見出し画像

22機目「日本再興戦略」

「日本再興戦略」(落合陽一 幻冬舎)

就活前に読んでおいてほしい1冊です。

「就活の違和感」の大きな原因のひとつに、アイデンティティ・クライシス(自分らしさ危機)があると思います。

そしてそれは(地域)あるいは(会社)コミュニティの崩壊とともに深刻さを増しています。

自分とは何で、自分らしさとはどこにあるのか?
そんな問いに苦しんでいます。

多くの若者が抱えていると言われる「何者かにならなければならない」という呪縛のも同じようなところに原因があるのではないかと思います。

では、
自分って?
自分らしさってそもそも何?

ここから出発しないといけないと思います。
そこで「日本再興戦略」です。

~~~以下引用

もうひとつ、欧州発で日本には向いていないものがあります。それは「近代的個人」です。

日本が「近代的個人」を目指し始めたのは1860年ごろで、それから150年以上経ちましたが、いまだに日本には「個人」によって成り立つ「国民国家」という感覚が薄いように感じます。むしろ個人に伴う孤独感のほうが強くなっているのではないでしょうか。これも日本人が「個人」を無理に目指してきたからだと思います。

江戸時代には、日本人は長屋に住んで、依存的に生きてきました。我々は個人なんてなくても、権利なんて与えられなくても、江戸時代など、対外的には大規模の戦争をせずに生きていた時もありました。

それなのに、日本は自分から依存を切ってしまいました。個人の持つ意味を理解していないのに、西洋輸入の「個人」ばかり目指すようになってしまったのです。

今では、長屋もないし、団地も減りました。隣の人に醤油を借りることもなくなってしまいました。過去の状態が理想状態であるとは言いませんが、我々は過度に分断されるようになった。そしていつのまにか日本人はバラバラになってしまったのです。

本来、江戸の日本には、100、200、300という複数の職業があって、そのうち何個かの職業を一人の人が兼任して、みなで助け合いながら、働いてきました。ポートフォリオマネジメントがされていたため、誰かが技術失業することはありませんでした。

でも今は、「誰々の職業がAIに奪われる」なんて話題ばかりがメディアに出てきます。

これからの本質的な問題は、「我々はコミュニティをどう変えたら、次の産業革命を乗り越えられるか」ということなのに、「どの職業が食いっぱぐれるのか」という議論ばかりしているのです。

そうした「AI脅威論」は西洋の個人主義の文脈において出てくるものですから、本来の日本人がそうした問いに振り回される必要はありません。

これから日本が東洋的な感覚を土台としてテクノロジーを生かしていくためにも、まずは西洋的個人を超越しなければならないのです。一人がひとつの天職によって生きる世界観に我々はもともと住んでいませんでした。百姓とは100の生業を持ちうる職業のことです。

そもそも、アジアは昔から、言語によって何かを分断する考え方をよしとしません。

荘子は言語による二分法でモノを語りません。個人と個人以外、対象と対象以外というように分断する行為は、世界が調和によって成り立っていた安定状態を破壊してしまう行為であると主張しています。

つまり、西洋思想の二分法の考え方は、アジア的な安寧に関する感覚、美的感覚や価値観とは合わないのです。

~~~ここまで引用

この章はひたすらうなずくばかり。

西洋から持ち込まれた「近代的個人」という感覚こそが自分たちを苦しめているのではないか。そしてそれは我が国の風土に合わないのではないか。

なんか、感覚的にはすごくわかるんだけど、それを言葉にした落合さんはすごいなあと思います。

この本にめちゃめちゃヒントがあるなあと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?