「落語会を自腹で五十回続けた七十二歳の私が考える落語の魅力」

先月、我が家に本が届きました。

落語会を自腹で五十回続けた七十二歳の私が考える落語の魅力

鶴川落語会にご支援いただき、会にも足を運んでいただいている大竹永介さんから、ご恵贈いただきました。本をご恵贈いただくことなんて滅多にないので、大変驚きました。大竹さん、ありがとうございました。

今回初めて知ったのですが、大竹さんは少女まんがや児童書(絵本)の編集に長く携わられていたそうで、既に数冊の著書がおありとのこと。今回恵贈いただいた本には、落語好きが高じて「落語をきいてお酒を呑む会」という落語会を開催された時のご経験と、昭和から平成という時代の落語を、大竹さんの視点で率直に語られています。なんと、小遊三さんとの対談も載っています。

落語会を開催している立場としてだけではなく、一落語ファンとしても大変興味深く拝読いたしました。私の落語会開催の苦労に重なるところや、過去の落語体験の記憶の引き出しが開く瞬間もあり、その時の事に思いを馳せ、読むのが止まってしまったり。こんな私にも、これまでの人生、いろんなことがありましたから・・・。

特に落語会の会場探しのところは、おおいに共感できるポイントでした。鶴川落語会は会を立ち上げた当初から和光大学ポプリホール鶴川で開催しているので、会場探しにそう苦労はないと思われているかもしれませんが、そんなことはありません。いろいろと企画してみては、その企画が叶う会場探しをしてみると、そんな場はなかなか見つからない・・・ということを、実は繰り返しています。

吉川潮氏の協力があったとは言え、落語家さんとのスケジュール調整や出演料、お客さまへのコンタクト等々・・・出版社でのお仕事をこなしながら継続されていたことに感心し通しでした。本当にお疲れ様でしたとお伝えしたいです。

昭和の名人の高座を、ラジオで、テレビで、もちろん生でも数多くご覧になられたことは、たいへん羨ましく読みました。1972年生まれで熊本出身の私には、間に合っていない方も多くいます。いろんな方から聞く昭和の名人たちの高座の記憶。その中に大竹さんの視点も、今回加わりました。自分の知らない時代を知れることは、私のような人間には宝です。

小遊三師匠との出会いや対談では、自分と年齢の近い噺家の存在の大切さを感じました。人生の流れの中に、一緒に年を重ねられる贔屓がいることの幸せを思います。

鶴川落語会にお越しいただいている方の中にも、昭和から平成に活躍した名人たちの記憶を残していらっしゃる方も多いのではと思います。そんな方には特に、この本が刺さるのでは。そんな方々に届きますように。



良い機会なので、ちょっとだけ、私の個人的なことも書いておきます。
私と落語の出会いは、「落語のピン」という番組でした。その頃の私は駆け出しの音響効果で、主にバラエティ番組の音響効果のアシスタントとして勉強の毎日でした。「落語のピン」という番組にもアシスタントとして関わり、そのうち先輩が忙しい時などにガヤや小さな笑いを足したり(編集点をごまかすため。この番組で放送の落語の本編は滅多に編集しませんでしたが、たまにまくらの部分を切る必要がありました)、キューカット(CMに入る合図)に音を入れたり、談志師匠の発言にピー(実際には、爆発音等いろいろ試行錯誤していました)を入れたり、そんな経験を積んだ番組です。そう難しい仕事内容ではなかったので、先輩もたまに任せてくれて、まだひよっこだった私には、音響効果のいろはが学べた思い出の番組です。
メインキャストの談志さんが収録に来ないことがあり、その影響で編集も延び、でも締切は待ってくれませんから、私の仕事の音入れはスケジュールギリギリ・・・MAさん(音の最終調整をする方)は前日徹夜・・・なんてこともありました。

その後いろいろあり(ここは端折ります)その番組のプロデューサー兼ディレクターと結婚し、そしてその人を今から約4年半前に亡くしたのですが、そんな経緯で私はここにいます。人生は何が起こるかわかりません。熊本から東京へ出てきたばかりの私は、落語すらよく知らなかったのです。落語番組のプロデューサーと結婚してからも、まさか落語会の席亭になろうとは想像もしませんでした。

今回はご縁があって、大竹さんの人生のご経験の一部を読ませていただき、感謝申し上げます。同じ運命の人間は、いません。大竹さんは人生を謳歌されていると感じましたが、私の人生もなかなか面白かったと言えるように、もうしばらく頑張ります。

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