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アーカイブスの怪 その4

私は、頭がこんがらかり、番組の制作意図が判然としないまま、富士原康辰の突発的変化の成り行きを追っかけていると、倉田が話しかけてきた。

「なあ、可笑しいだろ。わけが分からない番組だよ。これから、もっとこんがらかって来るんだ。見てみろ。」

「兎に角、ウサギの出現が番組を狂わせている大きな原因だな。番組全体がウサギで大騒ぎしている。ウサギの出現が突発性か計画性かで、この番組の意図を探るしかないな。」

「突発性にしろ、計画性にしろ、わけが分からないことに変わりはないよ。」

富士原康辰の満足げな顔と撫でられて嬉しそうにしているウサギの画面が映し出されている所へ、これもまた、突然なのかどうかわからないが、番組のスタッフがのこのこ画面に現れ、ウサギの所へ来て、ウサギの餌と思われるものが盛ってあるボールをテーブルの上に置いた。

「おいおい、これは何だね。ウサギの餌かい。これをどうしろと言うのだ。この番組はウサギに餌をやるところまで撮ろうと言うのかね。」

「富士原先生、是非、ウサギに餌を食べさせて下さい。ウサギも先生に懐いているようですので。これはイグサです。」

「何?イグサだと。さっきの話にイグサがどうのこうのと出ていたが、そのイグサが出されるとは、一体、何だね。完全なシナリオではないか。ほかの出演者はみんな流れを知っていて、僕だけが知らされていない、そういうことかね。」

そう食いつかれた番組スタッフは、慌てて答えた。

「いいえ、決してそういうことではありません。番組の流れを見ていまして、イグサをウサギが食べるかどうか、この番組で確認しようということになりまして、楽屋裏にあった畳のイグサを剥がし、細かく切って持ってきたところです。」

「よく分からんが、この番組は滅茶苦茶だな。今までいろんな番組に出たが、こんな番組は前代未聞だよ。ぼくは餌係か。まあ、よかろう。餌をあげてみよう。」

何と、富士原康辰がしおらしくウサギの餌係になって餌を与え始めたではないか。ウサギの口元にイグサの入ったボールを持っていくと、ウサギはそれをもぐもぐと食べた。それを見て、丸山社長が言った。

「やはり、綾川さんが言った通り食べますね。干し草を食べると言うのは常道ですが、ウサギはイグサを食べるんですね。知りませんでした。」

一体この番組はこんな滅茶苦茶な流れをどうまとめ上げるつもりなのか。あるいは、更々そんな気はないのか、ただ、成り行きに任せ切ってみようと言うのか。本当に、一体、番組制作者たちは何を考えているのか。そんなことを考えながら、見ていると、そこにまた、画面の横から、スタッフが一人やってきて、富士原康辰に一枚の紙切れを渡した。

「何だね、これは。何、イグサの成分表か。カロリーも立派にあるではないか。ミネラル類も多く含まれているな。これは立派な餌だよ。しかし、なんでまた、タイミングよく、こんな成分表を持ってくるのかね。やっぱり、シナリオをちゃんと描いて進行している番組じゃないか。ぼく一人をピエロにして、今年卯年のとし男、富士原康辰を笑い物にしてやれという番組かね。」

司会の青木が、必死になって、番組をまともな状態に構成しようともがいていることに変わりはなかった。

「富士原さん、決してそういうことはありません。スタッフの一人が、何か気になってすぐさま、調べたものを持ってきただけです。富士原さんをかつごうなどと、とんでもありません。それよりも、富士原さん、あまりウサギにかまって下さらないようお願いします。ウサギを膝から降ろし、餌上げも止めて、卯年の動きを予測して下さい。」

「そうは言っても、青木君、もう情が移ってしまってどうしようもないよ。ウサギが可愛くて仕方がないな。もう少し可愛がらせてくれ。」

ああ、富士原康辰ともあろう辛口の政治評論家が、たかがウサギの前にいちころにやられてしまって、そして、こんなことまで言う始末であった。

「よく分からんが、ウサギに対するこの得体のしれない愛情は、やはり、卯年のぼくはウサギとよほど引き合う何かがあると見える。今まで、全く考えたこともなかったのだが、干支の動物とその年の人間は無関係じゃないみたいだな。どう思うかね、青木君。君はなに年かね。」

「わ、わたしですか。私も卯年です。」

「何だ、君も卯年か。早く言えよ。卯年の人を集めて、卯年の司会者が卯年を占う番組をやる。できすぎだな。そして、ウサギがのこのこ現れる。完璧だ。この番組は完璧だ。誰が考えたのだ。もやもやしていたものが消えたよ。卯年がどうなるか、そんなことは知ったことじゃない。ウサギですべてを取り揃えたところにこの番組のすごさがある。次はウサギマークの何かが出てくるのかね。そんな気がしてきたな。」

思わず、わたしは笑ってしまった。富士原康辰は、ついに、不思議な結論に自ら到達して、悦に入っていた。果たして、ウサギを取り揃えるということに主眼を置いた番組なのであろうか。そんな番組を大まじめに考える人がどこにいるだろうか。

そして、私はついにこの番組のフィナーレとも言うべき破天荒の幕切れを、呆気にとられながら、見る羽目になった。それは、何とも形容しがたい場面であった。富士原康辰が、ウサギマークの何かが次に出てくるのではないかと言った予測を超えて、ウサギそのものが次から次へと画面の中へ現れたのである。その数、ざっと見ても百匹を超す大群であった。これは、この特別企画の番組に於いて、偶然に、何かの間違いで、これまでウサギが画面に出てきたのではないのかと疑っていた今までのわたしの推測が完全に間違いであったということを立証した。仕掛けも仕掛け、大いなる仕掛けを凝らした番組であったと結論せざるを得なかった。

青木勇次郎が、次のように締めくくった。

「次から次へと出てくるウサギさんがスタジオを占領しました。スタジオに置かれた百個のお皿の上に盛られたイグサを目がけて、袖の方からどんどん、ウサギさんが出てきます。ウサギは立派にイグサを食べます。むしろ、イグサが大好きなようです。

さて、視聴者の皆様、今年は卯年です。この番組を見られていかがだったでしょうか。相当に気を揉まれたことではないでしょうか。ご覧頂いた番組のように、どこへ行くのか予測困難な年になりそうな卯年です。そのことを、こういう番組で表現し、訴えてみたかった、そういうことになります。それでは、皆さん、本年もよいお年をお過ごしください。」

司会が、こう言ったあと、画面が真っ黒になり、その上に、二つの漢字熟語が並んで映し出された。「隔靴掻痒」「右顧左眄」。

ため息をついて、わたしは倉田の方を見た。倉田は、彼がわたしに昨日言った通り、滅茶苦茶な番組だろう、と言わんばかりの表情で、そして笑い出さんばかりの顔で、わたしを見た。

痒いところをかこうとしても痒い所に手が届かない、隔靴掻痒はそういう意味である。これを、もし番組の流れが本題に戻ろうとするが戻れないということに擬えているとすれば、何だか分からないでもないが、そうすると、青木のあの語り草は、完全にお芝居であったということになる。

あっちを見たり、こっちを見たり、腹が一向に決まらない、決断の無さをいう言葉が、右顧左眄である。確かに、出場者たちは、卯年を占うという本題を論じるような気配はあったが、話は全くあっちこっちに飛んだ。富士原などは、ウサギの突然の出現に怒りすら表している様であったが、最後には、ウサギを大いに可愛がる始末で、それを厳しく、青木が諫めると、反対に、情が移ってしまったとか何とか、可愛がらせてくれなどと言い出す結末であった。まさにあっちへ行ったりこっちへ行ったりであった。

結局、あのようなウサギの大群出現というフィナーレなどを見ると、富士原も、すべて演じていたことになるではないか。一人ピエロにされているなどということではなかったのだ。

しかし、これはどう見ても『開局30周年記念特別番組』という代物ではなかった。当然、没にされた失敗作品としてお蔵入りとなったのであろう。謎と言えば謎というべき番組であろうが、不可解な番組の謎を解いてみようなどという気にはさらさらなれなかった。

ところが、最後に、制作に当たったスタッフ陣の名前が画面に映し出されたのを見て、私は吃驚仰天した。十数名ほどの人物の名前が、それぞれの役割と共に画面に映し出されたのであるが、制作統括責任者の名前に、村上三郎という名前を見たとき、あっと叫んだのである。それは、小学校6年の時のクラスメイトで、私と無二の親友であった。

中学校から、それぞれ別々の学校に行き、高校、大学も別々で、そのため、村上三郎とは、ほとんど交流する機会もなくなってしまった。今頃、彼はどうしているだろうという思いを、心の片隅に持ちながら過ごしていた昔懐かしい親友の名前がテレビ画面に映し出されたのである。忘れられない友の名前であった。

しかし、どうして村上は、ああいうわけの分からない番組を作ったのだろう。番組制作の意図を突き止めたくなった。そこで、私は、阿佐日テレビに連絡を取り、村上三郎の居所を調べた。彼は、すでに阿佐日テレビを辞めていたが、彼の住所は分かった。

わたしは、50代の半ばを過ぎているが、彼があの番組を制作したときは、およそ20年前のことであるから、そのとき、彼は、私と同じ30代半ばであったはずだ。35,36歳の男がああいう番組を考え出すには余りに稚拙に過ぎるではないか。悪ふざけもいいところではないか。そんな思いに駆られながら、彼に会って、事の真相(そういうものがあればの話であるが)を確かめたくなった。

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