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23機目「仕事選びのアートとサイエンス」

「仕事選びのアートとサイエンス」(山口周 光文社新書)

上野駅のBOOK EXPRESS ってセンスいいなって思う。目に飛び込んでくる本がある。今回は3月のクルミドコーヒーでのトークの前に買ったこの本。

~~~ここから引用

仕事選びを予定調和させることはできない。自分をオープンに保ち、いろんなことを試し、しっくりくるものに落ち着くしかない。

「計画」に価値はない。

「風が吹く、生きようと試みなければならない。」変転し続ける世の中で、私たちは世界に身を投げ出すようにして、まず「生きる」ことをを試みなければならない、そうしなければ何も始まらない、と言っているわけです。

スピノザは「本来の自分らしい自分であろうとする力」を「コナトゥス」と呼びました。

その人の本質は、その人の姿形や肩書きではなく、「コナトゥス」によって規定されると考えました。当然のことながら、コナトゥスは多様であり、個人によって異なることになります。

この世の中に存在しているあらゆるものは、それ自体として「良い」とか「悪い」とかいうことはなく、その人のコナトゥスとの組み合わせによって決まる、とスピノザは考えたわけです。

私たちは極めて変化の激しい時代に生きており、私たちを取り巻く事物と私たち個人の関係性は、常に新しいものに取って代わられていくことになります。

このような時代にあって、何が「良い」のか「悪い」のかを、世間一般の判断に基づいて同定することはできません。自分なりの「良い」「悪い」の評価軸をつくっていくこと。

自分の姿形や立場などの形相を「エイドス」と呼びます。

私たちは往々にして自分の属性や立場といった「エイドス」に基づいて「私はこうするべきだ」「私はこうしなければならない」とかんがえてしまいがちですが、このようなエイドスに基づいた自己認識は往々にして個人のコナトゥスを毀損し、その人がその人らしく生きる力を阻害する要因となっています。

私たちは自分のコナトゥスを高める事物を様々に試していくことが必要になります。

~~~ここまで引用

いやあ。
そうそれ!
みたいな感激があります。

まず目的と目標について、目標だけだと、予測可能なのだけど、目的っていうのは、予測不可能だったり、変わり続けるもの、随時変更していかないといけないのではないか。

エンターテイメントの本質は「予測不可能性」にあるのだと僕は思うし、

僕の「コナトゥス」的には、おそらくは「予測不可能性」が高いものを楽しめるというか好奇心が旺盛だから、そういうことになるのかもしれないけど、

人によっては、自分が自分らしくあるためには、ある程度予測可能な未来設計と、目の前のことをコツコツやることが心地よいのだなあと。

人を一元化して語ることは不可能だなんて当たり前なんだけど、いわゆる成功者の実践だったり、多数派が納得していることだったりっていうのは、受け入れる人の「コナトゥス」に関係なく、受け入れざるを得ないような状況があるのだろう。

「本来の自分らしい自分であろうとする力」に耳を傾けること。本人だけではなく、一緒に場をつくっていく人たちがコナトゥスを意識すること。

それが「あり方」っていうか「Beの肩書き」だったりするのだろうけど。

やっぱ、哲学って必要だなと思った今日の読書でした。 次は「スピノザ・エチカ」を取り上げます。

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