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39機目「コミュニティ難民のススメ」

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「コミュニティ難民のススメ」(アサダワタル 木楽舎)

ついにこの本を紹介するときが来てしまいました。新・社会人、新・大学生のみなさん、おめでとうございます。

僕から贈る1冊は「コミュニティ難民のススメ」です。この本は水戸留学時代に読んだ本の中で最もドキドキした1冊。甲府の春光堂書店で購入。1章ずつ大切に読みました。今日は1章だけ紹介します。

第4章 「公私を編み直す」

いいですね。編み直すっていうのがいい。

公私混同とか公私混合とかっていうけど、そうじゃなくて、もっと主体的に「編み直す」っていうのがいいのだよなあと。

ここでの登場人物は、梅山晃佑さん。大阪で、広く「働き方」を表現・サポートしている。

シビれまくる第4章を少し(めちゃめちゃ引用してる)ご紹介。

~~~ここから一部引用

彼は、世の中の就労支援のほとんどが、自分を社会の常識へと合わす方向だけであることに違和感を表す。無理して社会に合わせなくてもいい、時には自分が生きやすい仕事のあり方を見つけるところから始める。

「アートやまちづくりの活動に関わったりする中で、世の中には名前のない職業に就いている人がそれなりにいて、しかもみんな何だか楽しそうに働いていることを知りました。学校の授業では、そんな人たちの存在を誰も教えてはくれなかった。だから、僕は、『何か既存の職業に就かないといけない』と思い詰めて辛かったんだと。みんながそうすればいいわけではないけど、多くの人が働く民間企業が向いていないなら、NPOで働く選択肢があってもいい。とにかく、もっといろんな働き方のバリエーションを社会に可視化していく必要があると思うんです。」

そもそも「公私」という考え方自体がピンとこない。

「よく、仕事の延長上でプライベートでもそういう活動をやっていると思われるんですけど、『延長』ではなくて『並列』なんです。そもそもどこからがプライベートでどこからが仕事かという感覚自体がないので、やっていることの一つひとつが、あくまでフラットにマッピングされているんです。(中略)それが世間の基準でいえば、たまたま『ここからが公で、ここから私』となっているだけなんだと思います。」

いま、仕事をしていてどこか生きづらさを抱えているのであれば、社会に自分を合わすのではなく、自分の生きやすさをちゃんと見つめて、そこから逆算して自分に合った働き方を考えていく。このときにもはや「公私」という区分はあまり意味をなさないと思っているんです。

まるで壁と壁の細い隙間を、自らの肩を脱臼させて潜り抜けるような彼の有りようは、公私という発想自体が、そもそも社会に「合わせた」通念であることを気づかせてくれる。

「社会に合わせて仕事をするのではなく、自分が生きやすいように、自分に仕事を合わせていく働き方」のために、「自分の内なる声に耳を澄まし、その声を解放すること」

既存の就労支援のサービスというのは、基本的に自分を社会に合わせるというアプローチなんです。でも、本人と社会との相性が明らかに悪いのに、なんで無理に社会に合わせて支援しないといけないのか。

「そういうもんだ」的な漠然とした常識に違和感を持ったり、そこに生きづらさを感じたりする時に、その人の中で内なる声が生まれる。その時に、それをちゃんと受け止めてあげる就労支援も絶対に必要だと思うんです。

内なる声はよほど耳を澄ませないと聞こえてこない。

相談する人も、相談員も、みんな表に出てくる言葉に囚われてしまう。

求人情報の「どの部分」に引っかかってきたのかを、ときほぐしていく。

自分がどのように生きたいか、という問いが先にあって、そこから逆算して働き方を考えていく。

僕がコミュニティ難民として紹介する人たちは、やっていることがコロコロ変わりすぎていて、一見、単なる「器用貧乏」や「根無し草」として見なされる傾向がある。

しかし、表面に現れる職歴の前に、実は「内なる声への応答の履歴」が存在する。

重要なのは、他者に対しても、自分自身に対しても、この「生歴」とも言える存在の現れをつぶさに感じることだ。

私たちは人生の過程において、どの時点でも完成形の存在ではない。私たちの身体は常に新陳代謝を繰り返し、私たちの思考は常に新しい情報を摂取しながら作動している。

しかし、自らの意志や指令を発意するためには、それを限定的な時間と空間の中で表現しなければならない。実際には流動的に生成変化し続ける思考を断片的に切り取り、固定化を行う必要がある。

つまりプロセスの大部分が捨象されたかたちでしか、私たちはお互いのことを知りえない。

人はお金だけじゃないいろいろな価値を稼いでいる。それに対し意識的になることで生き方・働き方が変わるのでは?

「稼ぐ」にオフタイムはないのだ。

「いまこの瞬間も自分は動き何かを常に稼いでいる」という意識の問題なのだ。この意識をもった状態で考えると、「仕事」や「生活」や「趣味」といった区分の間にあるボーダーが、とても曖昧に感じられてくる。

~~~ここまで一部引用

またしても、「著作権大丈夫か?」くらいに引用してしまったので、このnoteを読んだ人は必ず購入してください。(笑)

第4章もすごい。

自分を社会に合わせるのが生きづらいとき、自分の「内なる声」に耳を傾けて、どう生きたいのか?を考える。そして、「公私」を編み直しながら、自分の生き方を決めていく。

言うなれば、

「しなやかな生き方」とは、公私の壁と壁のわずかな隙間を、自らの肩を脱臼させて、潜り抜けるような、そんな生き方なのかもしれない。(↑この表現好きだなあ。)

僕自身が個人的に、いちばんうれしかったのは、

「僕がコミュニティ難民として紹介する人たちは、やっていることがコロコロ変わりすぎていて、一見、単なる「器用貧乏」や「根無し草」として見なされる傾向がある。しかし、表面に現れる職歴の前に、実は「内なる声への応答の履歴」が存在する。重要なのは、他者に対しても、自分自身に対しても、この「生歴」とも言える存在の現れをつぶさに感じることだ。」

あ、俺のことや~、みたいな(笑)

「内なる声への応答の履歴」

なんだなあと。応答し過ぎたかもしれないな、と。(笑)

これからはもっとしなやかに、壁と壁のあいだを自らの肩を脱臼させて、潜り抜けていきますね。

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