりにインドに行くので、故郷のジャイプルに帰って、父母や兄弟、親戚に会ってきてもよいですか。」

「ラジャン、一か月くらいで情報がまとまれば有り難いと本社のほうで言ってきている。どう思うかね。足りないか、十分か。

特定の場所というのはない。できれば、インド全域に耳目を張り、情報を集めてほしい。もちろん、親族に会ってきてもかまわない。

ラジャン一人では大変だろうから、ベアトリスにも行ってもらう。十九世紀のビクトリア女王時代、ベアトリスの先祖がインドで働いたという話を思い出して、ベアトリスの同行を決めた。ベアトリス、いいだろう。

才鶴ちゃんにも行ってほしい。ラジャンとベアトリスの情報を逐一まとめて、ぼくの方へ送ってほしい。

ラジャンとベアトリスが動きやすいように、必要な参考となる情報があれば、それを二人に随時渡してほしいね。いわば、事務方としての後方支援のお助け役だ。これも重要な仕事だよ。」

ベアトリスがメモを取っていた手を止め、顔を上げて、視線を鶴矢先輩の方へ向けました。非常に嬉しそうな表情をしていました。

「ツルヤさん、興奮するわ。わくわくしています。あなたがおっしゃった通り、私の先祖にはインドで働いた人がいます。リチャード・テイラーという人です。1846年から1858年まで、十二年間、インドで働きました。

リチャードの霊がわたしをインドに呼んでいるのかしら。インドに行くのは初めてになります。どんなところかしら、考えただけでも、わくわくする気持ちでいっぱいです。」

わたくしは、ベアトリスの「リチャードの霊がわたしをインドに呼んでいるのかしら」という件(くだり)が非常に気になり、彼女のそういう言い方に驚きました。

ベアトリスは霊の世界を身近に感じている女性なのだ、と瞬間思ったのです。その思いはこののちの彼女とのコミュニケーションの中でまさに的中していることを確認することができました。

「鶴矢先輩、突然のことではありますが、インドに行かせていただいて光栄です。収穫のあるいい仕事ができるようにと祈る気持ちです。わたくしもインドは初めてです。

事務方とおっしゃいましたけれども、どのように事務方が務まるか、少々、不安な気持ちはありますが、事務方としてのサポート役の仕事をしっかりと頑張りたいと思います。

あの広いインドで、本社が求める情報がどの程度集められるか、インドの行政組織、マスコミ、企業群、どこをどのように当たるべきか、適切な情報を持ったキーパーソンや機関、組織との出会いが何よりも必要です。

まずは、徹底的に、基礎情報などは、パソコンで洗い出すところまで洗い出しますが、それにプラスして必要な情報を得られるように現地で動こうと思います。

落下傘部隊のようにインドに降り立つ三人ですが、何よりも、現地の情報に詳しい現地人との接触が成否の鍵を握っています。

ですから、そこをいかに突破できるか、インド人のラジャンが物を言うことになるようですけれども、ラジャンとベアトリスの行動を効果的にサポートする役目を果たすということ、そこにわたくしの神経を集中させてまいります。いずれにしても、やりがいのある大きな仕事だと思います。」

ちょっとした決意表明のようなものを言ってしまったわたくしですが、三人のそれぞれの言い分をしっかりと聞いている鶴矢先輩はいかにも嬉しそうでした。

「頼むよ。いい仕事ができるといいね。三人が一体となって、意思疎通をよく図りながら、それぞれの責任をしっかり果たすということであれば、必ず、道は見えてくるし、情報収得の道が開かれること間違いなしだよ。

お互いの足を引っ張り合うようなことになれば、何もかもダメになる。三人がインドとは何かを知るためにも、まずはインドの映画を何本か見るのも妙案かもしれないね。

映画は、その国のお国柄を映し出す鏡のようなものであるから、四、五本も見れば、インドの雰囲気がよく分かるようになると思うよ。」

ここまでの話のやり取りを聞いていたラジャンが、再び、口を開きました。

「インドは映画大国です。インドの娯楽は映画そのものと言ってもかまわないほど、インド人はとにかく映画が好きです。ハリウッドではなく、ボリウッドという言葉が生まれるくらいです。

確かに、その国の映画を見れば、その国が分かるというのは一理あると思いますが、ムンバイ(ボンベイ)でヒンディー語の映画が主に制作されていますので、その制作場所であるムンバイをアメリカのハリウッドに比肩させる意味で、ボリウッドと呼んでいるのです。ムンバイ=ボリウッドです。」

「ボリウッド映画っていうことね。どんな映画をやっているのかしら。私は映画をよく見ます。でも今まで、インドの映画を見ることはほとんどなかったわ。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどの映画を見てきたわ。日本の映画もよく見ます。インドの映画ってどんなのかしら。」

「ベアトリス、それは見れば分かると思いますが、いろいろな映画があります。なかでも、大勢の人が出てきて歌ったり踊ったり、そういう賑やかなものが多いというのがインド映画の一つの特徴として挙げられます。

色とりどりのサリーを纏った大勢の女性たちが出てきて踊るのです。華麗に舞う踊りを見せるのです。」

「ラジャン、インドの映画は踊りの映画ってことかしら。筋書きはないの。シナリオはそれほど重要でないのね。踊りを見るのが映画を見るってことなのね。」

「それはちょっと言い過ぎです、ベアトリス。筋書き、シナリオはしっかりとあります。その流れの中で、とくに、結婚式などの場面で、大勢で踊る場面がでてくるということです。

サリーの女性軍団が画面いっぱいに出てきて踊り出すのです。壮観としか言いようがありません。ほかの国の映画に比べれば、とにかく、ダンスの場面が多い。これは確かなことです。

わたしがここで百の説明をするよりも、見ればすぐに分かります。賑やかな踊りがここそこに現れます。それはインド映画の一つの特徴です。」

ちょっとした映画談義がラジャンとベアトリスの間で展開されましたが、それによってわたくしは、これはインド映画を是非見てみなければならないという気持ちが起こりました。

賑やかな踊りでいっぱいのインド映画ももちろん見なければなりませんが、最もインドらしい風景、人情、歴史、文化、宗教などが勉強できるような映画も見たいという気持ちを抑えることができませんでした。

そして、英国がインドを植民地支配した歴史によって、インドはどのくらい英国文化の影響を受けたのか、その辺のことも分かるような映画があれば見てみたいという願望も湧いてきました。

私たちはロンドンのオフィスにまだいるというのに、すでに心はインドに飛んでしまって、インド映画がどうのこうのといった話に花を咲かせる始末でした。

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