はしゃぎすぎてる夏の子供さ
代表の弦巻啓太です。
2001年9月11日から20年が経ちました。20年。驚きを通り越して呆然としてしまいます。
あの頃自分が何をしていたか?僕は覚えてます。バイトに行って什器を並べて買い物をして家に帰った日です。
なぜ覚えているか?その時タワーレコードで買ったのが、ちょうど発売日だったボブ・ディランの『ラヴ・アンド・セフト』だったからです。
前作『タイム・アウト・オブ・マインド』が落ち着いた内容で愛聴していたので、陽気というか、カーニバルのような空気の新作に戸惑ったのを覚えています。911とその後の世界の展開は、自分にとってこの作品の音と分かち難く結びついてます。その『ラヴ・アンド・セフト』の「オネスト・ウィズ・ミー」という曲にはこんな歌詞があります。
本来なら、明日は『出停記念日』苫前公演に向けて出発する日でした。2018年の『センチメンタル』以来となる苫前公演を自分だけじゃなく、劇団員もとても楽しみにしていました。
しかし残念ながら、お知らせした通りそれは北海道の緊急事態宣言延長の発出によって、協議の結果中止という結果になりました。
もちろん敢行することが正しい訳じゃありません。特に苫前近辺を含む留萌地方はこの一年半、感染者数が非常に抑制されてきた場所です。そこに札幌から乗り込む意味はようく分かっているつもりです。それでも残念です。とても悔しいです。
準備は入念に行い、9月になってから再度自主的に受けたPCR検査も全員陰性でした。
中止の連絡をメンバーに入れたのは稽古がお休みの日でした。公演中止になり、稽古する必要が消えてしまった訳ですが、それでも翌日全員で集まりました。集まって今後のことを話し合い、代替となる企画案についても検討しましたが、公演についてはこのまま終了にすることにしました。
沖縄と苫前の二箇所での公演を中止し、札幌公演のみ5ステージ上演を行い弦巻楽団#36 1/2『出停記念日』は終了となりました。
とてもスッキリしない終わりです。申し訳ない気持ちと、やり残してしまった気持ちで胸が一杯です。
夏が大好きな自分にとって、史上最高に暑い、たまらないはずだった夏は苦い、苦い夏となりました。
出停記念日のプロジェクトがこれで終わりという訳ではありません。クラウドファンディングの公約でもあるので、今回果たせなかった活動は来年、再来年以降必ず成し遂げるつもりです。別に沖縄の海で思い切り羽を伸ばしたい!とか、苫前の美味しい海の幸と山の幸を口いっぱい頬張りたい!とか、そんな動機ばかりじゃありません。
沖縄でも苫前でも観劇を予定してくれたり楽しみにしてくれてる、という声をいくつもいただいてました。その気持ちに応えたいというのが一つ。
そしてもう一つは、正直に言えば、やっぱり観客の前で上演したいという創作者のエゴです。
昨年コロナウイルスによって我々演劇人に突きつけられたのは「なぜやるのか?」という問いでした。自分はそれについて自問自答しながら同時に
「なぜやらないのか?」
という問いが内面でこだましていました。
この状況で何が出来るのか。何をすべきなのか。昨年この状況下で初めて手に取った小説がありました。カミュの『ペスト』です。お恥ずかしい。高校生の時に読んだ『異邦人』の文体に馴染めず、ずっと他は手に取っていない作家でした。それでも昨年『異邦人』を再読したこともあり、今ならと思いこの機会にと読んでみました。文体は馴染めなかったけど、面白く?読みました。おそらく文体、語り口の冷静さが若い時は怖かったんだと思います。『ペスト』は非常に淡々としていました。感染症に襲われた街の人々がなすすべないウイルスに対して、徐々に諦めと放心の境地に達する下りは、あまりに現在と重なるようで驚きました。
決定打はない。それでもやれることをやるしかない。それは目を背ける行為なのか。見つめ続ける行為なのか。
『出停記念日』は2001年に書かれた戯曲です。ぜひ公演特設サイトに掲載されている原作者:島元要さんの二つの文章をお読み下さい。どのようにこの作品が生まれ、何を捉えたのかがとても伝わってきます。
窓から外を眺める登場人物が会話する場面は、『出停記念日』の中でも特にドラマチックな、島元先生のお話によるとかつて「劇的な展開がない」と評されたこの作品の中でも、特に「劇的」な場面だと思います。
机を固めて、その上に立ち窓からグラウンドと沖縄の町と、海と空を眺めながら話す登場人物。911のこと。夕暮れの美しさ。父のこと。海の向こうの島のこと。グラウンドにいるクラスメート。体育教師。いるはずのないクラスメート。会話自体は驚くような展開も、感情を露わにしたぶつかり合いもありません。でもこの場面には机の上に立ち、身を寄せ合ったことで《たまたま》口をついた台詞が書かれています。その状況じゃないと呟かれなかった台詞があります。ふとした偶然のタイミングで心を許す隙が訪れ、不思議な連帯感が登場人物同士の間に流れる。
劇的で美しい、一瞬と呼ぶには長過ぎる、でも留めておくにはあまりに短い場面。
劇中、一人残された教室でさやかが歌う歌は戯曲では指定されてませんが、2017年以来ずっと「サマーヌード」にしてきました。今回の一連の結果を経て、自分にはこの歌がより胸を掻きむしる歌になりました。
弦巻楽団では今後もレパートリーとしてこの『出停記念日』を上演していく予定です。大手を振って行き来が可能になった際、改めて沖縄も苫前も訪れたいと思います。しぶとさには定評があるつもりです。
その時まで、今はただ、通り過ぎるその全てを見届けよう。
そう思います。皮肉でもなく、諧謔でもなく。それがギリギリ前を見つめ続ける行為だと信じて。次の夏のために。次の次の夏のために!
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