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2023年を振り返る

代表です。間違いなく年の瀬であります。
というわけで恒例の一年を振り返る投稿です。

今年、劇団の公演活動としては

3月 演技講座成果発表公演“舞台に立つ”『ヴェニスの商人』
9月 #38 『セプテンバー』(札幌・帯広・苫前)
12月 「秋の大文化祭!2023」
(参加作品 弦巻楽団『死と乙女』、演技講座『冬の入口』、劇団5454『宿りして』)

以上です。
なんだ、意外に少ない…気もしますが、これにWSなどの活動や個人の活動を加算すると、

1月 旭川高校生WS(講師)
2月 横尾圭亮さん演技WS(運営)
3月 若手演出家コンクール最終審査(審査員)
    演技講座成果発表公演“舞台に立つ”『ヴェニスの商人』(演出)
5月 台湾大学日本語学科による『神の子供達はみな遊ぶ』(脚本提供)
    『演出』についてのワークショップ(講師)
7月 『はじめてのワークショップ』(講師)
8月 高文連オホーツク支部WS(講師)
9月 #38 『セプテンバー』(札幌・帯広・苫前)
10月 高文連石狩支部演劇大会参加(クラーク高校指導演出)
   高文連オホーツク支部演劇大会(審査員)
11月 演劇大学 in しまね 長期演出WS(講師)
            短期演出WS(講師)
            演技WS(講師)
12月 「秋の大文化祭!2023」(主催・演出)
    (参加作品 弦巻楽団『死と乙女』、
          演技講座『冬の入口』、
          劇団5454『宿りして』)
   深川市民で創る創作劇『フラワーズ・イン・ザ・ウインドウ』(監修・演出)
   長野県松本市上土劇場主催「演出ワークショップ」(講師)


『セプテンバー』や「秋の大文化祭!」キャンペーンで7月以降はたくさんのWSも行いました。
実際6月くらいまではゆとりも多少あったのですが、個人的な事情もあり6月末からはほぼ休みなしでした。特に7月8月は『セプテンバー』準備以外にも色々あって、記憶があんまりありません。夏大好きな自分にとって、たまらないくらい嬉しい夏(猛暑)だったはずなのに…。

先日久しぶりに稽古場で忘年会を開きました。
そこで久々に深浦佑太と会い、#38『セプテンバー』について話しました。自分で脚本も書き、大きな舞台を手がけている深浦の視点による感想はとても嬉しく、ありがたいものでした。
「あれ書くの大変だったでしょう?」
そう。大変でした。確かに。少しは。
楽団ラジオでも触れてますが、書き方を少しこれまでと変えた取り組みでした。気づかなくても問題ないくらいの変化ですが、自分にとっては大きな変化です。それは演劇であること、その楽しさ、その自由さを突き詰めた創作でした。


そして「秋の大文化祭!」。
先の記事でご報告した通り、これ以上ない結果と、あたたかい好評の声をいただきました。特に劇団5454さんのTGR札幌劇場祭大賞という、素晴らしい結果をいただけて、胸を張りたい所存です。
いや、自分は来てもらっただけなので何もしてないのですが、どうだ!という気持ちなのです。どうだ!言った通り、すごかったでしょ?!という。

『死と乙女』について、同じように忘年会で温水元さんから感想をいただきました。「さっくんも、木村さんも素晴らしかったけど、やっぱり井上くんが凄かった。一般的に『熱演』と括られない中庸な演技が必要とされる難しい役どころだし、それが凄かった」と。さすがの感想です。そう、そこ。

叫んだり、涙ながらに台詞を言っていれば、無我夢中で自分をかなぐり捨てて演技していれば、「熱演」になる訳でも、名演技な訳でもありません。それはよく言われます。言われるのに、結局そこばかり目を奪われてる人、演劇人の中にこそ多い気がします。

演技講座ではずーっと同じことを言い続けてます。もっと言えば、弦巻楽団でも同じです。WSでも同じです。市民劇でも。
叫んだり、涙ながらに台詞を言ってもいいのです。でもそうすればOKではない。しなくてもいい。やってもいい。問題はそれが周囲と共有されているか、ということです。

分かりにくいかもしれませんが例えるとこう。
電車の中で突如男女のカップルの別れ話が極まり、男性が泣きながら叫び出したとします。
さて、そんな場面を演劇として成立させるなら、何を大事に考えるでしょう。
男性の気持ち?分かれたくない、お前と離れたくない、離したくはない(by  T-BOLAN)…。
良いでしょう。
では女性は?どうあるべきでしょうか。その男性の気持ちを受け止める。共有するとは何か。

自分の考えではこうです。共有するのは「男性の気持ち」ではありません。
『電車の中で突如別れ話が原因で男性が泣きながら叫び出した異常性』です。異常性という言葉が悪ければ、非日常性でも良いです。平たく言えば、引いてしまう感覚というか、居心地の悪さというか。
男性はなりふり構っていないかもしれない。いえ構っているかもしれない。むしろ周囲に人がいることで劇的に拍車がかかっているかもしれない。
女性はどうでしょう。男性のことしか考えてない、ケースもあるでしょう。でも多くは「うわあ、どうしよう…」と周囲に人がいる環境で困ってしまう意識も働いてると思います。
周囲の一般乗客も見て見ぬ振りするでしょう。親切なおばあちゃんなら心配して声をかけるかもしれない。それもまた女性としては困るかもしれない。

大事にするべき「共有」とはそういうことです。
状況の共有。環境の共有。言葉の共有だけではなく、言葉が発せられる状況の共有。発せられる前。発せられる後。

空間をともにしているか。時間をともにしているか。
そういう言い方もできると思います。
『死と乙女』ではそこに時間をかけました。特に立場が違う3人の発する「民主主義」の言葉が持つニュアンスについて。その言葉にこもるニュアンスの違いを3人がどう感じて、だからこそどう返答しているのか。
ここでなされてる会話は「交渉」だから。相手の目、表情、所作から相手の真意を読み、計算し、台詞を言っている。感情もその交渉手段のカードの一つに過ぎない。もちろん、全てがコントロールできる訳ではない。

温水さんやTGR審査員の方が賞賛してくれた井上くんの演技は、特に後半のサスペンス極まり激しくなっていく箇所についてではなく、冒頭の、初対面のジェラルドーと国の今後について軽口混じりに飲み交わす場面でした。

ずーっと同じことを言ってる気がします。でも、なかなか浸透していない気もします。自分の力不足も感じます。それでも少しずつ共有できる環境や仲間が増えた気もします。そして日本のあちこちで、想いを肯定してくれる先輩や同志に出会えた一年でした。

今考えていることは、舞台上なんて存在しないんだな、ということです。どこだって劇場だ!ということが言いたいのではなくて(いえ、それはそれでそうなのですが)、劇場で、舞台があっても、「舞台上」なんて存在しないんだな、という考えです。そこに至りました。

2023年、たくさんお世話になりました。劇場に来てくださったみなさん、どうもありがとう。劇場に来れなかったけど応援してくれた皆さん、どうもありがとう。
2024年もどうぞよろしくお願いします。


(追記)
できるだけ公演以外の写真を…。
今年は初めて行った町が多かった気がします。
大空町、千葉、神戸、横浜、松本、島根の松江、大田、雲南…。
どれも心に残った町でした。来年もたくさん足を運ぶぞ〜。

2024年はこの3人から!『ピース・ピース』ご期待ください!




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