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41機目「武器になる哲学」

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「武器になる哲学」(山口周 KADOKAWA)

もっとも強い者が生き残るのではなく
もっとも賢い者が生き延びるのではもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。

って、僕も言ってました。だから、変化しなきゃいけないんだよ、お前(オレ)って。

誤解していた。僕は、ダーウィンを誤解していた。この本を読んで、突然変異は「意志」ではなく「偶然」に起こり、生き延びるのは、「個人」ではなく「集団」なのだ、と。

29講「自然淘汰」より

~~~以下本文よりメモ

「自然淘汰」とは何なのか?

1 生物の個体には、同じ種に属していても、様々な変異が見られる。(突然変異)
2 そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝)
3 変異の中には、自身の生存や繁殖に有利な差を与えるものがある(自然選択)

ポイントはむしろ「自然選択」よりも「突然変異」にあります。突然変異によって獲得される形質は、当たり前のことですが、予定調和しません。変異の方向性は極めて多様で、確率的には生存や繁殖に有利な差を与えるものと、不利な差を与えるものが、中央値を挟んで正規分布していたはずです。

おそらく、これまでの歴史を振り返れば、突然変異によってオレンジ色のトカゲもグリーンのトカゲも生まれてきたはずです。しかし、そういった形質はむしろ、自身の生存や繁殖に不利な差となります。砂漠地帯において、オレンジやグリーンという色はたいへん目立つわけですから、天敵に狙われやすい。そのような形質を突然変異によって獲得してしまった個体は、天敵に捕食される確率が相対的に高く、結果としてその形質は次世代へと遺伝されません。

どのような形質がより有利なのかを事前に知ることはできません。自然淘汰という仕組みは、いわばサイコロを振るようにして起きた様々な形質の突然変異のうち、「たまたま」より有利な形質を持った個体が、遺伝によってその形質を次世代に残し、より不利な形質を持った個体は淘汰されていくという、膨大な時間を必要とする過程であるということです。

~~~以上本文よりメモ

ここで、山口さんは、「自然淘汰」のメカニズムのカギは、「適応力の差は突然変異によって偶発的に生み出される」ことにあると言います。

「私たちは一般に、エラーというものをネガティブなものとして排除しようとします。しかし、自然淘汰のメカニズムには「エラー」が必須の条件として組み込まれている。なんらかのポイティブなエラーが発生することによって、システムのパフォーマンスが向上するからです。」

「偶発的なエラーによって進化が駆動される」

「自然界において、適応能力の差分は計画や意図によるものではなく、一種の偶然によって生まれているのだということを知れば、組織運営や社会運営においても、私たちはそれを計画的・意図的により良いものに変えていけるのだという傲慢な考えを改め、自分の意図よりもむしろポジティブな偶然を生み出す仕組みを作ることに注力したほうがいいのかもしれません。」

なるほど~、って。

僕たちはダーウィンを誤解している、って。

生物はすべて「集団が生き延びること」を最大の価値として存在しているんだろうと思う。そのために「自然淘汰」というメカニズムがあるのだと。そのメカニズムは、突然変異というエラーから始まるのだと。

「環境」は変わる。
環境が変化したときに、適応できる(生き残る)のかどうか、は、変化後の環境に適応し得る突然変異を継承しているかどうか。

「集団」が生き延びること。
この「集団」を「組織」あるいは「会社」にしても、同じことなのだと。

突然変異(エラー)を組織内(会社内)に許容できないと、外部環境が変化したとき、生き残る可能性が下がる。

これは、人材においてもそうだろうと思う。「異端」と呼ばれる人たちを許容できるか。

昔はよかったけど、今はそんな余裕はない。っていうかもしれない。

環境が、社会が変化し続けている中で、「価値」や「イノベーション」がどこから生まれるのか。

それをダーウィンから学ぶとすれば、「突然変異」つまりエラーの許容。むしろそれをいかに強みに変えていくか、っていうところだし。

それは、個体ごとに考えなくていいのだと。「集団が生き延びること」を考えていくことが必要なのではないかと。

エラーをエラーとして「価値があるかもしれない」個体として集団に受け入れていくこと。

たぶんそういうことなのではないかな。

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