シェイクスピア参上にて候・第一章(三)
第一章シェイクスピア登場
(三)シェイクスピアは天上界と地上界を自由往来する
わたくしは、入院中に起きたシェイクスピアとの対話が忘れられず、わたくしの事故現場をつぶさに目撃したというシェイクスピアの話から、どうしてもシェイクスピア時代にあったというグローブ座を見たいと思い、忠実に再建・再現されたというシェイクスピアズ・グローブを、劇の上演がない日、その劇場だけを見に行きました。さいわい、少しお金を払うと、中に入れて貰えて劇場を十分に細部に至るまで、観察することができました。
シェイクスピアズ・グローブは、昔の位置からそんなに離れていませんが、北西へ二〇〇メートル離れたテムズ川南岸ほとりのところへ見事に再現されており、エリザベス朝当時そのままの雰囲気を味わうことのできる劇場を見て、その劇場のどこかにシェイクスピアが佇んで、劇場の繁栄ぶりを見守っているかのような錯覚を覚えました。
木造の円筒形、正確には二十角形の円筒ですが、その劇場の形は面白く感じられ、また、円筒の最上部に屋根が被さっていないというのも興味深く、そのため、舞台や観客席に野外劇場のような一種の開放感を与えていて、舞台の役者たちも、観客に対して迫真の演技を見せることができたであろうという印象を覚える劇場空間でありました。
観客席の方へ大きくせり出した舞台上の両脇には二本の堂々たる柱があり、少し違和感を覚えましたが、それも十七世紀当時の劇場の姿なのだと考え、納得することにしました。
円筒の内壁部分は、一階、二階、三階というように、すべて座って舞台を見下ろすことのできる桟敷席になっており、一階の舞台前の中央フラット部分にも、観客が入り、劇を立ち見で観覧できる場所になっている、ざっとそのような劇場構造であり、とりわけ、舞台の突き出しが観客と役者たちの親密な一体感を生み出す優れた効果を発揮していると思わざるを得ませんでした。
当時の木造建築の再現ということもあって、現代の立派な劇場建築からすると、なんだか十七世紀に舞い戻ったような昔懐かしい庶民的な風情が漂っていました。
シェイクスピア劇は緊張した面持ちで構えて観賞するものではなく、庶民感覚で楽しく観劇すればよい、円筒の木造建築はわたくしにそのように語りかけてきたのです。シェイクスピア劇は一般大衆、すなわち、庶民の娯楽だというのが再現された劇場がわたくしに教えてくれた結論です。
こんなことをいろいろ感じながら劇場をあちこちと見歩いていると、はっと何かを感じるようなことが起きました。誰か人の気配がするのです。もちろん、ほかにも劇場を見るためにやってきた人々が、そのときには、数名ほど、場内にいましたが、その人たちとは違う人の気配です。
わたくしは舞台の袖に立って、立見席をする一階のフラット部分を見ていたのですが、明らかに、わたくしのすぐ後ろに誰かいるのです。わたくしは後ろを振り向きました。
な、な、何とそこに立ってわたくしをじっと見つめていたのは、シェイクスピアではありませんか。夢どころか、白昼、しかも、シェイクスピアズ・グローブで、シェイクスピア様との拝謁が相成るとは全くの驚きです。
わたくしは思わず、目を擦りました。紛れもなく、夢に現れたあのシェイクスピアです。わたくしは、声は出しませんでしたが、心で語りかけました。
「シェイクスピア様、確かにシェイクスピア様ですね。ウィリアムさんですね。」
「そうです。夢であなたに現れましたシェイクスピアです。ようこそ、シェイクスピア劇場へお越し下さいました。いかがですか。十七世紀のままの劇場の再現です。このように、グローブ座を再現していただいて、本当に感謝しております。」
「ウィリアムさん、もう一度、お礼を言わせてください。あなたのお陰で、わたくしは大事に至らずに済み、一週間の入院ですっかり元気になりました。入院中のシェイクスピア様との対話が心に残り、今日、グローブ座をこうして訪ねてみると、まさか、あなた様にお会いできるとは、思ってもみませんでした。」
「あなたが今日ここに来ることは分かっていました。あなたが劇場を見て回る間、ずっと、この舞台の袖から、あなたを見守っていました。グローブ座を再現してくださった地上の皆様のご努力によって、わたくしは天上界と地上界を自由に行き来することができるようになりました。
わたくしが地上に降り立つ基地、ハブ空港のような所としてこのグローブ座はあると思ってください。ここからわたくしは自由に地球上のどこにでも出かけることができるのです。
天上のわたくしを強力に引き付ける霊的な磁場が形成されている場所、それがここの劇場なのです。あなたをお助けすることができたのも、実は、このグローブ座の劇場が再現されているからこそ、あの致命的ともいうべき事故から、あなたを救い出すことができたのです。お分かりいただけましたでしょうか。」
「そういうことでしたか。初めて知りました。この劇場のお陰で、今や、天上界と地上界の自由往来をしておられるシェイクスピア様でいらっしゃる。だからこそ、わたくしの事故も大事に至らずに済んだということであれば、わたくしとしては、この劇場「さまさま」ということになりますね。」
「まったく、その通りといってよいでしょう。もう少し説明しなければならないことがあります。この劇場を再現するのに、骨身を折ってくれた人がいます。サミュエル・ワナメイカーという人ですが、この人は映画俳優であり、また、映画監督を務めた人です。彼の熱心な再建活動がなければ、この劇場はできていなかったでしょう。わたしは心からサミュエル・ワナメイカーさんの尽力に対して、感謝しております。」
「その俳優さんをわたくしは知りませんが、そのような熱心な再建活動家が頑張られたということは、本当に素晴らしいことだと思います。時代を超えて、シェイクスピア劇を愛する多くのファンがあればこその再建であったことがよくわかりました。
十七世紀にも二十一世紀にも、あなたの悲劇や喜劇を観て、興奮し、喜び、楽しんでいる上層の人々から庶民の人々に至るまで、大勢の皆さんが、世界中にいらっしゃいます。四百年の時を超えて、シェイクスピア劇場は復活し、人々の前に、マクベスが蘇り、リヤ王が蘇り、ハムレットが蘇るという快挙が果たされたことを、心からお喜びいたします。」
「ありがとうございます。史劇などは史実の内容をわたしなりにフィクション化して書いたものがほとんどですが、不思議なことに一旦、作品として出来上がりますと、物語が現実のように動き出し、登場人物たちがまるで命を吹き込まれたかのように人々の前に現れるのです。
そうなると、もはやフィクションであってフィクションではないというようなリアリティを獲得します。人々がますますその史劇を愛することによって、史劇は史実のようになってしまうのです。
作り上げた人物たちが勝手に動き出し、自己主張し、現実の人物のように語り、怒り、泣き、笑い出すのです。わたしは多くの作品を書きましたが、その中の人物たちは、すべて作り物であって、しかも、すべて作り物でなくなったという生命実体化現象を遂げてしまいました。
わたしの作品の人物たちは、みな生きているのです。この世での多くの人々がわたしの作品を観劇し愛してくださることを通して、登場人物たちが命を獲得し、そして、それによって、彼らはみな永遠不滅の存在になりました。そのようなことを、わたしはつくづくと実感しているのです。」
「なるほど。素晴らしい劇作論をきかせていただきました。劇を作る者と観る者との融合が化学反応を起こし、命が吹き込まれていくのですね。舞台で演じられる劇がそういうものであると思うと、また、観劇の姿勢が変わってくるようです。
一層、深みが増し、登場人物たち一人一人を慈しむ気持ちが沸いて、彼らの言葉、動作、思想、考え、生活、感情といったすべてが迫ってきて、一つの劇を観賞する者は、観たあとに、そっくりそのまま一つの人生の実にリアルな追体験をするのだと教えられたような気がいたします。」
シェイクスピアズ・グローブを見物したこの日から、わたくしの人生は大きく変わろうとしていました。思ってもみなかったシェイクスピアとの生々しい出会いから、わたくしの人生は想像もつかない方向へと動き始めていたのです。
その夢のような人生は、勤務先の商社であるあの十六名の仲間たちをも巻き込んで、世界中を駆け回るようなスケールの壮大な物語となり、多くの人々を興奮のるつぼに巻き込んでいくのですが、そのスタートがシェイクスピア・グローブにおけるシェイクスピアとの出会いから静かに始まりつつあったのです。
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