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魂の宇宙旅行 ~パイプオルガンに乗せて~ その2

音村翔一と町田佐和子は、一時間半ほどスターバックスで過ごした。結局、音楽談義で時間をつぶしたのだが、お互いの音楽的な嗜好がどの辺にあるかを知ることができた。町田は、とりわけ、宇多田ヒカルに惹かれており、音村は人にあまり話したことのないおのれの音楽趣味の「秘密」を公開することとなった。

バッハの「トッカータとフーガニ短調」は、音村翔一の命であった。生命の躍動であった。すべての疲れを吹き飛ばしてくれる特別な曲であった。特に、パイプオルガンで奏でられる 「トッカータとフーガニ短調」は、音村の魂を天高く舞い上げてくれるのであった。アコーデオンで弾くものもあり、ギターで弾くものもあるが、何と言っても、パイプオルガンの荘厳さには遠く及ばなかった。

音村の精神世界はパイプオルガンの音に敏感に反応した。時間にすれば、ほんの10分足らずの時間に過ぎない「トッカータとフーガニ短調」であるが、この曲に耳を傾けるその時間のあいだ、音村翔一の魂は天空を舞った。地上を離れた。宇宙衛星がNASAから発射され、地上を離れる瞬間が、「トッカータとフーガニ短調」のはじまる最初の5秒間に表現されていた。最初の5秒間で音村の魂はヒューッと舞い上がった。幽体離脱を遂げさせてくれる最初の衝撃波が曲の始まりの5秒間の中に凝縮的に表現されていた。「俗世よ、さようなら。また会う日まで。」音村の魂はそう叫んだ。

そして、次の5秒、さらに次の5秒と宇宙衛星が地球をどんどん離れていくかのように、音村の魂も地球を離れるのであった。昼間のあの証券会社の喧噪が彼方へ消えていく。田村部長や岡本課長の姿も見えなくなる。同僚たちの姿もどこかへ行ってしまった。世界中が金融危機で騒ぎ立てているあの凄惨な光景がかすれていく。金融崩壊の騒ぎという騒ぎが、遠くへ遠くへと霞んでいく。

音村は宇宙空間を漂っていた。月の表面近くを遊泳していた。「トッカータとフーガニ短調」を聴いている間に、一瞬のうちに意識を失って仮眠状態に陥り、音村の魂は宇宙旅行に出かけてしまったのである。「かぐや」が月の表面を撮影してくれたあの映像を、全く同じように、音村は眺めていた。はるかかなたには、青い地球が白い雲の筋に包まれながら美しく月面近くに浮かんでいた。宇宙の神秘と言うが、これほど美しい神秘的な光景があるだろうか。宇宙から見た青い地球こそ最も美しい神秘である。

しかし、あの美しい地球の上では、こうして月から筆舌に尽くしがたいその美しさを鑑賞している間にも、七十数億の人々が種々の争いの中で生き、政治的混乱、経済的危機、環境破壊などを引き起こし、苦悩に満ちた人類の歴史が進行しているのだ。ついさっきまで、会社の中で乱高下する株価の動きに一喜一憂していた自分と会社の仲間たちが嘘のようである。さっきまで、会話を楽しんだ町田佐和子も、あの地球の中に生きているのか。地球の生活とは、一体、何なのだ。この宇宙空間に漂っている自分が現実なのか、あの地球でさっきまで暮らしていた自分が現実なのか、現実という言葉の意味がはっきり掴めなくなった。音村はそのように感じた。

音村は月の表面をゆっくりと漂いながら移動し、気が付くと、月の裏側のツィオルコフスキー・クレーター付近に到達していた。ここは何度か訪れたことがある場所だ。陰鬱で暗い場所だ。もう少し明るいところへ行こう。しばらく移動して、ジョルダノ・ブルーノ・クレーターへ到着した。明かるい気持ちのいい、クレーターである。

音村は、ジョルダノ・ブルーノ・クレーターで、地球を38万キロメートル離れた気分をしばらく満喫していたが、ゆっくりと虹の入り江の方へ移動を開始した。虹の入り江は、音村が好きなスポットの一つである。眼前に広がる広大なクレーターの眺めが、心の解放を促す。いつ来てもいい気分になれるところだ。

音村はさらに移動して、アペニン山脈のところへやってきた。ここへ来る理由は、この山脈の端に、かつて、アポロ15号が着陸した場所があるからだ。月に来た時は、音村はその場所をいつも訪ねる。

音村が、最も好きな場所は、コペルニクス・クレーターである。この巨大なクレーターの淵に立つと、何とも言えない気分になる。ここは、文句なく好きな場所である。今、音村はそこへ到着し、クレーターの大平原を眺めているところだ。地球でのいざこざの日常はすべてどこかへ吹き飛んでしまった。完全な解放感である。

音村がじっと目を凝らして、コペルニクス・クレーターの大平原を見つめていたとき、突然、びっくりするような光景が現れた。何もないはずの壮大な平原に、大勢の人々の姿が見えたのである。音村は言葉を失った。

平原にグランド・ピアノが置かれていた。端正な姿の一人の女性がそのピアノの前に座り、鍵盤を弾いている。曲に耳を傾けると、それは、ベートーベンの「ムーンライト・ソナタ」であった。文字通り、コペルニクス・クレーターの月面で、「月光ソナタ」が奏でられているのである。何というロマンチックなステージであることか。およそ、500名ばかりの観客がそのピアノの音に耳を傾けている。

音村は、ベートーベンの「月光ソナタ」はよく聴くのであるが、今、月面で聴いているようなこれほどの神秘的な曲調に触れたことはいまだかつて一度もない。およそ地上のものとは思えない――実際、地上ではなかったが――その音色は悲しくも美しい神秘の極みであった。あの女性は一体誰であろうか。聴衆も気品のある高貴な人々のようであった。

月に本当に人が住んでいるのか。どういうことだ。今まで、月を何度か訪れたが、人影を見たことはない。あの人々は人の霊であろうか。生前、音楽を愛した人々が、とりわけ、ムーンライト・ソナタを愛した人々がここに集まっているのだろうか。月で「月光ソナタ」を聴きましょう、という気持ちでこのコペルニクス・クレーターに集結したのであろうか。ああ、それにしても、月で芸術を愛する高貴な人々にお目見えするとは!

音村はピアノソナタ「月光」に聴き入って、第一楽章から第三楽章までを感動的に聴いた。それにしてもあの女性ピアニストは誰だろう。音村は、彼女の容姿を確認したいと思い、クレーターの淵から移動し、聴衆の中に紛れ込んだ。そして、音村はその容姿をはっきりと見届けた。何と、ピアニストは、あの有名なヨウラ・ギュラーではないか。すでに世になく、他界しているギュラーであった。ギュラーが、月面で『月光』を弾いている!

これほどの、ロマンチシズムがどこにあろうか。

音村はすっかり神秘的な気分に浸った。聴衆がギュラーに声援を送り、拍手喝采の感動を伝えると、ギュラーは聴衆に一礼した。続いて、聴衆はアンコール、アンコールの声を上げて、リクエストを求めた。ギュラーは、姿勢を正してピアノの前に座ると、再び、ベートーベンを弾いた。曲は、『悲愴』であった。月面で聴くギュラーの『悲愴』、これまた美麗秀逸の響きを奏でるものであった。

音村は聴衆の一番後ろの方で聴いていたのであったが、背中の方にかすかに人の気配を感じた。後ろに誰かが座ったという気配を感じたので、振り向いてみると、思わず、「あっ!」と声を上げそうになった。何と、ベートーベンその人がやって来ているではないか。

ベートーベンは、ギュラーのピアノにじっと聴き入っている。こんなことがあっていいのか。どうなっているのだ。本当にどうなっているのか。

『悲愴』の第一楽章から第三楽章までのピアノ演奏が終わったとき、聴衆は惜しみない拍手をギュラーに送った。ベートーベンもあのシリアスな顔に微笑みをたたえ、拍手しているのを、音村は確かに見届けたのであったが、聴衆の拍手が鳴り止んだ頃、ベートーベンの姿はいずこへともなく消えていた。

音村は、ギュラーのピアノ演奏を月で聴くという僥倖に恵まれ、ギュラーに向かって深く感謝の一礼をすると、聴衆を離れた。そして、月面を飛行し、静かの海の方面へ向かった。静かの海と晴れの海に挟まれるようにタウルス山脈が広がっており、そこの一角に降り立った。と言うのは、タウルス山脈の端のところに、かつて、ルナ21号が着地した場所があるからだ。

アペニン山脈とアポロ15号、タウルス山脈とルナ21号、それぞれ、アメリカとソ連が月を巡って展開した宇宙開発戦争の足跡と言ってよい場所だ。

月面飛行の旅は、音村に十分な憩いのひとときを与えてくれた。彼の魂には、毎日の生活力を保障してくれる生気がたっぷりと吹き込まれた。地球へ戻ろう、音村が自分の心にそう囁くと、音村の体は徐々に月を離れ、気が付くと、音村は一気にレム睡眠状態から抜け出し、我に返った。

音村が町田佐和子との会話を楽しんだその日、自宅へ戻った時刻は確か夜の七時であった。簡単に夕食を済ませ、バッハの「トッカータとフーガニ短調」をコンポにセットしたのが八時過ぎで、彼は「トッカータとフーガニ短調」が始まるや否や、レムに陥り、月面へと向かったのである。今、目覚めて、時刻を見ると、ちょうど、十時であった。およそ、二時間、彼の魂は、宇宙旅行を楽しんだのである。爽快な気分であった。ギュラーのピアノ演奏まで聴いて最高の気分だった。ベートーベンにまで会うことができたのである。言うことなし、宇宙旅行、万歳!

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