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山形抒情旅行 その1

私はその日、山形の銀山温泉に足を踏み入れた。その日とは十月十二日であり、年号で言えば平成二十三年のことであった。

尾花沢の奥地にあるその温泉は誠に風情のある温泉であった。大正ロマンの趣を何らかの方法で味わいたいと思う人は須らく銀山温泉を訪ねるべきである。狭い谷間の小さな一筋の川、それは銀山川と呼ばれる小川であるが、その川筋の両岸の猫の額ほどの土地にぎっしりと立ち並ぶ温泉旅館は、昭和のたたずまいというよりもう一つ前の大正の時代を彷彿とさせる。ここは失われた懐かしい日本の昔日の面影が平成の世にも変わらずに残り続け、人々を優しく誘っている異空間であった。

友人の強い勧めでこの銀山温泉を訪ねた私であるが、私ひとりではもったいないような気分がして、気心の知れた上司と共にやってきたのであったが、その大川部長は満足げに、

「おい、下田、これはすごいな。いいところへ来た。こういう所があるなんて、びっくりだ。平成の世がどこかに消えてしまったようだ。」

と、何回も繰り返した。私も思いは全く同じであった。ちょうど夕食時に温泉に着いたので、予約した旅館で早速、食事をいただくことにした。ベニバナのご飯は尾花沢にある銀山温泉の地域性を遺憾なく表すものであったが、イワナの刺身には少々驚かされた。イワナを刺身で食するとは思ってもみなかったが、それだけ新鮮そのものであるということだろう。私はその美味しい味わいに心から満足した。

東日本大震災で、外国人の客が減り、また、風評被害で、国内からのお客も足を運ぶ人が少なくなったと旅館の女将は嘆いていたが、少しずつ客足が戻りつつあり、往時の七割ぐらいには戻ったと語った。それにしても、このような僻地に外国人の訪れがあるとは意外であったが、銀山温泉地のあちこちの案内にハングルや中国語の文字が見え、確かにこの地をアジア各地から訪れる人があることを物語っていた。最近は、アジアや欧米の、いわゆる、「通」の外国人の旅行者や日本滞在者が、日本のグルメ・スポットや温泉穴場のようなところを探し出して、日本人も見落としているようなところで、大いに楽しんでいるということがあるようだ。目の肥えている外国人がいるのだ。

翌日の早朝、私と上司の大川部長は、温泉街のすぐそばまで迫っている山のほうに向かって歩き、山道を散策して深まりゆく東北の山の紅葉と清らかな小川のせせらぎを楽しんだ。山から銀山川へと流れ落ちる滝があったが、銀山温泉に趣を与える一つの景観である。

山道をずっと歩くと、今は廃鉱になっている銀鉱洞があるということが分かっていたので、そこまで行こうと考えて歩いていたのであるが、途中、「パンパンパーン!」と山中に響き渡る銃声を聞いて、それ以上歩くことは止め、引き返すことにした。クマか何かを猟師が撃っているのだと思い、クマに出くわしても厭だという気持ちになったのと、猟師の発砲する銃弾の一つでも流れ弾として当たったら大変だという気持ちがはたらいたのである。旅館に帰ってそのことを話したら、今、鴨猟の解禁のときであるから、猟師が鴨を撃っているのだということであった。クマの出現ではなかったようだ。

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